アイスマン リチャード・ククリンスキー
リチャード・ククリンスキー
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今回は“アイスマン”ことリチャード・レナード・ククリンスキーをご紹介。
シリアルキラーがマフィアと出会うとどうなるのか。。
500人以上を殺害したククリンスキーの素顔に迫ります。
ククリンスキーの生い立ち
1935年4月11日、ククリンスキーはニュージャージー州ジャージーシティの住宅地で生まれた。
父親のスタンリー・ククリンスキーはアルコール依存症で、家族全員を殴るなどして虐待。
母親のアンナもククリンスキーをよくほうきで殴っていたという。
ククリンスキーには兄と弟がいたが、長男のフロリアンは、1940年に父に殴られて死亡。
父は死んだフロリアンの遺体を階段から放り投げ、事故死だったことにした。
弟のジョセフは、無事大人になったものの少女に暴行し殺害。
その内容は少女とペットを建物の五階から落とすという残忍なものだった。
ジョゼフはすぐに逮捕され30年の服役に。
2003年に刑務所で死亡した。
こうして家族と共に育ったククリンスキーは暴力に対して興奮を覚えるようになっていったという。
ククリンスキーは父親を殺すことをよく妄想していた。
そして10才になると、果たせない欲望を動物にぶつけ始める。
彼は猫同士の尻尾を縛り、互いが引き裂かれるのを見るのが何よりの快感だった。
14歳のとき、ククリンスキーはターゲットを動物から人に変えた。
相手は少年ギャングのリーダーであるチャーリー・チェイス。
ククリンスキーは彼を有無を言わさず殴り殺し、身元がわからないように歯と指先を切除。
それから川に遺棄した。
その後、お礼参りを恐れたククリンスキーはギャングのメンバー6人を次々と闇討ちし殺害。
この事件でたがが外れたククリンスキーは学校を中退した。
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ククリンスキーは14才にして身長187cmを越えていたそうです
シリアルキラー
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1960年、ククリンスキーはバーバラ・ペドリチという女性と出会う。
二人は結婚し、2人の娘と一人の息子を授かった。
ククリンスキーは家庭内ではよき夫であり、妻はまったく彼の本性に気がつかなかった。
ククリンスキーは妻には職業を在宅の株トレーダーであると偽っていたがその実は裏家業に手を染めていた。
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ひとつは強盗。
ククリンスキーは数人のチンピラを引き連れ強盗を働いていたのだ。
もう一つはポルノビデオの販売。
これはビデオをダビングして売りさばくというものだった。
こうした裏家業の傍ら、ククリンスキーは気が向くと見ず知らずの人を殺害し、楽しんでいた。
そんなある日、ククリンスキーはマフィアからしょば代を求められトラブルに。
そこで知り合ったのがガンビーノファミリーの幹部 ロイ・デメイオだった。
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デメイオはククリンスキーに裏ビデオのショバ代を求めた。
しかし、激怒したククリンスキーはデメイオの部下二人を半殺しに。
マフィアも恐れないククリンスキーの凶暴性を目の当たりにしたデメイオは、彼を殺し屋としてスカウトすることにした。
初めて自身の才能を褒められたククリンスキーは、さらなる研鑽のために実験を始めた。
その実験とはより良い殺し方の模索である。
まずはベストな凶器を探さなければならない。
ククリンスキーは家族に出張と嘘をつきニューヨークへ旅行。
主にマンハッタンを徘徊して、手当たり次第に殺人を繰り返した。
この時、ククリンスキーが使用したのは手榴弾、拳銃、ロープ、ナイフ、アイスピック、チェーンソー、ナックル、爆弾つきラジコンなど。
警察は手口が違うので同一犯とは気がつかなかったという。
次にククリンスキーが始めたのは遺体処理の研究。
海に棄てる、プレス機で圧縮する、ドラム缶に入れ燃やすなど。。
そしてククリンスキーは最高の殺し方を編み出した。
アイスマン 氷の処刑人
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ククリンスキーは強盗団のメンバー ゲイリー・スミスとダニエル・デップナが警察の証人になろうとしていることを知る。
そこでククリンスキーは最高の殺し方を実戦することに。
1981年7月1日、ククリンスキーは二人を呼び出し、食べているハンバーガーにシアン化合物を注射。
シアン化合物は体内に入ると呼吸器障害を引き起こす劇薬。
さらに遺体からも検出され難いのだった。
それからククリンスキーは遺体を工業用冷凍庫に2年以上保存し、それから路上に放置した。
冷凍保存することで死亡時刻を判別することは困難になる。
さらに警察は死体が路上に放置されていると、ホームレスが死んだと思い捜査もしなかった。
以後、ククリンスキーはシアン化合物をスプレーで吹き掛けるなどの手口で数百人を殺害したてゆく。
神に祈る男
ある時、ククリンスキーは殺されると悟った相手が神に祈るのを目撃した。
ククリンスキーは神が助けに来るのかを確認するために、30分間見守ったという。
その結果をククリンスキーはこう振り返った。
「しかし、神は決して現れず、状況を変えることもありませんでした。
そんなことをすべきではなかったと思っている」
終わりの始まり
1983年9月25日、ニューヨーク州オレンジタウンの公園でルイ・マスゲイの遺体が発見された。
医療検査官は彼の体内から氷の結晶を発見。
これを殺人事件と断定し捜査を始める。
また、マスコミはこの奇妙な手口から犯人を“アイスマン”と名付けた。
同時期、FBIはマスゲイを含む殺害された人物5人が失踪前にククリンスキーと会っていたことを発見。
特別捜査官ドミニク・ポリフローンを使ったおとり捜査の計画を立てた。
1985年、ポリフローンはククリンスキーの友人フィル・ソリメンを取り込み、自身を友人として紹介させる。
ポリフローンは18ヶ月間に渡り、ククリンスキーに接触し、「遺体を冷凍した」と彼が洩らしたのを録音することに成功した。
アイスマン 逮捕
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1986年12月17日、ククリンスキーはポリフローンから青酸カリを買わないかと持ちかけられる。
そして、いざ代金を支払ったところで逮捕された。
ちなみに青酸カリは、「金持ちのユダヤ人の子供」の暗殺に使われる予定であった。
また、彼の妻と子供たちは始めて夫の正体を知り、驚愕していたという。
ククリンスキーは5つの殺人罪で起訴され終身刑に。
彼はその他500人を殺したと証言したが、証拠が見つからず事件は未解決のままだ。
その後、ククリンスキーは2006年3月5日、70才で死亡した。
氷の処刑人が語る
逮捕後、ククリンスキーは多くのメディアインタビューに答えていた。
あるインタビュアーはククリンスキーになぜ殺しをするのかを訪ねた。
ククリンスキーの答えは以下のようなものだった。
「お分かりだと思いますが、私が一番好きだったのは狩りです。
それは困難に挑戦することでした。
私にとっての殺しは二の次だ。
殺しても、それほどの利益は得られなかったよ、ほとんどの場合。
それでもだ、挑戦すること、ストーキングしてうまく殺ること、それが私を大いに興奮させた。
不利な状況であればあるほど、私はそこから多くのものを得たのです」
どうやらククリンスキーは難しいミッションをやり遂げることに快感を覚えていたらしい。
彼の行いを誉める気はないが、彼の残したある言葉は私の心に深く刻まれている。
「意思さえあれば、必ず方法は見つかる」