三分で学ぶ!カストロ暗殺とマフィア
三分で学ぶ!カストロ暗殺とマフィア
今回は映画「アイリッシュマン」でも触れられたカストロ暗殺について
CIAはキューバのフィデル・カストロを暗殺するために、様々な作成を実行した。
その一つはマフィアに依頼するというものだった。。
マフィアとCIA
1959年、戦いの末にカストロはキューバの大統領になった。
マフィアはキューバで半合法的にカジノなどを運営して莫大な金額を稼いでいたのだが、カストロは大統領になるとキューバからマフィアを追放。
財産を全て没収した。
これによりキューバビジネスを仕切っていたマイヤーランスキーやサントトラフィカンテなどのマフィアは大金を失うことに。
マフィアはカストロを憎んだ。
ここに目をつけたCIAはマフィアに共闘を持ちかけたのだった。。
マフィアへのパイプ
マフィアとCIAの共闘の始まりは1960年。
ジェームズ・オコンネルというCIA部門長がボブ・マホイに連絡した事からスタートした。
マホイは元FBIエージェント。
オコンネルはマホイに「カストロ暗殺を引き受けそうなマフィアを紹介してほしい」と依頼した。
当時のマヘウはまたハワード・ヒューズのために働いていたのだが作戦への協力を快諾した。
そこでマヘウは友人でシカゴのマフィア ジョニー・ロッセーリを当たってみることに。
ロッセリは計画を聞くと同意。
シカゴマフィアのボス サム・ジアンカーナとサント・トラフィカンテを引き入れると請け負った。
トラフィカンテはマフィアの中でも特にカストロを憎んでいました。
ジアンカーナとカストロ
マヘウ、ロッセリ、ジアンカーナ、オコンネルはマイアミで話し合いの場を持ちカストロを殺す方法について話し合った。
熟慮の末、四人は毒殺が最良の選択あると結論付ける。
CIAは6つの毒入りカプセルを制作し、それらをキューバにいる内通者へと渡した。
しかし、結局この毒が使われれる事はなかった。
問題はジアンカーナの消極性にあったとも言われている。
ジアンカーナは本気で暗殺計画に取り組んではいなかった。
彼の目的はCIAとコネを作る事と多額の褒賞金にあったと思われる。
ただし、カストロ政権を容認していたわけではない。
ジアンカーナを始めとするマフィアには別の、もっと実現性の高そうな計画があった。
ケネディを大統領にする見返りとしてキューバを取り戻してもらおうと考えていたのだ。
ピッグス湾事件
1961年4月15日、マフィア達とCIAが待ち望んだ日がやってきた。
在米亡命キューバ人部隊がCIAの支援のを受けキューバに侵攻。
カストロ打倒は目前と思われた。
しかし土壇場でケネディが支援を出し渋った事によりキューバ人部隊は敗北。
マフィア達は落胆を隠せなかった。
暗殺計画のその後
1963年にマフィアとCIAの共同作戦は打ち切られた。
その後もロッセリだけは暗殺の試みを続けたが、成功する事はなかった。
マホイは当時をこう振り替える。
「そもそもこのプロジェクトにはあまり満足していませんでした。
国に協力する義務があると感じ、作戦をサポートしたがすぐに後悔した。
私の記憶によればピッグス湾事件の後、侵攻が失敗した後からプロジェクトは段階的に中止されていった」
作戦は失敗したものの、これをきっかけにCIAとジアンカーナは親しい関係に。
その為、CIAとジアンカーナが手を結びケネディを暗殺したという説もある。