マフィア帝国崩壊の瞬間
マフィア帝国崩壊の瞬間
キューバでに築かれたマフィア帝国。
その崩壊は瞬く間に全てを飲み込んで行く。。
カストロの台頭
1956年11月25日、フィデル・カストロ、カストロの弟のラウル、チェ・ゲバラ、その他79人のキューバ反政府勢力が母国を救うべく立ち上がった。
キューバ軍は彼らを攻撃し、反政府勢力は辛くもキューバ南東部のプラヤラスコロラダスに逃れた。
キューバのフルヘンシオ・バティスタ大統領にとって、これは大きな勝利だったが、カストロにとっては些細な挫折だった。
反政府勢力の動向を案じていたマフィア達もこれに安堵したのだったが。。
ハバナのホテルに滞在している何千人ものアメリカ人観光客は反政府勢力を心配すらしていなかった。
ハバナではマフィア達が建設した豪華なカジノやリビエラホテル、ハバナヒルトンが煌々と輝き、あらゆる娯楽が溢れていた。
マフィア達も心配はしていなかった。
マフィア達は万が一に備え、密かにカストロに武器を支援していたのだ。
しかしマフィア達はカストロのいう人物を見誤っていた。
ハバナ陥落
1958年12月31日、反政府勢力がサンタクララ市でキューバ軍を破ったとき、マフィア帝国に突如終わりが訪れた。
バティスタはカストロがハバナへ向かっていると知りいち早く亡命。
それに気がついたマイヤー・ランスーはマフィア達に財産を集めカジノを閉鎖するよう指示を出した。
このエピソードこそゴッドファーザーpart2に登場するキューバ崩壊の元ネタである。
マフィア達は守備を固めようとしたが、崩壊は思うよりもずっと早かった。
1959年1月1日、カストロの勝利を知った市民達により暴動が始まる。
市民達は自己判断でマフィアのカジノを破壊し、ホテルに豚を放った。
カストロが1月8日にハバナへ到着した時にはマフィア達のカジノは破壊され、変わり果てた姿になっていた。
多くのマフィアはアメリカへ逃亡するか捉えられてしまう。
しかしマフィア達の運命はまだ尽きていなかった。。
カジノ再開
1959年2月19日、カストロ政権の許可によりトロピカーナ、コモドロ、リビエラ、ハバナヒルトン、カプリ、ホテルセントジョンズ、ホテルナショナルの営業再開が許可された。
ちなみにサント・トラフィカンテ・Jrのドービルとサンスーシは営業許可が降りなかった。
理由はトラフィカンテとバティスタがあまりにも親密だったから。
トラフィカンテが後にカストロ暗殺に加わるのも納得である。
一部のカジノは再び営業を開始したが、観光客は戻ってこなかった。
暴動のニュースは大々的に報じられ、イメージは最悪の状態になっていたのだ。
ほとんどのマフィアがハバナに見きりをつける中トラフィカンテは滞在を続け可能性を模索していた。
だが時が経つにつれ、カストロがマフィアを嫌っていることが明るみになってくる。
間もなくカジノは全面的に閉鎖されマフィア達の夢は潰えた。。
その後のキューバ
キューバが閉鎖されるとマフィア達はカリブ海に新たな地を見つけた。
1959年9月、とある情報提供者はFBIにこう話している。
「英領西インド諸島のセントマーチン島に新しいホテルとギャンブルカジノを建設する。
アメリカからの飛行機も飛ばすよ」
その後マフィア達は各々の道を歩み始める。
ランスキーはバハマへ。トラフィカンテはカストロ暗殺を目論見、他の者たちはラスベガスへと戻っていった。