映画予習 三分で学ぶ アルカポネ バレンタインの虐殺~アンタッチャブル編
三分で学ぶアルカポネpart3

三分で学ぶアルカポネpart3です
バグズ・モラン
死んだハイミー・ワイスの後を引き継いだのは、バグズ・モランというギャング。
モランは平和協定からしばらくすると、幾度も攻撃をしかけ、カポネを悩ませるようになった。
ある日マシンガンマクガーンが、モランの殺し屋に殺されかけ、この報復としてマクガーンはカポネに、モラン一味抹殺計画を進言。

ゴーサインを得たマクガーンは、アンセルミ、スカリーゼ等を選抜して、チームを編成した。



ちなみにこの二人はバットで撲殺されるあの人物。
聖バレンタインの虐殺
1929年2月14日、モランが拠点の倉庫へ入ったことを確認した殺し屋達は、警官に変装して倉庫へ踏み込んだ。
殺し屋達は、中にいた7人に両手をあげて壁に向かい横並びになるよう命じ、そしてトンプソンマシンガンと散弾銃で一気になぎ倒した。
しかしモランが倉庫へ入ったというのは見間違いだった。
モランは倉庫前に止まったパトカーを見て逃げおうせていたのだ。
この事件は「聖バレンタインの虐殺」として、全米に知れわたる。


命じた当のカポネは、マイアミの別荘で休暇をとっており、アリバイがあると主張。
しかしこの事件の影響は絶大で、カポネを恐れたギャング達はシカゴから大挙して逃げ出した。
またニューヨークのルチアーノやランスキーは、あまりに目立つ大虐殺を非難した。
マフィアの全国会議
その年の5月、マフィアは全国的な会議を開いた。
場所は、アトランティックシティ。
ホストはナッキー・ジョンソン。
ルチアーノが後に語ったエピソードがある。
ナッキーは豪華なホテルを用意したが、実はホテルはユダヤ人お断りだった。
そのため出席者にはユダヤ系も多かった一向は宿泊を拒否されてしまう。
そこでカポネがキレる。
ナッキーとカポネは怒鳴りあい、業を煮やしたナッキーはなんと、カポネを抱え車の中へ放り投げてからこう言った。
「俺についてこい!」
ナッキーは権力を行使して、同じくらい豪勢なホテルを全員に用意した。
ナッキーはさらに全員へ極上のもてなしを用意していた。
妻を同伴した者には、毛皮のコートまでプレゼントしたという。
この会議には、ニューヨークから
ラッキー・ルチアーノ、
マイヤー・ランスキー、
シカゴからは、アル・カポネ、ジャック・グージック(ボディーガードはトニー・アッカルドだった)、その他各地から有力なギャング(マフィア)が集まった。
そして、議長はジョニー・トーリオが勤めることに。
トーリオはカポネに引退を進めるため、会議へやって来たのだった。

参加者は遊歩道(ボードウォーク)や砂浜で議論を交わし、やがていくつかの取り決めが生まれた。
まず殺人は止めて、問題は委員会で決めること。
この取り決めは、後にコミッションが発足した際にも採用されている。
次に委員会は、トーリオがまとめること。
そして最も重要なのは、カポネは引退し、ビジネスはトーリオに引き渡すこと。
そしてトーリオはビジネスの上がりを、全国の仲間に分配すること。
カポネはこの取り決めから逃れるために自ら逮捕、投獄された。
一年ほど服役すれば、ほとぼりも冷めると思ったのだ。

アンタッチャブル
結局、服役生活に耐えかねたカポネは、10ヵ月で刑務所から出てきた。
勿論、獄中でも何不自由ない生活を送ったが、退屈だったのだ。
この時期、エリオット・ネスは〝カポネ帝国〟の取り締まりに乗り出す。
だがカポネは、ネスなど眼中になかった。
ちなみに、ラッキー・ルチアーノも晩年、記者に「エリオット・ネスについてどう思いますか?」の訊かれ、「誰のことだ?」と答えている。

映画「アンタッチャブル」の主役 ネスは現実世界では脇役に過ぎなかったのです
カポネが抱える問題は、ネスの手入れではなく、カポネの仲間達、フランク・ニッティやマクガーン、グージックなどが続々と逮捕された事、そしてニッティとグージックを脱税で起訴した国税庁が次に狙うのはもちろん、アル・カポネである事だった。
恐れをなしたカポネのは、税金を納めると申し出たが拒否される。
カポネの悪名は、大統領の耳にまで届き、「絶対に逮捕するように」と指令が出されていたのだ。
さらに執念を燃やす国税庁はついに、カポネの組織にイヌを送り込むことに成功。
マイク・マローンという捜査官は、ギャングのデ・アンジェロとしてカポネの部下となっていた。

マローンは1928年から31年まで潜入していたそう。

余談だが、デ・アンジェロはフランク・ニッティの誕生日会に呼ばれた際に、舌の痺れるステーキをふるまわれた事がある。
正体がバレて毒を盛られたと思ったアンジェロは、取り乱してポール・リッカに「これはなんだ!」と聞いた所、「スパイスの効いたステーキさ。気に入らないのか?」と言われた。
そんな事もありつつ、アンジェロと新たに潜入した捜査官は二人で情報を集めていく。
そしてある日、カポネの部下が「国税庁はカポネを有罪に出来る帳簿を持っているのに気付かないんだ」と話しているのを盗み聞く。
すぐさま情報は国税庁に伝えられ、調べた結果、それは五年も前に押収した証拠品だった。
しかし、帳簿は暗号化されている。

帳簿を解読すべく、国税庁はカポネの帳簿係を捕まえ、虫嫌いの彼を虫攻めにした。

〝虫攻め〟は、映画「アンタッチャブル」でも描かれたが、実際にも行われたのだ。
逮捕が迫ったカポネは、ホームレスへの無料給食で世論を見方につけようとした。

だが、カポネの逮捕は時間の問題となっていた。
コミッション
1931年、シカゴでカポネに操作の手が迫っている頃、ニューヨークではサルヴァトーレ・マランツァーノがジョー・マッセリアを倒し、五大ファミリーを再編していた。
マランツァーノは再編後、会議をシカゴで開く事にする。
カポネはこれに快く応じ、会場をセッティング。
前回アトランティックシティ会議では、不本意な取り決めをさせられたが、勢力図の変わった今ならカポネに有利な取り決めを新たに結べると考えたのだ。
カポネはマッセリアへ軍資金を提供していたが、マランツァーノから中立でいて貰いたいと頼まれて、それに従ったという経緯があった。
それを踏まえ、会議の席でマランツァーノは「かつては敵だったが、今は違う。 シカゴのボスと協力して平和を享受したい」と述べ、カポネもマランツァーノを褒め称えた。

結果、前回の取り決めは忘れ去られ、「アル・カポネはシカゴのボスである」と正式に認められる。
次いでカポネはもう一つの問題、脱税問題を解決する事に。
1931年6月5日(32才)、カポネは正式に起訴された。

カポネは起訴を見越して有罪を認める代わりに減刑して欲しいと取引を申し出ていた。
しかし取引の交渉中に突然、起訴が発表されカポネは不意打ちを食らう形に。
当然、減刑の話はなくなってしまい、カポネは再び窮地に立たされた。


ちなみにマランツァーノはこの直後にカポネを含む若手マフィアを皆殺しにしようとするも、ルチアーノに先手を打たれ死亡した。
