チームスターズの違法融資
今回はチームスターズの委員長 ジミー・ホッファの運命を左右したひとつの融資をめぐる物語です。
シーザーズホテル
1966年8月5日、ジェイ・サルノは自らが開発した〝核心的なデザインのホテル〟を発表した。
グランドオープニングパーティーで明かされたのは華やかな古代ローマをテーマにした内装。
彫刻、カラフルな噴水、カクテルウェイトレス全てが洗練されていて来場者を驚かせた。
しかしこの成功の裏には歴史的事件の始まりが。。
チームスターズの年金
サルノがシーザーズを建設できたのは、チームスターズの年金基金から違法な融資を受けたおかげだった。
事の発端は1950年代初頭。この頃のサルノはマイアミのタイル業者に過ぎなかった。
そんなサルノはデザイナーの友人から影響を受け、ホテル経営を志し始める。
最初のプロジェクトは、1958年に完成した〝アトランタカバナモーターホテル〝。
しかし建設資金に困っていたサルノはは友人に相談してみる事にした。
友人とはチームスターズ所属のアレン・ドーフマンとジミー・ホッファ。
その結果、チームスターズの年金基金から360万ドルの融資を受けられることに。
これがチームスターズの初のカジノホテルへの融資。
この悪しき前例を作った事によりチームスターズはラスベガスに融資をしまくって、最終的にホッファは殺害されることになる。
自慢のホテル
このアトランタのホテルはシーザーズに似ている面があった。
・客室の窓を外から見えないようにするために壁を建設
・通りから見える屋外スイミングプールの横に、ローマ風の彫像をいくつか設置
・入り口には噴水を設置
などなど
このアトランタのホテルはホファに絶賛され、すぐに「これに似たホテルをラスベガスに作ろう」という話になった。
同時に噂は広まり、あらゆるマフィアがチームスターズからカジノへ融資を受けたいと、ホッファに会いに来るように。
ホファは各ローンの約10パーセントのキックバックを条件に要求を全て飲んだ。
こうしてラスベガスは急速に発展してゆくこととなる。
1962年、サルノはフラミンゴ近くに適切な建設場所を発見。
ホッファはただちに1,060万ドルを融資、加えて開業日は混雑する事を見越して予備の100万ドルも個人的に融資した。
サルノは新しく建設したホテルに「シーザーズ」と名付けた。
これには入場したすべての人に「シーザー」であるかのように感じてもらいたいという意味が込められていた。
シーザーズのその後
1967年、シーザーズの建設に疑問を持った連邦政府は調査を始める。
調査が進む事を恐れたサルノはシーザーズを売却。
次の持ち主はスチュワート・パールマンという男。
パールマンはマイヤー・ランスキーのフロントマンで、ホテルはランスキーが支配する事になった。
サルノはというと持っていた他のホテルは全て破産し引退。
62歳で亡くなった。
シーザーズは今日も健在である。