三分で学ぶカルロス・マルセロ
三分で学ぶカルロス・マルセロ
目次
今回はニューオリンズを支配したカルロス・マルセロをご紹介。
ケネディ暗殺にも深くか変わったマルセロの生涯とはー!?
カルロス・マルセロの生い立ち
1910年2月6日、マルセロはフランスにてシチリア移民の夫婦の元に誕生した。
1歳のときマルセロ家族はニューオリンズへと移住したためフランスでの記憶はないと思われる。
10代にして早くも“大物になりたい”という夢を抱いたマルセロは仲間を集め強盗稼業を始める。
しかしすぐに逮捕されルイジアナ刑務所で5年間服役することとなった。
フランクコステロ
出所したマルセロは26歳の結婚し四人の子供を授かった。しかしマルセロが夢を忘れることはなかった。
28歳になったマルセロは再びマリファナの密売で逮捕され服役。
しかし今回は賄賂を使いすぐに釈放された。
やがてマルセロに出世のチャンスが巡ってくる。
自らのスロットマシンビジネスを展開できる場所を探していたフランク・コステロと出会ったマルセロはニューオリンズでの手助けを買ってでたのだ。
マルセロは地元の店を締め上げコステロのスロットマシンを設置させたことから強い信頼を勝ち得た。
この仕事をきっかけにマルセロはギャンブルビジネス界の大物へとのしあがってゆく。
マフィアとギャンブル
コステロとのコネを得たマルセロはマイヤーランスキーやシカゴマフィアの面々とも親しくなり、不動産ビジネスを助ける変わりにラスベガスのカジノの利権を手に入れた。
こうしてニューオリンズでは金、武力、人脈で頭ひとつ抜きん出た存在となったマルセロはニューオリンズファミリーのボスに選出された。
マルセロの悪名は政府も認めるものとなり、キーフォーヴァー公聴会に呼ばれた際には「最悪の犯罪者の一人」と紹介されている。
加えて恐喝で訴えられた裁判では関係者は「マルセロはゴッドファーザーと呼ばれていた」と証言していた。
また、ボスとなったマルセロは“ニューヨークとシカゴからの独立”を重要視して、ニューオリンズには許可無しに踏み入ってはならない、などの強力なルールを制定した。
マルセロの性格
生涯を通してマルセロは“計画的な人物”として知られていた。
用心深くビジネスセンスに長けており、ボスとなってからも多くの合法ビジネスを展開。
無一文からスタートしたにも関わらず漁業や不動産などあらゆる分野で成功を納めた。
ケネディとマルセロ
ケネディ家とマルセロの因縁は1959年3月24日、マクラレン委員会に召喚された事から始まった。
委員会の主席顧問を勤めたロバート・ケネディは厳しくマルセロのビジネスを追及、対してマルセロは黙秘権を行使し続けた。
この一件をお互いは根に持つようになった。
ジャングルのマフィア
1961年4月4日、マフィア界を震撼させる大事件が起こった。
司法長官となったロバート・ケネディは司法省に徹底的にニューオリンズの入国監理局を調べよと指示を出した。
その結果マルセロは正規の手続きを踏んで入国していないことが明らかとなる。
そしてケネディは「今すぐマルセロを国外追放にせよ」と命じた。
そんな事とは知らないマルセロは突如、監理局の人間に拉致され飛行機へと押し込まれてしまう。
そして飛行機がグアテマラのジャングル上空に到達すると、マルセロはパラシュートをつけられ放り出された。
ジャングルに残されたマルセロは金も着替えも食糧も持っていなかった。
しかし驚くべき事にマルセロは2カ月ほどジャングルをさ迷い自力で帰国を果たした。
現地の役人を買収したと言われています
ボロボロの姿でファミリーの本拠地に戻ったマルセロはドアを開けるなり「ケネディを殺せ!」と叫んだという。
マルセロの帰国に気がついたケネディは再びマルセロを起訴、追放しようと動き始めた。
一方マルセロは人権を主張し裁判で争い勝訴。
この裁判に関してマルセロは3度も起訴されその度に勝訴している。
ケネディ暗殺
1963年11月22日、ケネディ大統領がダラスで射殺された。
この陰謀にマルセロは深くか変わったとされている。
その根拠の1つはダラスはマルセロのシマだったこと。
前述した通りマルセロは縄張り意識が強かったので、こんな事件を無許可で起こさせるとは思えない。
次にオズワルド(暗殺犯)を射殺したジャック・ルビーがダラスでナイトクラブを経営していたということ。
当然ダラスのナイトクラブはマルセロの支配下にあった。
証拠はないものの限りなく黒に近いグレーであり後に行われた調査の報告書にはこう記されている。
「リー・ハーヴェイ・オズワルドとジャック・ルビーの両方がマルセロと関わりがあった。
マルセロが共犯という証拠はないが、マルセロにはジョンF.ケネディ大統領を暗殺させる動機、手段、機会があった事は間違いない」
その他にも関係者の多くの証言があり、それによるとチームスーターズのジミー・ホッファはサント・トラフィカンテとマルセロへ“ケネディを暗殺すべし”というメッセージを発信していた。
他にもジョニー・ロゼリやサム・ジアンカーナなど大物マフィアが多数、大統領暗殺に関与したが誰も口を割ることはなかった。
しかし、後にマルセロ自身がボロを出してしまっている。
晩年、病院へと運ばれ朦朧とした状態にあったマルセロは意味深なうわ言を呟いていた。
「ニューヨークのクラブでプロヴェンツァーノと会え。。。あのケネディを、、あのにやけたくそ野郎をダラスで始末してやる。。。ケネディをダラスで殺してやる」
このプロウェンツァーノのとは映画「アイリッシュマン」にも登場したトニー・プロのこと。
フランク・シーランも映画の元となったインタビューで「トニー・プロもダラスの件に深く関わっている」と認めている。
このうわ言について取り調べが行われたがマルセロは全てを否定している。
私はFBIがマルセロに一服盛って口を割らせようとしたのでは。。?と思っています。
その後のマルセロ
1966年9月(56歳)に、マルセロはFBI捜査官を暴行した罪で再び起訴され短期間服役。
その後は平和だったものの79歳のときに脳卒中に倒れた。
さらに再び起訴され6年6か月服役、釈放され、1993年3月2日に死亡した。
あらゆる映画や本に“ニューオリンズのマルセロ”というフレーズが登場するのでぜひ覚えてあげてください!