三分で学ぶ ラッキールチアーノ&マイヤーランスキー

三分で学ぶマフィア暗黒史
ラッキー・ルチアーノとマイヤーランスキー編

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マフィア史を語るにあって、かかせない二人を紹介していきます。

チャーリー・ラッキー・ルチアーノとは?

チャーリー・ラッキー・ルチアーノ

貧困家庭に育ち、帽子の配送や何でも屋の仕事の傍らビジネスの基盤を築く。

当時のボス ジョー・マッセリアにランスキー等と手を切り仲間に加わるよう脅されたが断り、拷問され顔に深い傷を負った。

拷問されても生き残った事から、「ラッキー」のあだ名がついたと言われているが、実際には競馬でツイていた事から。

人種を問わず有力な人材を受け入れ、類い希なカリスマ性でそれをまとめあげた。

だが無実の罪を着せられ、有罪判決を受けてしまう。

しかしランスキーの助力で釈放。国外追放処分となった。

その後は一旦、フランク・コステロにファミリーを任せ、キューバからアメリカマフィアを支配しようと計画したが、キューバからも国外追放されてしまう。

キューバ追放後は、イタリアで生活し、影響力を持ち続けた。

晩年までランスキーと家族ぐるみの付き合いがあった。

その一方、最期は心臓発作で亡くなったが、これにはランスキーによる暗殺説もある。

女好きで知られ、好きな食べ物はバニラアイス。

マイヤー・ランスキー とは?

マイヤー・ランスキー

ランスキーは様々な有名作品に登場している

「ゴッドファーザーpart2」

「ワンスアポンアタイムインアメリカ」

「モブスターズ」

「ボードウォークエンパイア」

「カジノ」

「アイリッシュマン」  

「カポネ  人と時代」

「フェイク」

などなど

ランスキーは少年時代、小柄ながら何度殴られても屈服しない姿を認められラッキー・ルチアーノの相棒となり、 後にマフィアの財政顧問、全国会議の議長となった。

ルチアーノと共に古い世代のボスを排除して、近代的でビジネス重視の組織づくりを行った事でも有名。 

ナンバーズ賭博、ラスベガスを大都市にする事などを発案したと言われ、マフィアで最も賢い男と呼ばれ尊敬を集めた。

ルチアーノを釈放させる為に、CIAに協力した事も。

1930年代には夢であったキューバにマフィア帝国を築く野望に奔走し、超豪華リゾート リヴィエラを建造。

マフィアの全国会議「コミッション」の議長を勤めるなどユダヤ人ながらイタリアマフィアの要とも言える存在。

後にランスキーを知る人物は  「ランスキーがマフィアを作った」 とまで言った。

小柄で紳士的、読書家、愛妻家で知られた。

ラッキー・ルチアーノ
バグジー・シーゲル
フランク・コステロとは固い友情で結ばれていました。

ちなみに四人の年齢は離れていて
1891年 コステロ誕生

1897年ルチアーノ誕生

1902年 ランスキー誕生

1906年 バグジー誕生

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