サミーグラヴァーノが暗殺の裏側を語る
サミー・グラヴァーノがあの事件の裏側を語る
元ガンビーノ一ファミリーのアンダーボスで、証人保護を経て引退したサミー〝ザ・ブル〟グラヴァーノが新事実を語りました。
75歳には見えませんね!
ポール・カステラーノ暗殺
1985年、マンハッタンのスパークスステーキハウスの前で当時のガンビーノファミリーのボス ポール・カステラーノが射殺された。
この事件についてはグラヴァーノは、1992年のジョン・ゴッティの裁判で証言を行っている。
要約すると当時のボス ポール・カステラーノを暗殺したのは次にボスとなるジョン・ゴッティの命令だった。
ヒットマン達はロシア人風の格好をして待ち伏せしカステラーノとアンダーボスのトミー・ビロッティを射殺。
ゴッティとグラヴァーノは停めた車からその一部始終を監視していたという。
暗殺は上手くいきジョン・ゴッティがボスに、グラヴァーノの上司フランク・デチッコがアンダーボスの座についた。
暗殺の末に
しかし1986年、フランク・デチッコは車に仕掛けられた爆弾により死亡。
この暗殺はカステラーノ殺害に怒ったジェノヴェーゼファミリーのボス、ヴィンセント・ジガンテの仕業だった。
この爆弾はゴッティを狙ったものだったようです。
グラヴァーノは当時をこう振り返る。
「スパークスステーキハウスの前でカステラーノとビロッティを殺した。
これは別のファミリーのボスの怒りをかっていたんだ。
フランキーの葬式で私は彼の棺にひざまずき、彼にささやきました。
〝フランキー、私はこれを決して許さない。私は犯人を殺します。
関係者全員を殺します。
事前にそれを知っていたすべての人を殺します〟と。
私は彼への誓いを守るつもりでした。これは私にとって非常に重要でした。」
グラヴァーノは復讐に向けて動き出す。
ジョン・ゴッティとジガンテ暗殺計画について入念な打ち合わせを行った。
しかしその翌日、1990年12月11日にゴッティとグラヴァーノは逮捕されてしまう。
その後グラヴァーノは政府の証人となり、結局この暗殺計画が実行される事はなかった。
最後にグラヴァーノはこう話した。
「私はアメリカの歴史の中で最も強力な犯罪組織のアンダーボスでした。
私は尊敬され、愛され、献身的で、恐れられていました」
今後も裏話を暴露していくようなので、楽しみにしています!