ロバートケネディとホッファpart2

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ホッファとマクラレン委員会

1957年1月30日上院は満場一致で超党派の組織犯罪を通急する委員会“マクラレン委員会”を立ち上げた。

リチャード・ニクソン副大統領は、テキサス州のリンドン・ジョンソンとカリフォルニア州のウィリアム・ノーランドによって提出されたリストから8人を委員に任命。

委員長はジョン・マクレランが、最高顧問にはロバート・ケネディが選出された。

後述のトラックのおもちゃ

硫酸をかけられたコラムニスト、ビクター・リーゼルもこの活動を称賛し以下のコメントを送った。

「ロバート・ケネディはいたずらな好奇心から活動を始めたわけではありません。
これは、ここ数年で最も巧妙に、そして考え抜かれたマフィア対策です。」

同年2月の委員会は、チームスターズのデイブ・ベックに、財務記録を引き渡すか、召喚状を受けるように指示した。

ベックはヨーロッパへ長期旅行に出ていたので要求を断ったが、記者団に迫られ「アメリカに戻ったら勿論従うとも」とコメントした。

デイブ・ベック

デイブベック

2月下旬、初の公聴会が開催された。

主な内容はチームスターズの腐敗について。

特に注目を集めたのはオレゴン州のギャングの元ボス ジェームズ・バトラーエルキンズの証言だった。

彼はチームスターズが団体のロゴの付いた機械を使用するように工場などに圧力をかけていること。

従わなかった場合には、ロゴのない機械が撤去されるまでストを起こすこと。

チームスターズのメンバーがギャングと共に売春やギャンブル事業を行っていた事を明かした。

さらにチームスターズメンバーの一人 フランク・ブリュースターの名前をあげて共同で行った恐喝についても説明した。

証言によるとブリュースターは恐喝の際にこう話していたという。

「私は市長を任命できるし降ろすこともできる。
警察署長を任命するし降ろしもする。
刑務所に入っていても自由に刑務所から出て来られる。
私の恐れるものは何もない。
コンクリートのブーツを履いてワシントン湖を歩きたいのか?」

ブリュースターはこの話を勿論、否定した。

しかしエルキンズは盗聴器をつけており、様々な証言には証拠があった。

ロバート・ケネディは録音音声を元に関係者を厳しく追及し本気の度合いを父やマフィア達にも知らしめたのだった。

ベックとホッファ

ロバートがチームスターズを徹底的に攻撃する気だと知ったベックはホッファにロバートを夕食誘へと誘わせた。

ホッファにロバートを懐柔してもらおうとしたのである。

一方、その裏では腹心のジミー・ホッファによる謀反が起こっていた。

ホッファはベックの不正を密告し自分が会長の座に着こうとしたのである。

1957年2月19日、ロバートとホッファの会食が実現した。

ロバートがチームスターズの不正について質問するとホッファは驚くほど赤裸々に内情を語りだした。

後にこの事を公式にホッファもロバートも否定している。

しかし後に暗黒街では“ホッファは密告者だ”との噂が囁かれるようになってゆく。

夕食会を終えたホッファはロバートについて「ヤツは甘やかされて育ったボンボンだ」と語ったそう

チームスターズとマクラレン委員会

ホッファとロバート

マクラレン委員会はロバートが得た情報を元にベックとホッファを起訴する準備を開始する。

第一の標的になったのはなんと情報を提供したホッファだった。

1957年3月13日午後11時ワシントン北西部でホッファとマクラレン委員会のメンバーが密会を行った。

ホッファは委員会メンバーに2,000ドルを支払い内部書類を購入。

しかし書類を受け取った途端にホッファは逮捕されてしまう。

ロバートは委員会メンバーをエサにホッファを仕留めたのだ。

逮捕される事を知っていたロバートは連邦裁判所でホッファを待ち構えていた。

ロバートは連行されてきたホファと会った時の事をこう話している。
「彼は目に完全な憎しみを抱きながら3分間ほど私を見つめていた」

ホファは起訴されたものの無罪を主張し、25,000ドルの保釈金で釈放された。

この際にロバートは記者会見を開き「ホファが無罪だったなら国会議事堂から飛び降りる」と語った。

後に無罪となったホッファはロバートにおもちゃのパラシュートを送ることでこれに反撃している。

デイブ・ベックの公聴会

デイブベック

1957年3月26日、ついにベックは召喚に応じた。

ボビー・ケネディは消えた年金についてベックを厳しく尋問。

そして追及の結果、消えた年金はベックの自宅を建設する為に使用されていたと発覚した。

その他にもベックは年金をシャツ、サッカーチケット、船外機、冷凍庫、ゴルフクラブ、息子のお小遣いに使用していたのだった。

さらに委員会はベックの悪どい副業についても解明してゆく。

「組合のワシントン本部を装飾するための支払いから24,000ドルのキックバックを受け取りましたね?」

「地元住民にチームスターズのロゴが付いたおもちゃのトラックを購入するよう圧力をかけ、34,000ドルの利益を上げましたね?」

「親友の未亡人のための基金を流用しましたね?」

これらの140に及ぶ質問に対してベックは黙秘権を行使し続けた。

マフィアグッズ専門店

おもちゃのトラックは最初に合った写真のものです

この公聴会の余波でベックは代表を辞任せざるを得なくなった。

加えて1957年、ベックは大規模な窃盗罪で有罪判決を受ける。

主な内容はチームスターズが所有するキャデラックを売却して1,900ドルを稼いだこと。

ベックは15年の刑を言い渡され、さらに1959年には所得税の脱税で5年の刑を追加された。

マクラレンは大成功に終わった公聴会をこうしh評した。

「組合の資金を盗み私利私欲の為に使った貪欲で恥知らずなベックは組合を去った。
権力のある立場にいた泥棒はもういない」

マクラレン委員会

1957年7月12日、ロバートはアメリカニュース編集者協会の会議でスピーチを行った。
「組合を規制する連邦法の欠陥は解決策が見つからない限り、新しいデイブベックを産むことになるだろう。
我々は組合による不適切な行為を主張する40,000通の苦情の手紙を受け取った。

福祉、年金、その他の組合資金の不正流用、不正な選挙、武力と暴力の使用、組織のピケとボイコット。

これらを防ぐために、組合を監督する制度が必要でしょう。

ジミー・ホッファは不正な金を受け取っていたが法整備が足らず、放免されてしまった」

ホファvsロバート

公聴会でのホッファ

1957年8月、ベックに代わりチームスターズの代表となったホッファは公聴会でロバートと合間みえた。

ホッファは111の質問について記憶喪失を主張。

対するロバートはマフィアを通して証拠の入手を行っているなどとホッファを罵った。

ロバート「ホッファは架空の組合メンバーの票で首尾よくチームスターズを引き継いだ。」

ホッファ「記憶にないな」

ロバート「思い出せない?
あなたは重度の記憶喪失のようだ」

ホッファの目論みに反してロバートは不正の実態を掴みつつあった。

その中でも興味深いのはマフィアとの交友である。

ホファは代理人を使い自宅を購入していたがその自宅の前の持ち主はシカゴマフィアのボス ポール・リッカだった。

この自宅の価格は155,000ドル、費用の出所は今も謎である。

さらにシカゴのチームスターズの管財人 ジョセフ・グリムコはアンソニー・アカルドフランク・ニッティの仲間だった事で知られている。

平たく言うならグリムコはマフィアだったのだ。

加えてホファは、武装強盗、誘拐、窃盗、違法ギャンブル、悪臭爆弾の投下、暴行などで企業を脅していた、さらにストを妨害したならず者を多く雇っていることも判明した。

この公聴会でマクラレン委員会は、ホファがチームスターズの資金から240万ドルを流用したと結論付けた。

ホッファは磐石

同年10月、マイアミで開催されたチームスターズの全国大会でホッファを代表から降ろすかの議論が行われた。

意外にも結果は支持多数でホッファの在任が決定。

これに満足したホッファは堂々と壇上に立ち「私たちはまともな労働組合員であり有用な市民です!
それなのに私は殴打され、脅迫され、虐待された 」と呼び掛けた。

ホッファ在任を受けてマクラレン委員会は危機感を募らせていた。

「もしホファがアメリカ政府と戦うならば、まともな組合主義は失われ、この国の労使関係はジャングルに戻るだろう。。」

part3へ続く

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