ゴッドファーザー50年の歴史

ゴッドファーザー50年の歴史

ゴッドファーザー50年史

マフィアグッズ専門店
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今回は「ゴッドファーザー」という作品自体にスポットを当て、その歴史を振り返っていきたいと思います。

1964年「マフィア」執筆開始

映画の原作となる小説「マフィア」をマリオ・プーゾが聞き始めたのは48才の時だった。

この当時からパラマウント社は“マフィアが題材”という内容に興味を示していた。

1967年「ゴッドファーザー」完成

執筆開始から3年後、プーゾは遂に小説を書き上げた。

また、タイトルを「マフィア」から「ゴッドファーザー」に変更。

小説はベストセラーとなり、パラマウント社も本格的に映画化に向けて動き始める。

しかし、あまりに「ゴッドファーザー」が人気小説となりハードルが上がりすぎた為、パラマウント社は映画館に否定的になり始めた。

さらに同年公開されたマフィア映画「暗殺」が大コケしたことで、“マフィア映画は売れない”という意見も飛び出した。

結果、「ゴッドファーザー」の映画化企画はボツとなってしまう。

1969年、映画製作へ

一度は映画化を止めたパラマウント社。

しかし、他社から映画館権を買いたいとの申し出を受けたことをきっかけに再び映画化の企画が持ち上がった。

同年、パラマウント社は正式に「ゴッドファーザー」の映画化を発表。

この段階でパラマウント社は「ゴッドファーザー」のネームバリューだけで荒稼ぎしようと目論んでいた。

まず、舞台を現代に変更し、セット内のみでささっと撮影する。

監督や役者はギャラが安いものを選ぶ。

どうしてもロケが必要になったら、舞台をニューヨークから地方に移す。

こうした低いモチベーションで映画化がスタートしたのだった。

1970年 コッポラ監督、抜擢

パラマウント社はプロデューサーにアル・ラディを起用した。

ラディはドラマ業界の出身で、コストの抑え方を熟知していたからである。

そしてラディは監督に若手のフランシス・“フォード”・コッポラを起用した。

コッポラは当時、借金で首が回らなくなっており安値で雇うことができたのだ。

ちなみにこの時の契約金は12万5000ドルと収益の6%。

後にこの6%が天文学的な数字になるとは、パラマウントも予想していなかった。

同年、コッポラとプーゾは共同で脚本作業を始める。

1971年、マーロン・ブランド キャスティング

同年、コッポラはキャスティングに取り組み始めた。

彼は脚本を読んだときからマーロン・ブランドをヴィト・コルレオーネ役に思い描いていたという。

「彼の出番は全編の30%しかないんだ。だから、ドンが登場しない場面にもその権力と神秘性を漂わすことができる俳優が必要だった。ブランドにはそれだけのパワーがあった」

当初、マーロン・ブランドはヴィト役に興味を示さなかったが、コッポラはなんとか彼を口説き落とした。

ブランドは熱意に負け、役作りを始めた。

しかし、コッポラは次にパラマウントの上層部を説得しなければならなかった。

その為にコッポラはブランドの自宅に赴き、スクリーンテストを行う。

コッポラがテストを頼むと、ブランドは頬にティッシュをつめ、口ひげをつけ、最後に顔にうっすらと靴墨を塗って現れた。

それから前屈みになり、モゴモゴと聞き取れない言葉を口にした。

この瞬間、コッポラはブランドこそが適役だと確信。

それは、スクリーンテストを見せられたパラマウントの上層部も同じであった。

同年3月23日、遂に撮影開始。

初の撮影はマイケルとケイがクリスマスプレゼントを買うシーンだった。

4月19日にはヴィトが狙撃されるシーンが撮影されている。

この時まで、マーロン・ブランドの老いた姿はどこにも公表されておらず、彼を一目見ようと野次馬とマスコミが大挙して押し寄せた。

その後、シチリアへの二週間のロケを挟み、映画は遂に完成した。

この頃になると、誰もが予算をオーバーしている事に気がついていた。

実際コッポラはそのせいで何度もクビになりかけている。

しかし、専門紙や新聞が連日報じるゴッドファーザー特集を前に、パラマウントの社長も「ケチをつけて作品の質を落としたくない」と思い始めていたので、なんとかクビは繋がったままだった。

1972年、映画「ゴッドファーザー」公開

1972年3月15日、ニューヨークの5箇所でプレミア試写を実施した。

試写当日、劇場には多くのファンが集まり、中には6時間以上並んだ人もいたという。

期待が最高潮に高まる中、3月29日に映画は全米公開された。

各紙は若手俳優のアル・パチーノとマーロン・ブランドを絶賛。

アル・パチーノはここからスターへの道を駆け上がることとなる。

金銭面でも「ゴッドファーザー」は大成功だった。

パラマウント社はこの年だけで8500万ドルの黒字に。

コッポラ、プーゾ、ラディも数百万ドルを受け取った。

経済的な効果も凄まじかった。

映画のマグカップ、サントラ、ボートゲームなどの関連商品が軒並みバカ売れ。

ポスターはこの年最大のヒット商品となった。

7月からは世界各国で上映がスタート。

日本やイタリアでも大ヒットを記録した。

1973年、アカデミー賞

1973年2月13日、第45回アカデミー賞で「ゴッドファーザー」は8部門で10のノミネートを受ける。

プーゾとコッポラは脚本賞を受賞。

マーロン・ブランドは主演男優賞を。

ラディは作品賞を受賞した。

その後のゴッドファーザー

1974年11月16日、前後編に分け「ゴッドファーザー」がテレビ放映された。

視聴率は59%、これはテレビ史上8番目の高記録である。

1977年11月18日には「ゴッドファーザー」と「ゴッドファーザーpart2」を時系列準に並べた「ゴッドファーザーエピック」が放映された。

2006年にはDVD、Blu-rayに対応するためのネガ修復作業が行われた。

この修復にはスティーヴン・スピルバーグも参加している。

修復されたバージョン(現在私たちが見ているもの)には、少しだけシーンが追加されていると言われている。

シーンといっても0.0何秒の世界なので、気にする必要もないが。。

そして2022年、「ゴッドファーザー」が50周年を迎えた。

関連書籍の発売やドラマ「ザ・オファー」の公開などファンには堪らない年になりそうだ。

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Twitterではゴッドファーザーのオフショットを配信中です。
次回はもう少しマニアックな撮影秘話をお届けするのでお楽しみに!

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