三分で学ぶ! ジョー・アドニス
三分で学ぶ!ジョー・アドニス
こんにちは!
今回は、隠れた大物マフィア ジョー・アドニスについて紹介していきます。
ジョー・アドニスの生い立ち
アドニスはイタリア系の大物ながら〝ボス〟や〝アンダーボス〟など役職には就かず、囚われなかったという点で、かなり特別な存在。
アドニスはイタリアで産まれ、1909年に家族とともにアメリカへやってきた。
当時の名前は〝ジュゼッペ・アントニオドト〟
他のマフィアと同じように路上でチンピラをしていたアドニスはラッキー・ルチアーノやマイヤー・ランスキー、バグジー・シーゲルと出会い友人に、やがて禁酒法が施行されるとルチアーノ等と共に密造酒ビジネスに参入した。
アドニスの担当はブロードウェイで主に上流階級の者達に酒を販売していた。
その頃、あるコーラスガールと出会い〝ジョー・アドニス〟とあだ名をつけられたと言われている。
その後、終生〝ジョー・アドニス〟と名乗って生きた事から、かなり特別な女性だったのかもしれません。。
禁酒法時代
アドニスは大物ギャング フランキー・イエールの傘下に入った。
アドニスはイエールを通して、アル・カポネと知り合ったと後に語っている。
ほどなくして、イエールが暗殺されるとアドニスもルチアーノと共にジョー・マッセリアの部下となった。
やがてカステランマレーゼ戦争が始まるとマッセリアはルチアーノの裏切りを疑いアドニスに〝ルチアーノ暗殺指令〟を言い渡した。
しかし、ルチアーノと古くからの友人だったアドニスはルチアーノにその旨を伝え、ルチアーノはなんとか暗殺されないように上手く立ち回った。
ルチアーノ時代
マッセリアとマランツァーノを倒しラッキー・ルチアーノがマフィアの頂点に立った。
ルチアーノは五大ファミリーとコミッションを設立し、古くからの仲間には少なからず便宜を図った。
ルチアーノの親友であるランスキーやバグジーはユダヤ系の為ファミリーの役職には就けなかったが要職を任されている。
一方、アドニスは命の恩人であり親友だったが不思議な事になんの役職にも就いてはいない。
その後アドニスは自身のイタリアンレストランをオープンし、そこを拠点にタバコの密売や宝石強盗、半合法的な車の販売を行って財を築いた。
勿論、この頃もルチアーノやランスキーとは親友であり政治家や警官の買収といった〝一流マフィア〟的な活動をしつつも、血なまぐさい誘拐事件を画策するなど、どこかチンピラ時代を思わせる面もあった。
一説によるとアドニスはファミリーの役職には就かなかったがコミッションのメンバーであり、マーダーインクを監督する役割を担っていたとも言われている。
もしかするとそれはアドニスの性格を考慮しての事だったのかもしれない。
ルチアーノ追放後
ラッキー・ルチアーノが逮捕、追放されると、アドニスはフランク・コステロと共に、ルチアーノなきファミリーの維持に尽力した。
しかし、結局は長くファミリーの運営には携わらずランスキーと共にカジノを運営する事に重きを置いた。
カジノビジネスの拠点はニュージャージーでアドニスは自宅もニュージャージーに移している。
アドニスも追放
1950年からマフィアに猛威を振るったキーフォーバー委員会。
委員会は多くのマフィアと同じようにアドニスを召喚し尋問を行った。
尋問は大した問題ではなかったが、これまで影の存在だったアドニスは世間に晒され大変なストレスを抱えることとなった。
そして1951年5月には違法賭博の罪で逮捕、三年の刑を言い渡さる。
さらに1953年8月6日、アドニスはアメリカ国籍を取得していなかった事がバレてしまい国外追放が命じられた。
妻と子供に別れを告げ、一人イタリアのナポリへ送られたアドニスは金にモノを言わせてそれなりに快適な暮らしを送ったが、いつもニューヨークを恋しがっていた。
そんなアドニスを気遣ってかアメリカ国内でマフィア達がケネディを大統領にする条件の一つとしてアドニスをアメリカに戻す事を提示した。
しかしケネディ兄弟は約束を破りアドニスのアメリカ入国は夢と消えた。。
また、イタリアには先に追放されたルチアーノがいたのが会う事は禁じられていたので会わなかったと言われている。
しかし1962年にルチアーノが亡くなった時にはアドニスは葬儀に出席しており、「友よ、永遠に」とメッセージのついた花束を送っている。
この事や二人の間柄を考えると密かに会っていたという可能性も。
それから9年後、1971年6月にアドニスはイタリア国内で起こった暗殺事件の容疑者として逮捕される。
警察は69歳のアドニスにかなり過酷な尋問を行い、同年11月アドニスは心臓発作に倒れた。
1971年11月26日、アドニスは息を引き取り、遺体はルチアーノと同じようにアメリカに埋葬された。
アドニスは終生、伊達男として知られていて、あまりに長い時間髪をとかしていたのでルチアーノが「お前はルドルフ・ヴァレンチノか?」と嫌みを言ったといわれている。
ルチアーノの命を救ったことから“歴史を変えた男”と言えるでしょう。