三分で学ぶ!ジョニー・トーリオ
三分で学ぶマフィア暗黒史 ジョニー・トーリオ
目次
ジョニー・トーリオはマフィアを語る上で書かせない存在。
アルカポネの師匠にして、ルチアーノとランスキーのアドバイザー。
私の最も尊敬するマフィアの一人でもあります。
ジョニートーリオの生い立ち
トーリオは1882年1月20日、南イタリアで鉄道作業員の息子として産まれた。
その二年後、父が仕事中の事故で亡くなってしまう。そして家族は、豊かな生活を求めてアメリカへ移住。
ローワーイーストサイドで暮らし始めた。
トーリオ青年時代
成長したトーリオはマンハッタンで警備員の仕事を得る。
そこで貯めたお金をトーリオは、玉突き場を開業した。
やがて玉突き場はギャングの溜まり場となり、トーリオはギャング達を仕切るように。
小柄で細身だがトーリオには不思議な魅力があり人望を集めた。
トーリオは溜まり場を拠点に高利貸しやギャンブル事業を始め、金を稼いでいく。
そんなトーリオにファイブポインツギャングのポール・ケリーから参加に入らないかと誘いが来た。
トーリオはポール・ケリーを尊敬し、多くの事を学んだと言われている。
そしてケリーのやり方は、トーリオから後の大物達へと受け継がれて行くのでした。
アルカポネとジョニートーリオ
「三分で学ぶアルカポネ」で解説したように、トーリオは金の集金などの雑用は近所の子供に任せる事も多かった。
そして数いる悪ガキの中からトーリオは、才能を感じさせる少年を見つけた。
少年の名前はアルカポネ。
カポネの才能を見込んだトーリオは世話を焼き、弟のように可愛がった。
やがてトーリオはギャングやマフィアが跋扈し、争いの絶えないニューヨークに見切りをつけ、シカゴへ移る事を考え始める。
そこへトーリオに絶好のオファーが舞い込んだ。
トーリオシカゴへ
オファーの主は、シカゴのボス ビッグジム・コロシモ。
コロシモの専門は売春で、武力に長けたギャングではなく、そこに目を付けたブラックハンドに揺すられていた。
コロシモはブラックハンドに対抗する為に、トーリオをシカゴへと誘ったのだ。
1919年、トーリオはシカゴへと移住。
ブラックハンドを消して信頼を勝ち得たトーリオは、コロシモの右腕となった。
ちなみにトーリオはカポネの息子のゴッドファーザーでもあります。
禁酒法とシカゴ
トーリオは禁酒法により密造酒ビジネスが、盛んになることを見抜いていた。
その証拠にトーリオはシカゴのギャングを集めて縄張りを割り振り、平和協定を結んでいる。
これにより密造酒ビジネスを巡る争いは、少し緩和された。
トーリオは禁酒法の施行後を見据えていたが、コロシモは違った。
コロシモの専門は売春であり、密造酒には興味がなかったし、密造酒ビジネスに否定的ですらあったのだ。
そこでトーリオは、ニューヨークのフランキー・イエールに依頼しコロシモを殺害。
シカゴで押しも押されもせぬボスとしての地位を確立。
ボスとなったトーリオは堅気の仕事に就いていたカポネをシカゴへと誘い右腕とした。
一方、トーリオの私生活は質素なもので、夕方には帰宅して妻と自宅で過ごした。
売春婦に手を出したり、夜な夜な街へ繰り出すこともなかった。
オバニオン一味vsジョニートーリオ
基本的にトーリオは争いを好まなかったし、個人的に暴力を振るう事もなかった。
だが平和主義のトーリオも殺さざるを得ない男がいた。 ダイオン・オバニオンである。
オバニオンはキレると無茶をする男で、平和協定を守らない事で、トーリオを悩ませていた。
さらにオバニオンはトーリオに、醸造所を譲渡、それから逮捕させるという罠を仕掛ける。
流石にキレたトーリオは、オバニオンの殺害を命令。
オバニオンは自身の所有する花屋で射殺された。
しかし、オバニオンを慕っていた手下達がトーリオを付け狙うようになる。
トーリオはシカゴを離れる事を余儀なくされ、しばらくの間地方を転々とした。
トーリオ暗殺
ある日、シカゴの自宅へ妻と戻ったトーリオは殺し屋に急襲される。
首や股間を撃たれたものの、ギリギリ一命を取り留めたトーリオは引退を決断。
今後はアルカポネにボスの座を譲り、アドバイザーとして活動する事にした。
「全てお前のものだ、アル。俺は引退する。ヨーロッパでのんびりするよ」
この暗殺未遂の真犯人は実はアルカポネだった。という説も。
こうして1925年に引退し、イタリアへ移住したトーリオでしたが〝マフィア弾圧〟の煽りを受けて28年に帰国。
トーリオはラッキー・ルチアーノとマイヤー・ランスキーのアドバイザーを勤めるようになる。
そして1929年、アトランティックシティで開催された全国会議では議長を勤めた。
参加したのは
イーノック・ジョンソン
ラッキー・ルチアーノ
マイヤー・ランスキー
フランク・コステロ
ルイス・バカルター
アルカポネなどそうそうたる面々。
そこで議長を勤めたトーリオがいかに尊敬されていたかは、想像に難くない。
ちなみにドラマ ボードウォークエンパイアはこの辺りから多くの着想を得ています。
この会議で「アルカポネは引退し、事業をトーリオへ引き渡す」という取り決めが結ばれた。
これはもしかしたら、トーリオとカポネの確執が原因だったのかもしれない。
ちなみにアルカポネは、この取り決めに逆らい、シカゴを支配し続けた。
トーリオの晩年
その後もルチアーノ、ランスキーのアドバイザーとして活躍し続けたが1936年に脱税で起訴され、二年間服役した。
それからの人生は平穏そのもので、1957年4月16日に床屋で心臓発作を起こし亡くなった。
妻のアンナは7年後の1964年に亡くなるまで、一人で暮らした。
アンナはトーリオについて、これ以上ない理想的な夫だっと振り返っている。