ゴッドファーザー誕生秘話
ゴッドファーザー誕生秘話
今回は「ゴッドファーザー」誕生の裏側にある様々な秘話をご紹介していきます。
マリオ・プーゾとゴッドファーザー
映画の原作である「ゴッドファーザー」をマリオ・プーゾが書き上げるまでには、多くの苦難があった。
最近出版された『Leave the Gun, Take the Cannoli: The Epic Story of the Making of The Godfather(ゴッドファーザー製作秘話)』によると、
元陸軍二等兵のプーゾは、48歳のときに大ヒット小説「ゴッドファーザー」を発表するまでは、二流の作家に過ぎなかった。
家族を養うためにギャンブルに明け暮れ、大衆向けの出版物に薄気味悪い話や冒険談を書き連ねていたのだ。
その中の1冊、『Male』誌に掲載された小説は、ハワイのギャングと究極の体を持つ女を描いた下世話な作品だった。
この下世話テイストはゴッドファーザーのルーシーのエピソードに引き継がれています。
原作のゴッドファーザーは下ネタ満載でした。
プーゾは、こうした文学小説を2冊出版し、合わせて数千ドルを稼いだこともあった。
もう1つ、プーゾは男性誌のライターとして仕事をしていた。
この仕事が彼の生活を支えていた。
1976年に出版したノンフィクション作品「インサイド・ラスベガス」の中で、プーゾはこう述べている。
「サンズやトロピカーナなどの南ネバダのカジノを気に入っていたが、ブロンクスの住宅地に妻と子供を連れて引っ越さなければならなかった。
引っ越しに85ドルかかったよ。
私は当時、20ドルしか持っていなかった。
その20ドルを、野球のパーレイに賭けて、大きなオッズのついたアンダードックを2つ取った。
つまり私は勝った。
お金を借りる必要はなかったし、プライドも保てた」
このようにプーゾの生活はギャンブルそのものだったのだ。
そんなプーゾは生活を変えるべく、“一生分の生活費を稼ぎだす名作”の執筆に取りかかった。
これが後の「ゴッドファーザー」である。
コッポラの苦悩
コッポラは当初、あまりうまくいっていなかった。
映画「パットン」の共同脚本でオスカーを受賞したものの、コッポラは著名な映画監督ではなかった。
監督としてのデビューは、1960年代のセックスプロイテーション業界における仕事であり、そこでは映画は “ヌード “と呼ばれていた。
「今夜は確かに」という作品に出演したマーリ・レンフロは、若いコッポラに将来性を見出していたという。
彼女はその後、アルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」では、ジャネット・リーのボディダブルとしてシャワーシーンに出演している。
レンフロはこの体験からこう振り返っている。
「コッポラはヒッチコックを彷彿とさせ、そのやり方や監督ぶりもそうでした。
この若者は将来有望だと思ったことを覚えています。
彼はとても理路整然としていて、自分が何をしたいのかがはっきりしていて、とてもクリエイティブでした」
だが、コッポラが「ゴッドファーザー」で大成功を収めるまで、彼をヒッチコックと同じレベルと見ていない人もいた。
「ゴッドファーザー」が撮影されていた頃、パラマウントスタジオは苦境に立たされていた。
重役たちが裏で小銭を稼ぎ、撮影現場にスパイを送り込んで撮影を妨害していた。
撮影中、本物のマフィアから抗議を受けたこもある。
主演のマーロン・ブランドは問題児で落ち目と思われていたし、他の俳優たちは有名ではなかった。
スタジオの幹部はアル・パチーノをその背の低さから、”ちび “と呼び罵った。
これにはパチーノもクビになるのではないかと心配で眠れなくなったという。
また、コッポラ監督も、自分がクビになるのではと心配し眠れぬ日々を送っていた。
ある夜、コッポラは借りたアパートに戻り、妊娠中の妻、2人の幼い息子、その他の家族とすれ違って寝室に向かった。
そしてベッドから毛布をはぎ取り、猛烈に破った。
イライラを爆発させ裂いて、裂いて、裂きまくったのだ。
こうしたストレスにギリギリ耐えた制作陣は大したものである。
ゴッドマザーとゴッドファーザー
映画のプロデューサー、アル・ラディは「あの映画が成功した理由はひとつ、ただひとつだ」と語っている。
「史上最高のファミリー映画かもしれない」
マリオ・プーゾはコルレオーネ一ファミリー(犯罪組織)を家族としてリアルに描き出している。
当時、としてはこの描き方はとても斬新だった。
このアイデアは実はプーゾの生い立ちを元にしている。
プーゾはニューヨークでも治安が悪いことで知られるヘルズ・キッチン地区で育った。
プーゾはイタリア系アメリカ人の出身で、母親から多くの事を教えられたという。
例えばこれだ。
“家族と過ごさない男は本当の男にはなれない “
この母の教えは作中でヴィト・コルレオーネが発する「家族を大切にしない奴は男じゃない」の元ネタとなっている。
プーゾの母は勝ち気で、言葉巧みな人だったようで、彼女こそがヴィトのモデルであるともとれる。
マフィア作家
1966年のある夜、「ゴッドファーザー」を執筆中のプーゾは、作家のゲイ・タリーズの叔母、スーザン・ピレッジのロングアイランドの家での夕食会に招かれた。
この時、タリーズはニューヨークタイムズの記者だった。
そして友人のプーゾに「マフィアの出番を増やしたらどうだ」とアドバイスしたという。
もし、このアドバイスがなければ、「ゴッドファーザー」の主人公はルーシー・マンチーニ(ソニーの愛人)になっていたかもしれない。
この夕食会には、未来のマフィア文学の担い手が座っていた。
組織犯罪の古典『汝の父を敬え』を書くことになるタリーズ、『ワイズガイ』(映画『グッドフェローズ』の原作)を書くことになるいとこのニック・ピレッジ。
そしてプーゾである。
もしこの三人がいなければ、マフィアの歴史がエンターテイメント作品に昇華されることはなかっただろう。