三分で学ぶ ジミーブルーアイズ
三分で学ぶ!ジミーブルーアイズ
今回はマイヤーランスキーの親友 ジミーブルーアイズを紹介していきます。
映画「アイリッシュマン」の冒頭で語られる〝ジミーブルーアイズ〟とは彼のこと!
映画「ゴッドファーザーpart2」のジョニー・オラのモデルでもあります。
ジミーブルーアイズの生い立ち
ジミーブルーアイズこと本名ヴィンセント・アロは1904年5月26日、ニューヨークのハーレムにイタリア系の両親の元に誕生。
学校を中退するとウォール街で働き始めたがほどなく仕事を辞めた。
14歳の時に武装強盗を働き逮捕。
仲間を売れと迫られたものの拒否し、ダンネモーラ刑務所に送られた。
カステランマレーゼ戦争前後
1926年、大派閥を率いていたジョー・マッセリアの兵隊としてマフィアの一員に。
アロは、ジョーアドニスというマフィアの下に配属され、数名の部下を率いる立場となった。
中間管理職ですね
主な活動としては違法カジノやクラブの管理を行っていた。
1929年、アロはラッキールチアーノの紹介で、マイヤーランスキーと知り合う。
武闘派ではないランスキーを守って欲しいという意味合いでルチアーノは、アロとランスキーを引き合わせたのだった。
当時、イタリア系ではないランスキーは危うい立場にあったのです。
ちなみにアロの家族は〝ルチアーノはランスキーを監視するためにアロと引き合わせたのだ〟と主張している。
そんな訳で知り合った二人は
・大人しい性格
・読書好き
・ビジネスマンらしいやり方を好む
・カジノビジネスが得意
という共通点を見つけ、すぐに仲良くなった。
そうして二人は共同でカジノビジネスを手掛けるようになる。
二人の運営したカジノは〝イカサマなし〟〝豪華な内装〟で人気となった。
特に〝コロニアル・イン〟というカジノは有名でした。
当初は上手く行っていたものの当局の手が迫るとランスキーはアメリカに見きりをつける。
そして古くから暖めていた計画にアロを誘った。
ちなみにこの頃、アロはジェノベーゼファミリーのカポにまで出世していて、フランク・コステロ等とも共同でビジネスを行っていた。
ハバナのカジノ帝国
ランスキーの右腕として共にハバナで豪華カジノを運営。
アロはファミリーに巨万の富をもたらした。
ラスベガスでもランスキーと共同でカジノを経営しており、二人は順風満帆。
しかし、1959年にキューバ革命が起こるとアロは全てを捨てて、アメリカへ逃げ帰らねばならなかった。。
映画「アイリッシュマン」に登場するのはこの時のエピソードですね。
その後もランスキーと共にロンドンでカジノを運営するなど精力的に活動。
このエピソードは映画「レジェンド 狂気の美学」で描かれている。
引退後
1970年、アロは偽証罪で三年服役。
これを機に引退した。
引退後も多くのマフィアにアドバイスをしたと言われているが、詳細は謎に包まれている。
最期は2001年に96歳で亡くなった。
ランスキーとはプライベートでも仲が良く、晩年も家族ぐるみの付き合いもあったそうです。