三分で学ぶ ジョー・マッセリア
三分で学ぶ ジョー・マッセリア
目次
今回はマフィアを語る上で欠かせない一人、ジョー・マッセリアを紹介していきます。
ジョー・マッセリアの生い立ち
ジュゼッペ・マッセリアは1886年1月17日シチリアの仕立て屋の家庭に誕生。
16才の時にアメリカへ移住した。
その後、マンハッタンを支配していたモレロファミリーに加入しマフィア人生をスタートさせる。
ちなみにボスのジュゼッペ・モレロもシチリアの出身で、ライバルはナポリ出身のギャングだった。
この両者の争いはマフィア-カモッラ戦争として語り継がれている。
頭角を現すマッセリア
1913年5月23日マッセリアは強盗の罪で逮捕、服役。
1919年頃には出所し、ダキーラファミリーのボス サルヴァトーレ・ダキーラと戦争を始めた。
争いが激しさを増してきた頃、マッセリアはさらなる武力を求めて新進気鋭の若手ギャング チャーリー〝ラッキー〟ルチアーノを勧誘する。
次に野心家のマッセリアはテラヴァノファミリーのボスを殺害しシマを奪おうと画策。
しかし翌日、報復として襲撃されてしまう。
マッセリアは四人のヒットマンに発砲されたものの身軽に弾丸を交わして逃走した。
ちなみにマッセリアはかなり食事の取り方が汚い事で知られていて、同席した者は食欲が失せるほどだったそう。
弾丸をかわすことができる男
1922年8月9日 マッセリアが住まいのアパートから通りに出ると、二人のヒットマンが駆け寄ってきて発砲した。
これもひょいひょいと飛び回り、避けたマッセリアはヒットマンチームはカーチェイスを繰り広げ、無関係の6人が流れ弾で負傷した。
事件を聞き付けた警察がマッセリアをアパートへ行くと、彼はベッドに腰かけてぼんやりしていたという。
よくみるとマッセリアのハットには二つの穴が空いていた。
仲間によるとマッセリアは襲われた事よりもハットを撃たれた事に激怒していたそう。
この事件以来、マッセリアは「弾丸をかわすことができる男」、「不死身の男」として恐れられるようになり、次第に勢力を拡大していった。
そしてついにファミリーのボスに昇格、元のボス ジュゼッペ・モレロは相談役の地位に収まった。
ちなみにこの時代に登場するファミリーはカステランマレーゼ戦争の後、消滅するので印象は薄いです。
残った組員は五大ファミリーに吸収される事となります。
天下分け目の一戦
1928年の冬、ジョーザボスを自称するマッセリアはマフィア界制覇に乗り出した。
ニューヨークに限らず全米のファミリーに上納金と忠誠を求め、従わない者は容赦なく殺害された。
その頃、カステラマーレディスタビアからアメリカマフィアを統治するために一人の男が送り込まれた。
名前はサルヴァトーレ・マランツァーノ。
マランツァーノとマッセリアは次第に対立を強めて行く。
マランツァーノは知的な人物で、粗野なマッセリアとは正反対。
さらに他人種との取引を許すマランツァーノに対して許さないマッセリア。
両者は絶対に共存出来ない存在だったのだ。
そしてマッセリアが「カステッランマーレ・デル・ゴルフォ出身者は皆殺しにする」と宣言した事から、本格的な戦争が始まる。
主な勢力図はこんな感じ。
この戦争は後にジョセフ・バラキ(映画バラキの主人公)が語った通り多くの死傷者を出すこととなる。
争いは単純な武力衝突以上に、激しい人員の切り崩し合いの側面が強かった。
マッセリア側にいたガエタノ・レイナはマランツァーノ側に寝返ろうと画策したが、勘づかれ殺害されている。
その他にも全米各地で代理戦争が行われていて、犠牲者の数は計り知れない。
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1930年8月15日にはジュゼッペ・モレロが事務所にいた所を襲撃され射殺され、マッセリアは大事な頭脳を失うこととなった。
ラッキールチアーノの裏切り
マッセリアの腹心の一人、ラッキールチアーノもマッセリアに見切りをつけ、マランツァーノ側に寝返ろうとする。
それに気がついたマッセリアはルチアーノ殺害を決意、ジョー・アドニスにそれを伝えた。
しかしこの計画はアドニスからルチアーノへと漏れてしまう。
1931年4月15日、ルチアーノに誘われマッセリアはレストランに赴き、作戦会議を行っていた。
二人は食事を終え、それからトランプに興じながら親交を深めた。
やがてルチアーノがトランプを中断しトイレに立つと、入れ違いに四人の男達が店に入ってきた。
アルバート・アナスタシア、ヴィト・ジェノベーゼ、ジョー・アドニス、ベンジャミン〝バグジー〟シーゲル。
いづれもルチアーノの親友で、腹心中の腹心。
四人は容赦なくマッセリアに銃弾を浴びせた。
マッセリアが死亡した際にスペードのエースを持っていた事から、「スペードのエースは死を招く」と言われている。
しかしこのカードは新聞記者が‘‘映え’’の為に持たせたものである。
疑惑の未解決事件
勿論ルチアーノは重要参考人として警察に尋問されたが、「トイレにいた」の一点張りで何も話さなかった。
当時、警察はジョン・ジュストラというギャングがマッセリア殺害の銃撃者の一人であると見ていた。
これは、情報提供者の報告と殺人現場で見つかったコートの1つがジュストラのものであったことかららしい。
しかし1931年7月9日にジュストラが殺害され、事件は永久に未解決となった。
また当時のニューヨークタイムスはこう伝えている。
「警察は何が起こったのかを明確に知ることができなかった。
伝えられるところによるとマッセリアは後ろから発砲されたとき、2人か3人の男性と一緒にテーブルでトランプをしてていたらしい。
彼は頭、背中、胸への銃撃で亡くなりました。
マッセリアの解剖報告は、彼が空腹で死亡したことを示している。」
果たしてどこまでが真実なのかは闇の中です。
こうしてマッセリアは戦いに破れ、マフィアは近代化に向けて一気に動き始めるのでした。
余談 映画とドラマのマッセリア
個人的に一番マッセリアを格好良く描いていると思うのがドラマ 「ボードウォークエンパイア」
ちなみにマッセリアは食べ方が豚のように汚いと言われていてその面は映画「モブスターズ」がよく描いている。