ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカの撮影秘話
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカの史実と映画
こんにちは! 今回は映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の撮影秘話を紹介していきます!
基本情報
監督 セルジオ・レオーネ
主演 ロバートデ・ニーロ
あらすじ wikiより
1920年代のニューヨーク。ユダヤ系移民の子、ヌードルスはある日、仲間たちと酔っ払いから財布を抜き取ろうとするが、一人の少年にそれを阻まれる。その少年はブロンクスからやってきたマックスといった。
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ヌードルスとマックスは最初こそいがみ合うものの、やがては友情で結ばれていく。禁酒法を利用して次々と犯罪行為に身を染めていく少年たちは、束の間の栄光を味わう。しかし、彼らの挫折は思わぬところで待ち受けていた。
やがて時が流れ、老け込んだヌードルスは、再びニューヨークに戻ってくる。彼の元に一通の手紙が届いたのだ。かつての面影をわずかに残すほどしかなかった老人を、再び呼び戻した人物とは、一体誰なのか。
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解説
この映画が公開されたのは、1984年ですが、原作本が産まれたのは1933年の事だった。
ユダヤ系ギャングのハリー・ゴールドバーグは刑務所内で自信の人生を綴った長編小説を書き上げた。
ちなみに、この刑務所はジョセフ・バラキやルイス・バカルターも収監されたシンシン刑務所。
この小説「ザ・フッズ」は、ハリーの妻が手直しを加え、20年後の1953年に出版され、そこそこな話題となった。
それから8年後には、ヨーロッパでも翻訳、出版される。
これを読んだセルジオ・レオーネは、「この試みのむなしさと破綻の荘厳さに心打たれた」と語っている。
ハリー・ゴールドバーグはその頃足を洗っており、〝ハリー・グレイ〟の名でコラムの執筆活動を行って暮らしいたが、まさかセルジオ・レオーネに本が読まれるとは思ってもいなかった。
映画化への道
「ザ・フッズ」に感銘を受けたセルジオ・レオーネは映画化に向けて動き出した。
しかし、ハリーは組織から身を隠している身なので、なかなか連絡がつかなかった。
それから数年後、ようやくハリーとアポを取ることに成功したセルジオ・レオーネはとあるバーで、待ち合わせた。
この時の出会いは、映画冒頭のヌードルスとモーの再開シーンのモデルとなっており、バーの内装は完璧に再現されているし、時代設定も同じ。
さらに、モー役のラリー・ラップは、役者ではなくセールスマンだったが、ハリーとレオーネが会ったバーの店員に似ている事から配役された。
セルジオ・レオーネはハリーに映画化への熱い想いを語り、二人は映画化に同意した。
しかし、映画化には多くの問題があった。
その一つはストーリー。 原作の「ザ・フッズ」は映画でいう少年時代と青年時代のみを描いた作品だったが、セルジオは老年期も映画に加えたい、そして三つの時代を交互に描きたいと考えていた。
この複雑なストーリーはなかなか完成せず、多くの人の協力により1981年にようやく仕上がる。
二人がバーで話してからストーリーの完成までには、実にに20年余りが経っていた。
脚本は原作とはかなりかけ離れたものになっており、いくつかのロマンチックなシーンやレイプシーン、赤ん坊を取り替えるシーン、そして老年期のシーンが追加されていた。
(ヌードルとデボラのロマンスは、華麗なるギャツビーを参考にしていた)
また、キャラクターの性格は実在の有名マフィアに寄せていて、
・フランキーはフランク・コステロ を参考にしていた。
他にも、組合委員長はジミー・ホッファ、老年期のマックスはケネディ家がモデルだった。
この年、ハリーは死去。
この翌年、撮影が始まった時、ロバートデ・ニーロは自身の役のモデルに会えない事を残念がった。
そこでロバート・デ・ニーロは大物ユダヤ系マフィアのマイヤー・ランスキーに会って、役の参考にしたいとお願いした。
だがあっさり断られてしまう。
しかし、ランスキーに関しては映像などの資料を手に入れることが出来たので、ロバート・デ・ニーロはその資料から多くの〝ユダヤ系マフィア〟の特徴を学んだ。
余談ですが、キャスティングには代々曲折があり1970年代頃は、ジェームズ・キャグニーが老ヌードルを演じる予定だった。
マックス役がハーヴェイ・カイテルを予定していた時期も。
映画の完成
そんな紆余曲折を経て1984年、遂に映画が公開されたが、ある意味では映画は完成していなかった。
セルジオは10時間の作品を削り、3時間49分の大作に仕上げたが、製作会社が勝手にカットして2時間24分バージョンで公開したのだ。
世間の評判は、散々となりセルジオは酷く落ち込んだ。
公開の五年後、監督も亡くなってしまい、結局この作品が評価される姿を見ることは出来なかった。
しかし2011年、スコセッシ監督の助力もあり完全版が公開されワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカは名作の仲間入りを果たした。
2019年には日本でも宝塚版が上演されるなど、現在も多くの人に愛されている。
余談
ちなみに、史実と映画の大きな違いの一つはマックスの最期である。
実際のマックスは、ヌードルスと別れたあと、ラッキールチアーノのファミリーの傘下に入り、ルイス・バカルターと殺人株式会社で働いていた。
史実と映画の違い。セルジオとハリーの出会い。 これらを踏まえて映画を見直すと、ラストシーンのあの笑顔は
「こうだったらいいのにな。。」という妄想を繰り広げたヌードルの〝願い〟であり、監督とハリー自信の〝願い〟でもあったのかもしれない。と思ってしまう。
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