三分で学ぶ!シカゴマフィア アウトフィット
三分で学ぶ マフィア暗黒史
~アウトフィット編~
今回は、シカゴのマフィア 「アウトフィット」について解説していきます!
基本的に、シカゴのマフィア=アウトフィットだけ覚えておくと、映画観賞や読書の時に役立ちますよ!
ニューヨークの五大ファミリーとは違いシカゴを支配しているのはアウトフィットひとつだけ。
カポネの時代に、ライバル組織を皆殺しにして以来、アウトフィットの天下が続いています。
アウトフィットの由来
なぜ、シカゴのマフィアはアウトフィットと呼ばれているのでしょうか?
そう呼ばれ始めたのはアル・カポネの時代。
そもそもアウトフィットとは“旅行に必要な品”、“出掛ける際に必要な一式”といった意味。
アルカポネはユーモアを込めて、ボディーガード達について「出掛けるのに欠かせないアウトフィットのひとつだ」とマスコミによく話していました。
これを聞いたマスコミが、アウトフィット=ボディーガード=マフィアと思い、カポネの組織を新聞でアウトフィットと書いたことが始まりと言われています。
ちなみにカポネ自身は組織の事は“ラケット”や“私の組織”と称していました。
歴代メンバー紹介
※年数はwikiより参照
1910年‐1920年 ジェームズ・コロシモ
1920年‐1925年 ジョニー・トーリオ
カポネの師匠。
全国会議の議長を勤めたこともある。
1925年‐1932年 アル・カポネ
説明不要の帝王。
実は若くて、ボスになった時点で26才。 失脚した時の年齢は31才。
見た目の割に同い年でびっくりしましたw
1932年‐1943年 フランク・ニッティ
映画「アンタッチャブル」や「ロードトゥパーディション」にも登場。
若い頃は床屋で働いていた。
閉所恐怖症で、懲役が嫌すぎて自殺した。
1943年‐1945年 ポール・リッカ
あだ名の「ウェイター」は若い頃ウェイターとして働いていた事から。
長きに渡り組織を支配した。
イケメン
1945年‐1956年 アンソニー・アッカルド
マシンガン・マクガーン(後述)のスカウトでマフィアの世界へ
私生活ではなるべく一般人に溶け込むよう努力したそうです。
しかしながら、レストランで注文の品が出てくるのが遅いとキレて、ウェイターをナイフで切りつける事もあった。
あだ名のバッターズは野球バットの使い方が上手い事から(もちろん打つのはボールじゃない)
愛妻家で愛人を作らなかった。
逮捕された事もなく、病死で亡くなった。
1957年‐1966年 サム・ジアンカーナ
代理ボスという説も。
ケネディ暗殺に深い関わりがあると言われている。
フランク・シナトラと仲が良かった。
代理に添えたのはアッカルドだったが、目立ちたがりのジアンカーナとは反りが合わず、暗殺したと言われている。
1971年‐1986年 ジョセフ・アイウッパ
映画カジノで描かれた故郷のボスとは彼の事。
その他の有名メンバー
ジャック・マシンガン・マクガーン
「聖バレンタインの虐殺」を指揮したと言われている。
スポーツ万能で、色男だった。
モンタナ・ジョー
日系アメリカ人
マレー・ハンフリーズ
政界との取引を引き受けており、アウトフィットのフィクサーとよばれた。
ミッキー・コーエン
後にロサンゼルスのボスとなる。
アンソニー・スピロトロ
映画「カジノ」でジョー・ペシが演じた
カポネの兄貴分。 めちゃくちゃ不潔だったらしい。
などが所属していた。
どのファミリーよりも濃いメンバーが揃っていますw
後継者に恵まれない事が多いマフィア界で、これほどまでに層が厚いのは、圧巻の一言。