映画「フェイク」のリアル! アンジェロ・ルッジェーロ
三分で学ぶ!アンジェロ・ルッジェーロ
映画「フェイク」でアル・パチーノが熱演した冴えないマフィア アンジェロ・ルッジェーロ。
映画では人懐っこい性格だったが、実際のアンジェロはどんな人物だったのだろうか!?
ルッジェーロの生い立ち
1926年4月19日、ルッジェーロはマンハッタンのヘルズキッチンで誕生。
マンハッタンのリトルイタリーにあるニッカーボッカービレッジの民間住宅開発で育った。
ボナンノファミリーの幹部マイケル・サベーラの下で働き始めたルッジェーロはやがて、キャプテンに昇格。
ヤミ金やギャンブルで成功を納めた。
私生活と出世
やがてルッジェーロはマンハッタンのモンローストリートにあるアパートに引っ越した。
ルッジェーロは映画と同様に動物、特に魚が好きで部屋には大きな水槽をいくつも置いていた。
魚を釣るためかは不明だがボートも持っていた。
映画ではこの“ボート”が重要なキーアイテムとなっている。
このアパートにはボナンノファミリーのメンバー アンソニー・ミラも住んでいた。
ルッジェーロとミラは自然と仲良くなったのだが、これが思わぬ災難を招く。
マフィア稼業
ファミリーの幹部で後にボスとなるフィリップ・ラステリと信頼関係を築いたルッジェーロはフルトンフィッシュマーケットで漁業の共同所有者に。
共同所有者としてルッジェーロは月額5,000ドルの給与を受け取るようになった。
ルッジェーロはこのお金を貯めて、1970年代にリトルイタリーの社交クラブを購入している。
この頃からルッジェーロにはいくつかのあだ名がついていた。
一つ目は映画で馴染みの深い“レフティ”
これは左手でサイコロを投げたことに由来している。
次に“二丁拳銃のレフティ”
こちらは殺しの際に必ず二丁の拳銃を持っていったことに由来している。
レフティは殺し屋としても優秀で「30人以上を始末したが、ヘマをしたことはなかった」と語っている。
その一方、ルッジェーロはギャンブル依存症であった。
あらゆるスポーツに賭けては散財し、その額は16万ドル以上に。
その為、1977年にルッジェーロがファミリーの正規メンバーに昇格する際には“借金を返すこと”という条件が課せられた。
ドニーブラスコ作戦
ルッジェーロが正規メンバーになった同年、アンソニー・ミラはルッジェーロにある男を紹介する。
それは“ドン・ザ・ジュエラー”と呼ばれる宝石の故買屋 ドニー・ブラスコ。
しかしブラスコの正体はFBI捜査官ジョセフ・ピストーネだった。
ルッジェーロは腕っぷしが強く賢いドニーをすぐに気に入り、賭博ビジネスの一部を任せることに決めた。
ドニーは純粋な興味からこう尋ねたことがある。
「なぜマフィアになったんだい」
するとルッジェーロはこう答えた。
「望めばどんなことだって出きるし、誰も文句を言わない 。なりたくない奴がいるのか?」
ルッジェーロはドニーを息子のように可愛がり、正規メンバーに推薦することを約束した。
しかし子分をルッジェーロに奪われたと感じたミラはファミリーに“ドニーの所有権”を主張する。
この争いの仲裁に当たったのは幹部のドミニク・ナポリータ。
通称ソニー・ブラックである。
激しい論争の末、ソニー・ブラックは「ブラスコはルッジェーロの部下」と決定した。
しかしソニーブラックもまたドニーを可愛がるようになり、ルッジェーロは“奪われた”と感じることに。
実のところドニーはルッジェーロの事は内心嫌っていたものの、ソニーブラックのことは人として尊敬。
二人は同じ部屋で寝泊まりし、休日は一緒にテニスをするほど親密になった。
つまりルッジェーロの片思いだったのだ。
しかしルッジェーロ自身はドニーを信頼していた。
1977年のルッジェーロの結婚式では仲人を依頼したし、息子のトミーがヘロイン中毒で悩んでいたときも相談した。
ちなみにルッジェーロは逮捕されたこともなく、性格もわりと温厚だったようです
ヘタレのレフティ
ある日のフロリダ州マイアミビーチ。
ドニーと共にレストランにいたルッジェーロは何気なくtime誌を手に取った。
そこにはFBI捜査官が米国議会議員の贈賄を捜査したとの記事の写真が。
FBIは国会議員を白いヨットで接待したとの事だったが、ルッジェーロは写真のヨットに見覚えがあった。
このボートは数ヶ月前にドニーがパーティーの為にレンタルしてきたボートに違いなかったのだ。
しかしドニーはしらを切通、ルッジェーロもそれを信じることにした。
1979年、ルッジェーロはフロリダに進出を図る。
しかし資金のなさからのけ者にされ、大きな屈辱を味わう。
このエピソードは作中の“フロリダでの挫折シーン”の元ネタになっている。
反落
1979年、ボナンノファミリーのボスであるカーマイン・ギャランテが殺害された。
ギャランテの殺害後、フィリップ・ラステリがファミリー引き継ぎ、刑務所から組織を指揮することに。
しかし、アルフォンス・“ソニーレッド”・インデリカートが率いる派閥は、ラステリ政権に反対した。
一方、ルッジェーロが所属するソニーブラック派はラステリを支持。
こうして内部抗争が勃発した。
1981年5月5日、ソニー・ブラックはインデリカートとその一派を会合に呼び出し射殺。
この際にルッジェーロとドニーは遺体の処理を行っている。
マフィアの終わり
1981年7月26日、FBIは抗争によりピストーネの身の安全を保障できなくなったとして、ドニーブラスコ作戦の終了を決定。
FBI捜査官はナポリターノを尋ね「彼は捜査官だ。報復すれば只ではすまんぞ」と警告した。
これを知ったラステリはドニーをファミリーに招き入れたミラとルッジェーロ、上司のソニーブラックの処刑を命じる。
間もなくしてミラとナポリターノは会合に呼び出されそのまま行方不明に。
1981年8月29日、ルッジェーロも会合に呼び出された。
しかし、事態を察知したFBIが会合に向かうルッジェーロを逮捕。
ルッジェーロは一命をとりとめた。
フェイクのその後
1982年11月、ルッジェーロはゆすりの罪で有罪判決を受け、15年の懲役刑を言い渡される。
しかし未だにルッジェーロは、ドニー・ブラスコがFBIの特別捜査官ではないと信じていた。
後に証言するドニーを見た際にもルッジェーロは「くそったれのドニーめ」と呟くだけだったという。
さらに、服役中に映画製作の為に100万ドルのギャラでのインタビューを申し込まれたが、ルッジェーロは何も語ろうとしなかった。
ルッジェーロは金よりもマフィアの誇りを大切にしていたのだ。
最期は1994年11月24日、肺がんと精巣がんに苦しんでいたルッジェーロは刑務所病院で病死した。