ホットスプリングス

マフィアの街ホットスプリングス

ラスベガスが開発される以前、アーカンソー州のホットスプリングスはマフィアの街として知られていた。

ホットスプリングスにはマフィア同士で争わないという暗黙の了解があり、休暇を取りたい多くのマフィアが訪れていた。

ホットスプリングスを愛した有名所のマフィアにはアル・カポネアルバート・アナスタシアベンジャミン・“バグジー”・シーゲルなどがいる。

もうひとつのマフィア人気の理由はその名の通り温泉。

1930年頃にダッチ・シュルツが医師から“温泉は撃たれた傷に効く”ときき皆にホットスプリングスの温泉を紹介したことも一役買っていた。

また春にはベーブ・ルースがトレーニングに訪れることでも知られていたし、ギャンブルを楽しみたい観光客からも人気のスポットだった。

逃亡中のラッキールチアーノ

ルチアーノが滞在したホテル

1936年、指名手配中のチャールズ・ラッキー・ルチアーノは身を隠すためにホットスプリングスの責任者 オウニー・マドュンを頼りホットスプリングスを訪れていた。

チャールズ・ラッキー・ルチアーノ

結局の所ルチアーノは捕まってしまうがしばらくの間潜伏し優雅な時間を楽しんでいたとか。

オウニー・マドュンといえばハーレムのコットンクラブのオーナーとして知られる人物である。

有罪を受けたマドュンは1930年代半ばにホットスプリングスへと移住しそこで運命的な出会いを果たしていた。

恋のキューピッドとなったのは荒くれ者のギャング ダッチ・シュルツ。

ある日、シュルツはマドュンにオススメのホテルを紹介した。

「絶対に気に入るさ。
ホテルからほんの少しのところに、ギャンブル場があるんだ。
それに退屈したら近くのティー&ギフトショップに行くといい。」

マドュンはこのホテルを利用しティー&ギフトショップを経営していた女性オーナーと恋に落ち結婚。1965年に73歳で亡くなるまで一緒だった。

近年のホットスプリングス

マドュンが亡くなった後もホットスプリングスはマフィアの街であった。

フランク・コステロが友人との会合場所として使用していたり、マイヤー・ランスキーがカジノを開いたりしている。

FBIの記録にはナイトクラブでの公演中にガールフレンド フィリス・マクガイアを訪ねてシカゴのボス サム・ジアンカーナがやってきていたとの報告もある。

また、1899年には違法なギャンブルを取り締まろうとした郡保安官事務所のメンバー5人が銃撃戦により射殺される事件死が発生している。

マフィアグッズ専門店

現在は再び観光地として盛り上げようという試みが行われており今後に期待です!

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