ロバートケネディとホッファpart1
本日から4日連続で「アイリッシュマン」の裏側ともいえるホッファとロバートの争いをお届けしていきます
ダラスに至る道
1963年1月10日の新聞に掲載したコメントの中でロバート・ケネディ司法長官は連邦法執行の最優先事項について語った。
「親愛なる大統領へ
1962年の政権は、組織犯罪とゆすりに対する協調的な取り組みを大幅に拡大しました」
ロバート・ケネディは大統領 ジョン・F・ケネディの弟です。
ロバートのこのコメントは、司法省の組織犯罪部門による起訴が1961年を300%上回り、組織犯罪者の有罪判決が350%増加したという事実を宣伝するためのものだった。
この功績はロバートがFBI、シークレットサービス、IRS、その他の23の連邦法執行機関の連携させ有力マフィア1,100人に関する情報の収集を行った事が大きい。
その他にもロバートはマフィアを取り締まるための様々な法律を整備し積極的にマフィアを摘発、弾圧していた。
ロバート・ケネディ
ロバートは自己中心的で冷酷な人物だったと言われている。
法廷で勝利する為に不法な証拠(許可されていない盗聴など)を行うことは日常茶飯事でマフィアからも関係者からも恐れられた。
この不法な証拠集めはマフィアだけではなくジミー・ホッファなど堅気の人間にも行われていました。
ロバートの執念は凄まじく、1963年11月22日にダラスでジョン・F・ケネディが射殺された際も組織犯罪に関する会議の最中だった。
兄の訃報を聞いたロバートはFBI長官 J.エドガー・フーバー等関係者を自宅に呼び、大統領の死について話し合いを持った。
「彼らが狙うのは私だと思った。。」
話し合いの末ロバート達は大統領を狙ったのはマフィアに違いないが首謀者はジミー・ホッファだろう。という結論に至る。
そしてロバートは事実を詳しく知るために部下をダラスへと向かわせた。
なぜロバートは瞬時に犯人をマフィアとホッファだと断言できたのか?
その一つにはホッファ自身が「ケネディを殺す」と触れ回っていたこともあるが、これ以上に根深い因縁があった。
ロバートケネディの歴史
ロバートのキャリアは1950年代半ばに始まった。
法科大学院を卒業し1951年に25歳でニューヨーク司法試験に合格した後、ロバートは父親のコネでニューヨーク東部の米国連邦検事補に任命される。
しかし、ロバートは数か月後に辞任し兄の選挙のサポートに専念することを決めた。
当時を知る人はこう語っている。
「ロバートがいなかったら間違いなく選挙に敗れただろう」
次に転機が訪れたのは1955年、ロバートは麻薬取締局のエージェント アンジェロ・ズッロとジョセフ・アマートと知り合う。
二人はアメリカマフィアの事やシチリアから続く歴史をロバートに教え、ロバートは次第に組織犯罪と戦うスリルにみいられて行く。
当時、新聞はこぞって組織犯罪について書き立ており大きな話題となっていた。
コラムニストのビクター・リーゼルが顔に酸をかけられるなどの事件もあり、対マフィアを求める世論が強まってもいた。
そこでロバートはマフィアと戦うことが天職であり使命だと思い始める。。
チームスターズ
ロバートが最初に目を付けたのはチームスターズ。
悪名高いチームスターズだが当時はエステス・キーフォーヴァー上院議員が行ったキーフォーヴァー公聴会にて疑惑が浮上したばかりだった。
持ち上がった疑惑の一つはチームスターズの最高責任者 デイブ・ベックと側近のホッファが年金基金を私物化しているというもの。
さらに年金の一部はマフィアへと流れていると見られていた。
ロバートはチームスターズとマフィアについて探るべく、全国各地のジャーナリストを訪ね始める。
シカゴではベックが保管している会計帳簿を見る事に成功。
帳簿には怪しい内容が記されており、ロバートはベックが年金を流用していることを確信した。
ロバート後にこの時の事を振り返りこう話している。
「その瞬間、アメリカで最大かつ最も強力な労働組合であるチームスターズの会長であるデイブ・ベックが詐欺師であるという驚くべき、しかし避けられない結論に達した」
そしてロバートはチームスターズを徹底的に追及する事を決心した。
しかしチームスターズを追いマフィアを追うことには不都合もあった。
ロバートの父のジョーはマフィア達と親しい関係にあり仕事仲間でもあったのだ。
ロバートの思った通りジョーはチームスターズを追及することに激怒した。
「お前は何もわかってない。
ジョンの大統領選を支えるのは彼等だぞ」
しかしロバートは耳を貸さずチームスターズとマフィアを追及する為の委員会を立ち上げる。
しかし実際のところ、やはりロバートは何もわかっていなかったのだ。。