映画予習三分で学ぶ アルカポネ 生い立ち~シカゴへ編
三分で学ぶ マフィア暗黒史 アルカポネ編 part1

伝説のマフィア アル・カポネ。
知られざる彼の素顔とはー。
アル・カポネについて
※アル・カポネ=カポネと記載しています。
アル・カポネといえば映画の小柄で凶暴なイメージが定着しているが、実際は大柄で利口、紳士であり民衆から愛されていた。
ある人はこう語る
「カポネは世間の人々にとって、英雄だった。
子供たちに自転車をプレゼントしたり、一緒に遊んだりもしたよ」
カポネはお金のない人に「必要になるかもしれないので、車庫を借りたい」などと言ってお金を支払った。
勿論、車庫は必要なかったが、相手の顔を立てるためにそう言ったのだ。
私はカポネのイメージは、新聞や映画が作ったモノだと思っています。
ちなみにカポネの妹も、「新聞記事でしか彼を知らない人には、本当の姿はわからないでしょう」と記者に語っている。
そんな訳で今日から七日間に渡り、アルカポネの素顔に迫っていきたいと思います。


少年 アルフォンス・カポネ
弱冠26歳にしてシカゴを支配し、絶大な権力を振るったアル・カポネは1899年1月17日、床屋の家庭に産まれた。

父も母も優しくて、子供に暴力を振るうことはなかったし、住まいは快適とは言えないが暮らしていけないほどではなかった。
そんな環境で育ったカポネは、学校の成績も良く優秀。
しかし、兵士と喧嘩したりと、子供の頃から負けん気の強さも持ち合わせていた。
8才のある日カポネ家から、たらいが盗まれた。
犯人はアイルランド人だと思われる。
そこでカポネは、イタリア系の仲間を集めて、たらいを取り戻そうとアイルランド人達と大乱闘を繰り広げたが、遂にたらいは返ってこなかった。
この頃から、カポネは悪い友達と付き合うようになり、学校の成績が悪化し留年。
14才の時には女教師と殴り合いの喧嘩になり遂に学校を辞めてしまった。

当時の不良仲間は「目立たなくて、礼儀正しい奴だった」と後にカポネについて語っています。
学校を辞め日雇いの仕事を始めたカポネはやがて師匠となる ジョニー・トーリオと出会う。

トーリオはギャング団を率いており、見込んだ子供には、金の配達など簡単な仕事を任せていた。
そしてトーリオは近所の子供〝アル・カポネ〟に目をつけ、事務所に呼び出す。
カポネがやってくると、トーリオは急用だと言って入れ違いに事務所から出ていってしまった。
そして事務所には大金が無造作に残されていた。。
これがトーリオ流の審査方法で、金を盗まない子供を選別していたのだ。
カポネは金に一切手を付けなかったので、厚い信頼を勝ち得た。
カポネの上司であり兄貴分となったトーリオは、非常に優秀な人物で、カポネに仕事のいろはの他にも、〝紳士的な振る舞い〟〝家庭を大切にする〟などの事を教え、それはカポネの基礎となり、生涯大切にされた。
カポネ正業へ

この時点で、大物ギャングになることを予感させるカポネだったが、なんと更生しまっとうな仕事へ就く。
17才の時から工場に三年勤め、その後は製紙裁断工としてさらに三年働いた。
僅かな給料はほとんど母に手渡す孝行息子。
とはいえ遊び好きで、夜はダンスとビリヤードに精を出した。
その中で、荒くれものが出入りする〝アドニス社交クラブ〟にも通うように。

カポネは後年「この頃梅毒をうつされた」と語っています。
カポネはトーリオの紹介で、有力ギャング フランキー・イエールと出会う。

カポネは、イエールの店でバーテンダーとして働き始めることに。
スカーフェイス
ある日、イエールの店にガルチョというギャングが女と共に店に入ってきた。
カポネは、女に「いいケツだな」としつこく絡み、ガルチョは、「妹なんだ。」と言ったがカポネはやめようとしなかった。
そんなワケでガルチョは、激怒し喧嘩となる。
この喧嘩で、ガルチョはカポネの顔を切りつけて、消えない傷を残した。
これが〝スカーフェイス〟誕生の瞬間だった。

映画 「スカーフェイス」の トニー・モンタナが、顔に傷を負ったのも女性トラブルが原因。
カポネとの共通点となっています。
この傷の報復を恐れたガルチョは、大物マフィア ラッキー・ルチアーノに泣きついた。

そして、ルチアーノ、ガルチョ、カポネ、イエールの四人は話し合いで、揉め事を解決する事に。
ルチアーノとイエールは、〝カポネがガルチョに謝罪する〟という事で話をまとめた。
カポネもこの事を反省し、ボスになってからも報復を行わなかった。

さらに言うと後年のカポネは考えを改め、ある青年に、「女性は丁寧に扱え」と説教もしています。
話を戻すと18~19才にかけてカポネの人生に転機が何度も訪れる。
18才の時にフランキー・イエールの依頼で初めて殺人を経験。大きな信頼を勝ち得る。
またカポネはこの頃野球チーム「アルカポネスターズ」を結成。プロの道に進む可能性もあった。
19才になると後の妻メエ・ジョセフィン・コフリンと出会い一目惚れ。
彼女の両親の反対を押しきり交際をスタート。
息子を授かった事をきっかけに結婚した。

ちなみにメエの直前にも彼女がいて、それが初めての交際経験でした。
カポネはこの機に、再びまっとうな仕事につく。
地頭の良いカポネは、建設会社の経理の仕事をこなし、稼ぎを増やしていった。

だが22才の時カポネは、両親の死をきっかけに、再び暗黒街へ戻る。
これは親の束縛から解放されたからかもしれない。
トーリオのシカゴ
カポネが暗黒街に戻る少し前、シカゴのボス ジェームズ・〝ビックジム〟・コロシモは、ブラックハンド(ギャング)脅迫されており、トーリオに助けを求めた。

トーリオはこれに応じシカゴへと向かい、コロシモを救ってやる。そんな経緯でトーリオはシカゴのナンバー2へと出世していた。

トーリオは競合が溢れるニューヨークに見切りをつけていたのです。
カポネ、シカゴへ行く
禁酒法の施行が目前となると、酒の密売に反対するコロシモはトーリオにとって邪魔になった。
また、トーリオは売春婦に手を出すことはなかったが、コロシモは女たらしで隙だらけ。 足手まといとも思われた。
そこでトーリオは、ニューヨークから、イエールを呼びコロシモを殺害。

コロシモの葬式には5000人が詰めかけ、そこでトーリオは涙を流したという。
コロシモ殺しの真相には諸説あるが、結果トーリオは、スピークイージーや酒の密輸など、多岐に渡る事業の指揮をとることに。

この暗殺は、ドラマ「ボードウォークエンパイア」で忠実に描かれています。
そしてボスとなったトーリオはカポネをシカゴに誘う。
カポネは売春宿の管理など多くの仕事を任され、一財産を築いた。

この辺りからカポネは多額の儲けの隠れ蓑として家具屋を自称するように。

順風満帆なトーリオとカポネだったが、徐々に密造酒を巡る抗争が激しくなってくる。
混乱を避けるために、トーリオは本拠地を隣街のシセロへ移した。

トーリオが旅行で不在の間、代役を勤めたカポネは、やっと有名ギャングの仲間入りを果たす。

カポネは二人の兄を仲間に引き入れ、酒場の運営などを任せ商売は順調。
しかし、兄のフランクが警官に射殺される事件が起きる。

カポネは打ちのめされ、深く悲しんだ。
フランクの死には、ライバルギャングの陰謀説や、警官をギャングと間違えたフランクが銃を抜いた。 など諸説ある。
その諸説に登場するライバルギャングは、ダイオン・オバニオンという。

オバニオンは花が好きで花屋を営んでいた。
足は左足が短く、歩くときは足を引きずっていて、誰かを呼ぶときは「先生」と呼ぶクセが。
オバニオンは、表向きは無害そうなアイリッシュだったが、冷酷なギャングのボスとして知られ、63人を殺害していた。。
このオバニオンはカポネとトーリオにとってこれ以上ない厄介な相手となるのだった。。

明日はシカゴのビール戦争を紹介していきます!
