ラッキールチアーノが変えた イタリアマフィア

三分で学ぶマフィア暗黒史
~ルチアーノが変えたイタリアマフィア編

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こんにちは!

今回は、皆さん大好き チャーリー・ラッキー・ルチアーノとイタリアマフィアの関連をさらっと解説していきます。

ピアノを弾くルチアーノ

ルチアーノはイタリアマフィアでは?と思った方も多いはず。

ご存知の通り、マフィアはイタリア系ですが、アメリカで発展していったマフィアと本国に根を張るマフィアには大きな違いがありました。

アメリカマフィアとイタリアマフィアは区別してお考え下さい。

イタリアマフィアとアメリカマフィア

以前、紹介した 五大ファミリー編 に登場したサルヴァトーレ・マランツァーノや本国に深いルーツを持つ、ジョゼフ・ボナンノなどは、イタリアマフィアに近い古い伝統を重んじるマフィアでした。

サルヴァトーレ・マランツァーノ
ジョセフ・ボナンノ

一方、マランツァーノを倒したラッキー・ルチアーノフランク・コステロなどは、アメリカナイズされた前衛的なマフィアです。

フランク・コステロやルチアーノには、古い伝統にも敬意を払う一面もありましたが、全ての前衛的なマフアがそうではありませんでした。

そのため度々、伝統を重んじる旧世代と前衛的な新世代は対立していました

犬とルチアーノ

また、アメリカでは1931年にルチアーノが天下を取り、近代的な組織作りを行いましたが、イタリアマフィアは、1950年代頃は、まだまだ古い世代が牛耳っていたのです。

そのため「ルチアーノ・リッジョ編」で紹介した 新世代のリッジョvs旧世代のナヴァラの様な争いが起こっていたのでした。

新世代の麻薬ビジネス

イタリアマフィア内に、新世代派が多くなった一番の理由は、麻薬でした。

とにかく麻薬ビジネスを嫌う旧世代、対して野心に燃える若手マフィア達が、金になる麻薬ビジネスを求めるのは仕方のない事だったのです。

そんなワケで対立する両者でしたが、そのそもそもの原因は、ラッキー・ルチアーノにあったのでした。

ルチアーノの影響

時は遡り、1945年 イタリアへ強制送還されたルチアーノは、イタリアへ「新世代の価値観」と「麻薬ビジネス」を持ち込みました。

それを受けて、イタリアマフィアの中でも、特に麻薬に興味を持つボス達とアメリカマフィアのボス達は面と向かって協議した。

その結果、ルチアーノは麻薬ビジネスの黒幕。 世界最強の麻薬王となり優雅な余生を送ったのだった。

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この時ルチアーノが作った世界的な麻薬流通網は「ピザ・コネクション」と呼ばれています。

ピザ屋を隠れ蓑に販売したことからそう呼ばれています。

この1945年に、ルチアーノが持ち込んだ「新世代の価値観」はやがて、クーポラの設立に繋がりました。

クーポラは当初、揉め事の多い麻薬ビジネスを円滑に進めるために設置されたボスの議会でしたが、やがてアメリカのコミッションと同じような役割を担うこととなります。

クーポラ=イタリア版コミッションですね。

ちなみにクーポラは「丸天井」という意味。

また、持ち込んだもうひとつのモノ。「麻薬ビジネス」は新世代のマフィアを増やし、リッジョやリイナの台頭へと繋がって行くのでした。。

関連記事:三分で学ぶサルヴァトーレ・リイナ

余談

刑務所にぶちこまれたあげく、強制送還されたたルチアーノは多くの物を失いました。

しかし、それでも腐らず暗黒街に新たな変革を巻き起こしたルチアーノの粘り強さには尊敬の念すら覚えてしまいます。

マフィアは思われている以上に、麻薬に反対する者も多く、各々の価値観の違いも面白いので、今後紹介していきます!

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