三分で学ぶ トーマスルッケーゼ
三分で学ぶ!トーマス・ルッケーゼ
目次
今回はルッケーゼファミリーのボス トーマスルッケーゼを紹介していきます。
トーマス・ルッケーゼの生い立ち
トーマス・ルッケーゼは1899年12月1日シチリアの州都パレルモに産まれた。
ルッケーゼの姓はシチリアにあるルッカ・シークラという村が由来だそう。
ヴィト・コルレオーネと同じですね
12歳の時に家族はニューヨークへ移住。
父は力仕事をしていた。
ルッケーゼは機械工場で働いていたが、15才の時に事故で指を2本切断してしまい退職した。
ストリートギャング
無職となったルッケーゼは次第に不良仲間と悪さをするようになってゆく。
ラッキールチアーノともこの頃に知り合い意気投合、二人で盗みや喧嘩に明け暮れていた。
その後ルッケーゼはブロンクス一帯を支配していたマフィア ガエタノ・レイナの配下となる。
18才の時には自分のビジネスとして清掃会社を設立。
勿論、清掃を依頼しない場合は店をめちゃくちゃにした。
禁酒法時代
1920年、ルッケーゼは自動車を窃盗した罪で逮捕されてしまう。
この時逮捕した警官はブラウンという野球投手にあやかりルッケーゼに〝スリーフィンガーブラウン〟という皮肉めいたあだ名をつけた。
ルッケーゼはこのあだ名をひどく嫌ったが、広く定着することとなる。
幸いにもルッケーゼに面と向かって、あだ名を口にするものはいなかったが。。
話を戻すと逮捕されたルッケーゼは仲間を売る事を拒否し、3年9カ月の刑を宣告された。
1923年には仮釈放となったものの、すっかり密造酒ビジネスに乗り遅れてしまったのだった。
仮釈放されたルッケーゼは旧知の仲であるであるラッキールチアーノと再会。
ルチアーノは仲間のマイヤー・ランスキー、フランク・コステロ、バグジー・シーゲルをルッケーゼに紹介した。
このルチアーノ一派とルッケーゼはパートナーとして持ちつ持たれつでやって行くこととなる。
その後ルッケーゼはガエタノ・レイナの右腕に昇格。
しかしレイナはジョー・マッセリアに殺害されてしまう。。
カステランマレーゼ戦争
当時ニューヨークを牛耳っていたマッセリアは配下だったレイナを射殺。
ルッケーゼはこれに反発し、マッセリアと敵対するマフィアのボス サルヴァトーレ・マランツァーノの配下となった。
やがてルチアーノがマッセリアを殺害。
マランツァーノは〝ボスの中ボス〟となった事を宣言し、五大ファミリーなど多くのマフィア界の枠組みを構築した。
この時ルッケーゼにはガリアーノファミリーのアンダーボスの役職が与えられた。
一方ルチアーノはマランツァーノの右腕となった。
しかしマランツァーノは新世代の台頭を恐れ、ルチアーノ等の暗殺を計画。
1931年9月 それを知ったルッケーゼはルチアーノに報告し、二人の友情はより深まったのだった。
1931年9月10日 ルチアーノ一派はマランツァーノ暗殺を決行。
この時ルッケーゼはヒットマン達を事務所内に誘導しる役割を担っていたという。
アンダーボス
アンダーボスとなったルッケーゼは勢力的に活動を行い、1946年にはハバナ会議にガリアーノの代理として代表として出席。
マーダーインクのボス ルイス・バカルターと同盟を結び、一緒に労働組合を運営するなどし衣類業界を支配した。
1951年 ガリアーノが病死、
52才の時にファミリーのボスに選ばれた。
この時ファミリーの名前を〝ルッケーゼファミリー〟に変えている。
優れた政治手腕
ボスとなったルッケーゼは多くの政治家とコネを作る事で地盤をより強固に。
また当時まだボスではなかったカルロ・ガンビーノと同盟を結ぶなどの先見の明を見せている。
1957年にはカルロ・ガンビーノとヴィト・ジェノベーゼが自身のファミリーのボスを追い落とそうとする策略に加担。
ガンビーノのボス アルバート・アナスタシアは暗殺され、ジェノベーゼのボス フランク・コステロは引退に追い込まれた。
しかし、風向きが変わるとガンビーノとルッケーゼはジェノベーゼを裏切り、フランク・コステロ、マイヤー・ランスキー、シカゴの サム・ジアンカーナと同盟を結ぶ。
その結果、ジェノベーゼが主宰したアパラチン会議(マフィアの全国会議)が警察に摘発されるなどした。
政略結婚
1962年、ガンビーノの長男トーマスと、ルッケーゼの娘フランシスが結婚。
ファミリー間の結び付きはより強固に。
ガンビーノ祝いの品としてルッケーゼに30,000ドルの贈り物をルッケーゼはガンビーノにジョン・F・ケネディ空港での利益の一部を渡した。
(空港はルッケーゼが労働組合などを牛耳っていた)
ケネディ空港は映画「グッドフェローズ」で強奪の舞台として描かれた事でも有名。
グッドフェローズの面々もルッケーゼファミリーである。
ガンビーノとルッケーゼ
ガンビーノとルッケーゼは共に五大ファミリーのボスであったが、主導権は終始ガンビーノが握っていた。
しかし勝ち馬にのり続けた事で、ルッケーゼファミリーも成功を納めた。
最期は1967年7月13日 67才でルッケーゼは脳腫瘍により亡くなった。
葬儀は盛大に行われマフィアやギャング、政治家に警察官など1000人以上が出席した。