三分で学ぶ!サルヴァトーレリイナ
三分で学ぶマフィア暗黒史 サルヴァトーレ・〝トト〟・リイナ
目次
長尺なんで今週はこれ1本です。
マフィアに憧れる少年
1930 年 11 月 16 日、イタリアシチリア島パレルモ県コルレオーネにサルヴァトーレ・リイナは生まれた。
サルヴァトーレ家の父は小作人。
家庭は貧しく、リイナは物心付いたころから働きに出されていた。
そのため、学校には通えず文字の読み書きすら学べなかった。
また、背が低く、同世代の子供からケンカを売られることも多かったという。
そんな過酷な環境の中で育ったリイナには、ひそかに憧れている人物がいた。
それはイタリアの貧しい家に育ち、マフィア組織を築いた大物ラッキー・ルチアーノ。
リイナも内心はマフィアになりたいと考えていたが、まじめに働くことを美徳としている父は息子が犯罪者になるなど決して許さなかった。
それから13年が経った第二次世界大戦中の1943年。
幼いリイナは父と、7 歳の弟のフランチェスコとともに、不発弾を回収する仕事に出ていた。
不発弾を回収して、金属として売却するのである。
この日もリイナたちは不発弾を発見。
子どもたちが見守る中、父親は不発弾の解体に取り掛かった。
しかし、、
不発弾が突如、爆発。
父と弟フランチェスコは木っ端みじんに。
リイナは爆発に巻き込まれながらも奇跡的に命を取り留めた。
その後、父がいなくなったことをきっかけに、リイナは夢を追い始めた。
リイナは5歳年下のカロジェロ・バガレッラと、3歳年下のベルナルド・プロベンツァーノを誘い少年ギャング団を結成。家畜の窃盗に手を出し始める。
カロジェロは優しい性格で誰からも好かれる少年。
プロヴェンツァーノは頭がきれるが控えめな性格の少年だった。
そんなある日、19 歳になっていたリイナは、カロジェロが不良少年、ドメニコ ディ・マッテオと喧嘩し他粉繰りにされている場面に遭遇した。
これに怒ったリイナは人が行きかう街中で白昼堂々マッテオを射殺。
リイナは殺人罪で、12 年の懲役刑に処された。
コルレオーネ戦争
刑務所の中で、リイナはある人物に声をかけられる。
その相手はコルレオーネのマフィアの幹部、ルチアーノ・リッジョ。
彼はマッテオを射殺したリイナの冷酷さを見込み、スカウトしようとしていたのだった。
また、彼はリイナに親近感を抱いていたともいわれている。
というのも、リッジョは生まれながらに足が不自由だったので、子供の頃は舐められることも多かった。
そんな過去の自分と、背が低いリイナを重ねていたのだろう。
話を戻そう。
憧れのマフィアの仲間入りができると、喜ぶリイナ。
彼はカロジェロとプロベンツァーノも組織に入れてほしいと頼んだ。
リッジョはそれを快く了承。
リイナたち3人は釈放されると、リッジョの部下になった。
しかし、仕事は相変わらず家畜泥棒であった。
数か月後、リイナ達はリッジョの隠れ家である古民家に呼び出される。
リッジョは神妙な面持ちでこう切り出した。
「ミケーレ・ナヴァラを殺さなければならない」
ナヴァラは、コルレオーネ病院の院長で、村では知らぬ人がいない有名人。
どうしてお医者さんを殺すんだ、とおどろくリイナ達にリッジョはこう付け加えた。
「奴の裏の顔はコルレオーネのマフィアのボスで、凄腕の殺し屋だ。」
リッジョとナヴァラの対立の原因は、コルレオーネから遠く離れた、州都パレルモにあった。
第二次世界大戦が終わったばかりの当時、パレルモは建設ラッシュが起こっていた。
金を出しているのはイタリア政府。パレルモに拠点おくファミリーは、空工事を受注し、巨万の富を得ていたのだ。
リッジョは、そのおこぼれにあずかるためにパレルモへ進出すべきだと主張。
ナヴァラは、パレルモに拠点を置くファミリーたちとの抗争を恐れ、進出を却下。
二人の溝は深まるばかりだった。
この状況に危機感を覚えたリイナは、念のためリッジョのボディーガードとして行動を共にするようになる。
そんなある日、ナヴァラからリッジョに事務所にきてくれと呼び出しが。
そこでリイナとリッジョが足を運ぶと、15人のルパラを持った男たちが待ち構えていた。
ルパラとは、銃身を短く切った散弾銃のことで、シチリアでは羊飼いがオオカミを追い払うための道具として使われている。
二人はルパラの弾丸の雨の中をなんとか、潜り抜け逃走。
しかしリッジョは肩を弾丸がかすめ、軽傷を負った。
この事件を機に、リッジョ派とナヴァラ派の抗争が激化。
街のいたるところで公然と銃撃戦が行われ、40人のマフィアが死亡することとなる。
その中でリイナは、ナヴァラを殺害する計画を立てていた。
計画はこうだ。
まず、ナヴァラが自宅に帰る時に使うけもの道にトラックを止めておく。
ナヴァラと部下の車が停車したら、すかさず後ろにも車を止め、身動きが取れなくする。
ちなみに、ナヴァラは当時シチリアでは乗っている人が少ない車種、フィアット1100に乗っているので、人違いが起こる心配はない。
最後に、トラックの荷台と側面の草むらにかくれていた、リッジョ、リイナ、カロジェロ、プロヴェンツァーノが一斉に発砲する。
この計画は成功し、ナヴァラは車ごとハチの巣にされ息絶えた。
こうしてコルレオーネの覇権を握ったリイナとリッジョは、パレルモ侵攻に向けて動き始めた。
ところが、ほどなくしてリッジョは警察に逮捕されてしまう。
するとリイナがコルレオーネのマフィアの陣頭指揮を執ることになった。
コルレオーネのマフィアと都会のマフィア
リイナは当時弱小だったコルレオーネファミリーを強化するために、次のことに取り組んだ。
・シチリア全土を巡り歩き有能な殺し屋達をスカウト。
「死の部隊」と呼ばれる暗殺専門チームを作らせた。
・誰がファミリーのメンバーなのか、全貌を把握しているのは自分だけとした。
→これは抗争時にメンバーの動きを読まれないようにするためである。
・アメリカのマフィアと交渉しヘ○インの密輸ルートを開拓。
→最も栄えてる町、パレルモで大々的に売りさばこうとした。
だが3つ目、薬の売買は自殺行為であった。
なぜならパレルモには3つの巨大ファミリーがあり、彼らの主導の元13に縄張り分けされていたのである。
この縄張りを13に分けた13人のボスは、共同でクーポラと呼ばれるマフィアの最高意思決定機関を運営していた。
ちなみに、クーポラとは「円天井」という意味で、その性質はアメリカのコミッションに近いもの。クーポラを作ったのもラッキールチアーノでした。
そのクーポラ中に、リイナ達の手ごわいライバルとなるボスが3人いた。
一人は、サンタ・マリア・ディ・ジェスファミリーを率いるステファノ・ボンターデ。彼はパレルモ最大の建設請負業者として知られていた。
二人目は、パッソ・ディ・リガーノファミリーのボス、サルヴァトーレ・インゼリーロ。彼はアメリカへのヘロイン供給ルート、ピザコネクションを握っていた。
3人目は、ガエターノ・バダラメンティ。彼はクーポラの議長を務める人物。シチリアマフィアのトップであり、全体を指揮する役割を担っていた。
彼らは顔を突き合わせ、こんな話し合いをした。
「田舎者が薬を打っているらしいな」
「殺すまでもないだろ、お抱えの警察に逮捕させればいい」
こうしてリイナとカロジェロは、警察に逮捕されてしまう。
対するリイナは部下に裁判官の住所を調べさせると、こんな手紙を書いた。
「どうか正しい判決を下してください。」
これに裁判官はおののき、リイナ達は無罪となっている。
シャバに戻るとリイナはパレルモのボスたち面会。
面と向かって、こう言い放った。
「コルレオーネファミリーにも稼がせてください。
ダメなら、こちらにも考えがあります」
この発言にボスたちは大激怒。
リイナは意味ありげにニヤリと笑った。。
1969 年 12 月 10 日、マフィアのアジトに7人の警官がやって来る。
「ボスと話したい」
門番にそう告げたのは、帽子を深くかぶった小柄な警官。
門番はボスに確認したのち、警察官をオフィスに招き入れた。
「お久しぶりです」
小柄な警官は、ボスの顔を見るなりそう告げた。
それから彼が帽子を取ると、ボスはハッと目を見開いた。
「き、貴様、リイナじゃないか、、!だ、誰か!」
ボスが声を出す。
リイナたちは拳銃を取り出す。
そして108発もの弾丸を浴びせたうえ、門番たちと銃撃戦を繰り広げながら逃走したのだった。
その最中、1人の警官姿の男が脇腹を打たれ倒れ倒れこむ。
リイナは撃たれたのが誰かわかると、取り乱した。
「カ、カロジェロ!」
カロジェロは既に虫の息で、リイナに妹を頼むと伝えると息を引き取った。
犯罪の証拠であるカロジェロの遺体を持ち帰るわけにはいかず、リイナは山に埋めて処分したという。
翌朝、リイナは仲間たちに弔い合戦を始めよと伝えた。
「敵対するファミリーを全て壊滅させるんだ。
メンバーは1人も生かしちゃおかねえ、その親族まで皆○しにしろ!
それから、警察や軍隊が邪魔してきたら、そいつらも敵とみなせ」
この指令は「死の部隊」に伝わり、シチリア中の殺し屋が仕事にかかった。
「第二次マフィア大戦」の始まりである。
第二次マフィア戦争
カロジェロの死に報いるという大義名分にもと、リイナは本格的なパレルモのファミリーの切り崩しにかかる。
まずリイナが行ったのは、各ファミリーのメンバーの買収。
この買収の対象は、ファミリーのボスにも及び、13のファミリーのボスの内、穏健派のボスたちを抱き込むことに成功、さらに従わないボスたちには、脅迫で服従を迫った。
こうしてコルレオーネファミリーはパレルモを拠点とすることを、他のファミリーに認めさせた。
そして、同時に死の部隊が、従わないマフィア太刀を皆殺しにしていく。
中でも大勢を殺したのは死の部隊のリーダー、ジュゼッペ・グレコだ。
彼はリイナの大胆かつ攻撃的な性格に心酔し、仕えたいと申し出た変態である。
リイナはなかなか敵をせん滅しきれないことに業を煮やし、グレコにこう命じた。
「敵対するファミリー全員と、その親族3頭身までを皆殺しにするのだ」
名を受けたグレコたちはパレルモ派のメンバーの妻、子供、親せきまでもを襲撃し、最終的に800人以上を殺害。
時には街中でマシンガンを乱射し、一般人を巻き添えにすることもあった。
また、見せしめとして、ターゲットの家族の腕を切り落としたり、硫酸で遺体を溶かすこともあったという。
抗争終結
この抗争を収めようと警察はカルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザ将軍にリイナの逮捕を命じる。
対抗してリイナは「将軍を始末せよ」と命じた。
1982年9月3日、キエーザ将軍は妻とボディーガードとともに、車でレストランへと向かっていた。
するとバイクに乗りAK-47を持ったグレコが並走してくるではないか。
彼らはなんとか逃れようとスピードを上げたが、グレコは構わず車をハチの巣にしてしまった。
そして停車すると駆け寄り、将軍にダメ押しの弾丸を打ち込んでいる。
この暗殺劇に恐れをなした政治家たちはリイナに屈した。
彼らは逮捕するよりも、リイナから金を受け取る道を選んだのだ。
こうして暗黒街、さらには政界を支配するに至ったコルレオーネファミリー。
リイナは計画の仕上げとしてある密命を下す。
1985年9月、とある隠れ家に死の部隊のメンバーたちが集まっていた。
その輪の中心にいるのはグレコ。
グレコはこれから重要な任務が与えられると聞き、胸を躍らせていた。
「早く仕事がしたいぜ。。!」
すると一本の電話が鳴る。
グレコが受話器を取ろうと背を向けた瞬間、、殺し屋達は拳銃を抜いた。
リイナはグレコの戦闘能力に危機感を覚え、消してしまったのである。
政府との闘い
少し前後して1984年、思いがけない出来事がリイナを襲う。
敵対するボスの一人、トンマーゾ・ブシェッタが警察に逮捕され、リイナの情報を話し始めたのだ。
これにより475 人が起訴され、裁判で 338 人が有罪判決を受けた。
この中にはルチアーノ・リッジョや、死んだカロジェロもいた。
そして、リイナも欠席裁判で、終身刑を言い渡されてしまう。
これに激怒したリイナは、ブシェッタを殺害しようと目論むが、軍の基地に匿われており、近づけない。
そこでマフィアの抗争から世論をそらすためにテロを起こせと命じた。
1984 年 12 月 23 日、グレコはナポリとミラノ間を走行する電車に遠隔操作できる爆弾を仕掛けた。
クリスマス休暇という事もあり、列車には700人の乗客がいたという。
しかも爆破はなるべく救助が遅れるようにと、電車がトンネルに入ったタイミングで行われている。
爆破の衝撃で列車が脱線し、トンネルは崩壊。
16 人が死亡、266 人が負傷した。
大事件を起こしたにもかかわらず、マフィアの抗争から世間の目をそらすことはかなわなかった。
そこで、今度はリイナを追う司法関係者を殺害することに決める。
まず狙ったのが、マフィア撲滅を公約に掲げた大統領候補、サルヴァトーレ・リマ。
1992 年 3 月 12 日、彼は車で走行中に、横付けされたバイクからマシンガンを撃たれ死亡した。
次に狙ったのが裁判官のジョヴァンニ・ファルコーネ。
ちなみにイタリアでは裁判官にも捜査権があり、ファルコーネはブシェッタの取り調べ役でもあった。
しかし、ファルコーネはマフィア捜査の最重要人物のため、常に軍に警護されており、なかなか隙を見せない。
そこでリイナは大胆な行動に出る。
1992年5月23日、ファルコーネが空港に向かうとの情報をつかんだリイナは、通り道の高速道路、その高架下を通る排水溝に爆弾を設置せよと命令した。
そして命じられた殺し屋、ジョヴァンニ・ブルスカは、念には念を入れ500キロのTNT爆薬を仕掛けた。
ブルスカは死の部隊のリーダーで面白い人物なのだが、尺の都合上、紹介はまた今度にしましょう。
ブルスカは近くの高台から双眼鏡で高速道路を監視。
ファルコーネの車が通りかかったタイミングで起爆スイッチを押した。
ゴゴゴゴゴゴゴ
あまりの衝撃に高速道路は崩壊。
ファルコーネの前を走っていた護衛車は爆風で100m離れたオリーブ畑にまで吹き飛ばされた。
立て続けにリイナはファルコーネのパートナーで治安判事のパオロ・ボルセリーノ暗殺を命令。
1992年7月19日、彼も車に仕掛けられた爆弾で死亡している。
リイナの最期
1993年、リイナは部下の運転するバンで隠れ家から隠れ家へ移動していた。
するとパトカーに囲まれ逮捕されてしまう。
これは、リイナの行き過ぎた殺戮に愛想をつかした友人、プロヴェンツァーノの密告によるものだった。
逮捕されたリイナは余裕の表情を浮かべ、警官に「私がリイナだ。おめでとう」と伝えたという。
これは、彼なりの強がりだったのかもしれない。
マスコミにより初めてリイナの姿が世間にさらされた。
そして、思いのほか小柄で大人しそうな見た目に、世間の人々は驚いたという。
その後、リイナは26の終身刑を受け、組織はプロヴェンツァーノに引き継がれた。
しかし、収監後もリイナは強い影響力を持っており、パレルモ派のマフィア達はリイナが2017 年 11 月 17 日にがんで死亡するまで、シチリアに戻らなかった。
一方警察はリイナの1億5千万ドル相当の資産を押収。
彼が建てた豪邸は改修され、現在は刑務所になっている。
サルヴァトーレ・リイナの生涯、いかがでしょうか?
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