中国の影の帝王2
ゴールデントライアングルのヘロイン
その頃、チャンはそれほど幸運ではなかった。
彼は1986年夏、ニューヨークの大規模な捜査で捕まり、麻薬容疑で起訴され有罪判決を受けたユナイテッド・バンブー・ギャングのメンバー11人のうちの1人だったのだ。
FBIが、タイ、ビルマ、ラオスが交わるゴールデントライアングルから300キロの純ヘロインを輸入し、優れた品質のアヘンやヘロインを生産するという計画を突き止めた結果である。
チャンは懲役15年を宣告された。
獄中で人生を浪費するよりも、彼は勉強する道を選んだ。
それも猛勉強である。
アメリカの刑務所に収監されている間に、5つの学士号と2つの修士号を取得した。
1990年代に出所すると、チャンは台湾に戻った。
そこで彼は、竹中族連合会のトップに立ち、台湾で最も強力なマフィアのボスの一人となる。
しかし、台湾当局は、彼が期待したほどには歓迎してくれなかった。
台湾の立法委員殺害事件、建設詐欺、借金問題などで当局から逮捕を求められたチャンは、1996年に台湾を離れ、中国の深センに移住することを決意した。
親友でバンブーユニオンのボスだったチェンも逃亡していた。
彼はカンボジアに居を構え、犯罪組織の運営を続けていた。
台湾の裏社会からこの2人の強力なボスがいなくなるとトライアド達は残された者の力を試すようになった。
1998年4月、台北のカラオケ・バーで夜遊びした後、チャンの長男チャン・チエンホーは四海のギャングと喧嘩して刺し殺された。
葬儀には暴力団関係者、有名人、政治家、実業家など数千人が参列。
まるで『ゴッドファーザー』か禁酒法時代のマフィアの葬儀のようだった。
政治の世界に飛び込む
影響力というのは、実に豊かなものである。
中国にいる間、チャンは自分の人脈を利用し、さらに数多くの人脈を作るために政治に関与し始めた。
2004年、彼は統一党(中国統一促進党、中国統一促進党とも呼ばれる)を設立し、中国と台湾の統一を提唱。
さらに1年後、党の台湾支部を設立した。
その党員数は2万人から4万人で、中にはトライアドのギャングや組織犯罪に関係する者が多く含まれている。
このため、この党が犯罪行為の隠れ蓑に過ぎないという噂が絶えない。
また、中国が台湾の政治に影響を与えるために利用する政党であるとも言われている。
2013年、チャンはその影響力の大きさを示すように、台湾に帰国した。
逮捕状が出ていたにもかかわらずである。
なんとも無謀に思えるが、チャンには逮捕状があろうともやり過ごせる自信があったのだ。
実際チャンは空港に到着すると逮捕されたが、保釈され、その後政治家としての地位を確立することができている。
現在政治家として活躍するチャンは、竹中族連合のボスから降りたと主張している。
がその実態はギャングそのもののようだ。
彼の部下が民主化デモ参加者に暴力を振るうのは、よく知られている話である。
彼の部下は突如デモに現れ、デモ参加者をバットで殴るのだ。
中国の工作員
またチャンには、中国政府から金を貰い働いている工作員という説もある。
フィナンシャル・タイムズ紙の以前のインタビューで彼は頻繁に中国に行き、主に深センで中国当局者と取引していることを認めている。
「接触はありますね。確かに、時には政策について話すこともある」
その際チャンは、現在の組織犯罪とのつながりについて聞かれこうも話している。
「本当のことを言うよ。
私は10年間、刑務所で過ごした。
人々は私が麻薬の売人であると言う。
でも私は気にしない。
自分が麻薬を扱っているかどうかは知っているからね。
中には私の経済状況を調べようとする警官もいる。
彼らは私が麻薬でお金を稼いだと思っている。噂が多すぎるんだ。
彼らは私がドラッグを扱っているとか、密輸をしていると考えている」
果たしてチャンは裏社会と手を切ったのか?
あなたの想像通りの答えだろう。