裁判官と呼ばれたマフィア

裁判官と呼ばれたマフィア

裁判官と呼ばれたマフィア

1957年、ルチアーノファミリーのボスフランク・コステロが自宅マンションの玄関で殺し屋に襲撃された。

しかし、コステロは奇跡的に一命を取り留めた。

そしてルチアーノファミリーのアンダーボス、ヴィト・ジェノヴェーゼの運転手、ジョーイ・ギャロを犯人として名指しした。

戦争が始まるのは確実だった。

流血を避けたいドン達は、リトルイタリーのヘスター通りとグランド通りの間のモットストリートにある「会員制」のクラブに集まった。

集まったのはガンビーノファミリーのボス、カルロ・ガンビーノ

ボナンノファミリーのボス、ジョゼフ・ボナンノ。

ルッケーゼファミリーのボス、トーマス・ルッケーゼ。

この三人は、コステロとジェノベーゼを除いて、当時の暗黒街で最も権力もつ男たちだった。

彼らはジェノベーゼとコステロの言い分を聞き、話し合いでの解決を提案するために集まったのだ。

そして三人と共にもう一人、ポーリー “レフティ “デッラ・ウニベルシタと呼ばれる背が低く、重苦しい声の男が座っていた。

ジェノベーゼは、マフィアの仲間に自分の身勝手な言い分を訴えた。

他のボスたちは耳を傾けたが、レフティだけは冷静に評決を下した。

「ヴィトー命は助けるが、もう一度ルールに違反したら、彼は死んだも同然だ」

レフティはマフィア同士で争ってはならないというルールを第一に重んじ、このように話したのだ。

ザ・ジャッジ

レフティは、五大ファミリーの集まりであるコミッションの顧問を勤めた男だつた。

彼はいつも公平な評決を下すことから、ザ・ジャッジとも呼ばれていたという。

1950年代から1980年代まで、レフティはすべてのマフィアの争いに最終的な決定を下したの説もある。

ガンビーノが、ある男を消したいと思ったとき、まずレフティのところへ行った。

ボナンノはファミリーの財政が苦しくなると、レフティに意見を求めた。

レフティはマフィアのご意見番でもあったのである。

レフティの誕生

1915年、シチリアからニューヨークへ移住してきたデラ・ウニベルシタ一家。

母親のカタリーナが7人の子供を残して死んだとき、5人は州北部の孤児院に送られた。

その中で、10歳だったポーリーだけは、施設に行くはずの日に失踪した。

路上生活を始めたポーリーは、13歳になると少年ギャングを結成し、犯罪に手を染めるようになる。

「マルベリーストリートにあるキャンディーショップのユダヤ人店主と取引をした。

店から金を奪わない代わりに、裏の空き部屋をメンバーだけの社交場として使わせてもらった」

ポーリーとその仲間は、一人でやっている店を狙って強盗を繰り返した。

その手口はこうだ。

二人の子供が偽の喧嘩をする。

店主がケンカを仲裁しにやってくる隙に、もう一人がレジから現金を盗み出す。

何度か強盗を成功させた後、ポーリーはマフィアに目をつけられ、フランク・コステロ、カルロ・ガンビーノのような連中が集まるクラブに呼び出された。

そこに座っていたのは、悪名高いギャングのチャールズ・”ラッキー”・ルチアーノだった。

彼はポーリーを捕まえて、店から盗みをしないように警告し、「お前はただのクソ野郎だ」と言ったという。

それでもルチアーノはポーリーの度胸に感心し、クラブのカウンターボーイとして、飲み物のサービス、灰皿の掃除、床掃除の仕事を与えた。

ポーリー

1938年、ポーリーはリトル・イタリーで喧嘩を吹っかけてきたアイルランド人を射殺し、「ボーンズ」と呼ばれるようになった。

この仕事によって、ポーリーはルチアーノの手下としての地位を確立した。

1940年には、「マフィアの会計士」と呼ばれるマイヤー・ランスキーとベニー・シーゲルがビジネスにポーリーを引き入れ、ナンバーズ・ラケットを教えた。

ランスキーは、ポーリーが数字を書き取らなくても覚えている天賦の才能に感心したという。

そして彼はヘスター通りとモット通りの一帯を任されるようになった。

同時にポーリーは副業としてヘロインを売り始めた。

利益を上げるためにドラッグを可能な限り薄めていたという。

成功したポーリーは、特注のスーツにフェドーラというギャングらしい格好をするようになった。

彼のレフティというあだ名は、ある夜、会員制クラブでの事件からつけらられた。

常連客が、彼のお気に入りの女性アンナについて淫らなことを言い始めた。

ポーリーはその男にパンチを浴びせ、足を踏み、それから窓から外の舗道に向かって投げ飛ばした。

見物人は彼の左フックに感激し、彼を “レフティ “と呼ぶようになった。

その名前は定着した。

そして、その女性もそうだった。

二人はまもなく結婚し、レフティが1990年代半ばに亡くなるまで、一緒に暮らした。

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