三分で学ぶラッキー・ルチアーノpart7
三分で学ぶラッキー・ルチアーノpart7
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追憶の街
イタリアに到着したルチアーノは注目の的であった。
人混みの中、一人の警察官が『あなたを産まれ故郷の町に送り届けなければならい』と言った。
ルチアーノは驚き、あの田舎に縛り付ける気か!と叫んだ。
この考えはアスリンガーの入れ知恵だった。
幸いシチリアの警察は私の味方だったが、本土の警察はアスリンガーには逆らえなかったんだ
アスリンガーとはアメリカ麻薬取締局局長のハリー・アンスリンガーのことである。
ルチアーノは憎しみを込めて“アス”リンガーと呼んでいた。
翌日、シチリアの警察署に連行されたルチアーノはそこから産まれ故郷のレルカラ・フリッディに送られた。
道中、車窓から景色を眺めるうちにルチアーノは“ルカーニア”だった頃の記憶を思い出していた。
貧しい家庭の少年の世界の全てだった村は昔と何一つ変わっていなかった。
しかし、車が村の広場に入ると世界は一変していた。
広場は星条旗やらで装飾され、明るい音楽が鳴り響いていたのだ。
村の学校や店は全て休みとなり、全員が偉大なルチアーノを一目みようと集まっていた。
ルチアーノは子供の頃よく遊んだら噴水の前にテーブルが置かれているのを発見した。
市長はそのテーブルへとルチアーノを案内し、戸籍簿に名前を書くように促した。
一瞬の静寂の後、ルチアーノがサインを終えると大歓声が巻き起こった。
サインした名前はサルヴァトーレ・ルカーニア。
ルチアーノは再びルカーニアとなったのだ。
メッセージ
街の英雄となったルチアーノは惜しみ無く金をばらまき、なに不自由ない生活を始めた。
しかしシチリアで出来ることは限られており、退屈すぎたし、もともと定住するつもりもなかった。
そこでルチアーノはまずローマに移住しようと考える。
ルチアーノはいとこのカルド・バローネに連絡をとった。
彼はいとこといっても母方の家族と遠い繋がりがあるくらいの人物だ
バローネはマフィアの一員で、彼の協力を得たルチアーノは秘密裏にナポリのホテルへ引っ越すことに成功。
1946年6月、ルチアーノがナポリで影響力を強めていた頃、一人の男が訪ねてきた。
彼もアメリカから追放されたマフィアであった。
男はまず手紙を渡した。
そこには“12月 ホテルナショナル M”と書かれていた。
ルチアーノは、これは親友マイヤー・ランスキーからのメッセージで、12月に落ち合おうという意味だとすぐに理解した。
それから男はニューヨークの状況を教えてくれた。
それによるとヴィト・ジェノベーゼが調子にのり、ルチアーノの後釜の座を狙っているとのことだった。
加えてバグジーがラスベガスに大金をつぎ込んでいると。
バグジーとランスキーの発案である“ラスベガスにカジノを作る”という計画はルチアーノも承知していた。
しかしバグジーは予算を大幅に越えた額を使い込んでいるらしかった。
9月末、ルチアーノはパスポートを手に入れ約束の地へと向かった。
ハバナ
ハバナへはメキシコを経由して向かった。
警察の目を欺くためである。
飛行機が到着すると既に懐かしい親友が待ち構えていた。
ルチアーノとランスキーは抱き合い再開を祝った。
ランスキーはルチアーノに住まいとなるホテルと表向きの仕事を用意していた。
表向きの仕事とは投資家、ランスキーが運営するホテルナショナルの株を買えと言うわけである。
私は株を仲間達から集めた金で買った。合計20万ドル以上だった
ルチアーノは歯がゆい思いでいた。
恋い焦がれるアメリカはハバナの目と鼻の先なのだ。
ルチアーノはデューイが大統領になれば帰国の許可を出すだろうと踏んでいた。
しかしデューイが大統領選に破れたことで当面は帰国出来そうになかった。
毒蛇
ランスキーは世話しなくアメリカとハバナを行き来していた。
全ては久々に開催されるコミッションの為である。
ルチアーノはコミッション開催までの間を大いに楽しんだ。
女に酒に葉巻、全てが思いのままだった。
そんなつかの間の休息は12月20日に終わりを告げた。
コミッションに招かれたメンバーがハバナに集まり始めたのだ。
最初に姿を見せたのはヴィト・ジェノベーゼだった。
ルチアーノとジェノベーゼは抱き合って挨拶した。
奴は昔と何も変わっていなかった。
若い頃と同じようにずんぐりした体型。シワシワのシャツにはタバコの灰がついていた。
ジェノベーゼは大事な話があるんだと言ってからこう切り出した。
「アナスタシアがヤバイんだ。
奴は暴走して手がつけられない。
アスリンガーを殺すとうそぶいている。 奴は麻薬でたんまり儲けているからな。
奴は信用出来ないよ。仲間の為にも奴を消さなきゃ」
私は言ってやった。「馬鹿なことを、麻薬で儲けているのはお前だろう」と
懲りないジェノベーゼは次にこう言い始めた。
「チャーリー。。あんたは長いことアメリカを離れていたからな。時代は変わったんだ」
自分もイタリアに逃亡していた事を棚にあげ、ジェノベーゼは語り続けた。
ルチアーノはじっとジェノベーゼを睨んでいた。
「あんたは引退したほうがいい。
あんたは元“ボスの中のボス”として尊敬され続けるだろう。
金も心配いらないよ。
ただ俺がボスになって現場を仕切ったほうが組織のためだろう?」
ルチアーノは柄にもなく激昂し怒鳴った。
「図々しい野郎だ!」と
それから彼を諭そうとした。
「ボスの中のボスはいないんだ。俺の気が変わったらボスになるかもしれん。
しかしお前の指図は受けない。俺は引退する気なんかないね。さぁ楽しい話をしよう」と
ジェノベーゼはしおらしくなり、ルチアーノの言葉に頷いた。
しかしジェノベーゼが許されざる野望をー。ボスの中のボスの座を狙っていることは明らかであった。
ジェノベーゼは肝が据わっているとは知っていたが、私に楯突くほどとは思っていなかったよ
翌日、ホテルナショナルにコミッションのメンバーが集結した。
集まったのは以下のメンバーである。
・バッファローのステファノ・マガディーノ
・シカゴのトニー・アッカルド
・ニューオリンズのカルロス・マルセロ
・フロリダのサント・トラフィカンテ
それからマイヤー・ランスキーとルチアーノ。
アトランティックシティ会議やシカゴ会議の時とは違い、皆に思惑があった。
シナトラ
この会議にはもう一人大物が招かれていた。
歌手のフランク・シナトラである。
警察の手入れがあった際には“シナトラの成功を祝う会”と説明する手はずになっていた。
シナトラ自身はルチアーノと面識はなかったが、獄中から多額の支援を受けており、ぜひともお礼をしたいと考えていた。
シナトラは確かに最高の歌声を持っていたがルチアーノのバックアップ、例えばレコードを店でかけたり衣装代を工面したりがなければ、ここまでの成功はできなかったのではないだろうか。
会議初日
会議は賑やかな晩餐会から始まった。
ルチアーノが長テーブルの上座に座り、皆から贈り物を受け取った。
これはルチアーノが今も尊敬に値する男だと再確認する儀式であった。
それからルチアーノは立ち上がり、皆に語りかけた。
「皆が集まってくれたことに感謝したい。今受け取った贈り物は我々のカジノに投資するつもりだ。
それからアナスタシアとジェノベーゼが揉めていると聞いたが、二人とも私の親友だ。
仲良くしてもらわなければ困る。
愛し合えとは言わんがね」
一同はわっと笑い、それから頷いた。
それからルチアーノはもう一つの提案を行った。
「時代は変わったんだ。
我々に麻薬は必要ない。
あれを扱うのは警察の思う壺だよ
少なくとも私は関わりたくないね」
一同は渋い顔をしてルチアーノとジェノベーゼを交互に見た。
集まった皆は各々意見を述べたが、誰も麻薬を辞めるとは断言しなかった。
結局、麻薬については“キューバでは扱わない”という事で一致した。
それはルチアーノとハバナのカジノに余計な迷惑をかけないためである。
それにハバナのカジノは麻薬などなくとも充分に儲かる算段だった。
ランスキーとバグジー
ルチアーノの話が終わるとランスキーが渋い顔をして立ち上がった。
ランスキーは親友 ベンジャミン・シーゲルの問題について報告した。
いきさつはこうだ。
1943年、ランスキーとバグジーは砂漠にある小さな街ラスベガスではギャンブルが合法であるという点に目を付け、ホテルカジノを建設することにした。
計画はルチアーノが承認し、ボス達は総額100万ドルをバグジーに出資。
バグジーはラスベガスに滞在し、カジノ建設に取りかかったがその費用は膨れ上がり最後には600万ドルに達した。
この件に関してランスキーは「バグジーの女がスイスの銀行に金を溜め込んでいるのがわかった」と報告。
一同は興奮しランスキーに詰め寄った。
ランスキーは「泥棒は報いを受けるべきだろう」と冷たく言い放ちそれから「とは言えオープンした後の様子を見てみよう」と付け加えた。
その後、ランスキーを抜いたメンバーで投票が行われ“バグジーは殺す”と決まった。
ただしランスキーの意見を尊重し、カジノオープンまで2日ほど様子を見てみることにした。
12月26日、メンバーは再び会議室に集まりバグジーの建設したホテルフラミンゴの初日の売上報告を待っていた。
ランスキーが電話を受けた後、「あいにくの雨で客足が悪い」と伝えるとあちこちから野次がとんだ。
ランスキーはその後も反対したが、バグジーには死刑宣告が下された。
やがて夜が明け始める頃、ルチアーノが自室に戻ろうと立ち上がるとジェノベーゼが二人だけで話したいと申し出てきた。
エレベーターに乗りドアが閉まるとジェノベーゼはおもむろに「イタリアも欲しい」と言った。
ルチアーノはジェノベーゼが何を言っているのかわからず、彼の顔をまじまじと見た。
ジェノベーゼは続けた。
「あんたはキューバからも追放されてイタリアに戻ることになる。
イタリアでのビジネスの上がりは俺に納めるんだ」
ルチアーノはジェノベーゼが“ルチアーノが麻薬を扱っている”とたれ込み国外追放させようとしているのだと思った。
私は久々にカッとなった。
これはルール違反だったが、私はジェノベーゼを何度も殴り蹴りを入れた
目立たぬよう顔は殴らなかったが奴はひどく痛め付けられて3日は寝込んでいたな
ジェノベーゼは肋骨三本を折る重傷を負っていた。
だがランスキーが秘密裏に医者を呼んでやったので大事には至らなかった。
私はジェノベーゼが帰国する前に他言無用だぞと念を押した。
だが結局のところ、悪い予感は的中したんだ。
1917年2月、ラッキー・ルチアーノとフランク・シナトラの乱交パーティーが大々的にスクープされ状況は急速に悪化してゆく。。
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