三分で学ぶ ジェイクグージック
三分で学ぶ ジェイク・グージック
今回は、暴力も殺しも苦手ながら、長年マフィア界で活躍したジェイク・グージックを紹介していきます。
穏健派のマフィアは多いですが、グージックほど暴力と無縁だったマフィアはいないと思われる。
彼はどのようにして、マフィア界で出世し、権力を維持し続けたのでしょうか。
ちなみにグージックは不潔で臭い事で知られており、「週間以内に食べた食事のカスが全部服についている」「腐った体臭」などと散々な評判も。。
ジェイク・グージックの生い立ち
グージックは1886年3月20日、オーストラリアでユダヤ人の両親の元に誕生した。
家族は1900年代にアメリカ シカゴに移住、父は売春宿を経営し成功する。
そして家業とも言える〝売春ビジネス〟を継いだグージックはやがてマフィアと繋がりを持つように。。
アルカポネとグージック
グージックは大物マフィア ジョニー・トーリオと提携し、売春の他に密造酒ビジネスにも乗り出した。
穏和なトーリオとは性格的にもうまくいったそう。
グージックは警官や政治家の買収を任され、1924年には押収された帳簿を取り戻すという大手がらを立てている。
ちなみにあだ名の〝グリージーサム〟は賄賂を渡すときに汚い親指で金を数えた事からつけられたという。
そしてグージックはトーリオの子分 アル・カポネとも出会う。
カポネは穏和な性格のグージックを慕い、グージックは〝兄貴分〟のような存在に。
ある日、グージックはカポネを襲う計画を耳にし、カポネにそれを教えてやったことから二人の中はさらに深まった。
そのお返しとしてカポネはこんな事件を起こす。
1924年5月 グージックはフリーのギャングと争いの末、ひどく痛め付けられてしまう。
それを知ったカポネは犯人を探しだし、彼のいるバーへと向かった。
カポネがそこにつくと犯人はちょうど「あのユダヤ人、泣き言を垂れやがった」とグージックを痛め付けた事を自慢している真っ最中。
やがて犯人はカポネに気付き、丁寧に挨拶したが、カポネの怒りは収まらない。
カポネは犯人を痛め付け、最後はリボルバーを口にネジ込み、脳ミソを吹っ飛ばした。
この二人の友情はカポネがボスになった後も続き、グージックはカポネの信頼できる部下として商売を助け、カポネも暴力が嫌いなグージックを保護した。
アドバイザー グージック
やがてシカゴの密造酒戦争が熾烈を極めると、ボスとなったカポネは聡明なグージックによくアドバイスを求めるようになった。
これには二人の友情の他に、グージックがトップに立とうとするような性格ではなかった事も大きな要因と思われます。
さらに イーノック・ジョンソンやラッキー・ルチアーノが組織したシンジゲート ビッグシックスのアトランティックシティ会議にもカポネ、アンソニー・アッカルドと共に出席。
しかしカポネ帝国は長くは続かず、グージックもカポネ摘発への流れで、脱税で起訴、服役した。
カポネの死後
カポネの死後も、多くの人から慕われたグージックは権力を保ち続け、シカゴマフィア アウトフィットの為に働く。
アッカルドとグージックは度々、フランク・コステロやマイヤー・ランスキーと話し合いに出向き、シカゴとニューヨークの関係改善に勤めていた。
ちなみに、アルカポネの葬儀に駆けつけた数少ないマフィアでもある。
その後はキーフォーヴァー委員会に召喚されたが、服役する事はなく1956年2月21日に心筋梗塞で亡くなった。
葬式にはユダヤ人としては前代未聞の数のイタリア人が出席し、彼の影響力を伺わせた。
そして彼の死をきっかけにあの大物マフィアが脚光を浴びることとなる。。
ボードウォークエンパイアのグージック
グージックはドラマ 「ボードウォークエンパイア」にも登場しています。
とにかく不潔、しかし心優しいキャラはかなり印象的。
カポネがグージックの仇を取るエピソードも登場するので、是非ご覧ください!