ラッキールチアーノを刑務所に送った女性
ラッキールチアーノを刑務所に送った女性
今回はルチアーノを刑務所に送ったとされる女性についてです。
ユーニス・カーター
地方検事のユーニス・カーターは1899年にアトランタで生まれた。
社会活動家であった彼女の両親は、彼女に奉仕する義務感を植え付けたという。
1920年代にニューヨークとニュージャージーでソーシャルワーカーとして働きつつも彼女はフォーダムロースクールで授業を受け、そこで法学位を取得した最初のアフリカ系アメリカ人女性になった。
やがて優秀な彼女は、1935年にニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディアと州特別検察官トーマス・デューイの目に留まる。
その頃、ラガーディアとデューイは組織犯罪と戦うために大規模なスタッフを雇っていて、ハーレムの主に黒人地域で働ためにカーターも雇った。
そんな経緯でカーターはニューヨーク州で最初のアフリカ系アメリカ人女性の地方検事になる。
ラッキールチアーノ逮捕へ
カーターの上司デューイは、米国の主任弁護士が1933年にニューヨークのワクシーゴードンに対して有罪判決を勝ち取り、1935年にはギャングのダッチシュルツを起訴し追い詰めた人物。
そのデューイが次に狙ったのはマフィアの大ボスラッキー・ルチアーノ。
ルチアーノは実質的に五大ファミリーを始めとするアメリカマフィアのトップに立ち、30年代半ばには麻薬や違法な酒からヤミ金融、賭博、売春などそれらの事業から莫大な利益を得るようになっていた。
1935年、地方検事補としてのカーターの訴訟の多くは、売春で起訴された女性に対してのもの。
検察官として仕事をしているうちに彼女は、何人かの被告が同じ保釈保証人と弁護士を使用していることに気づきいた。
そして彼女は大規模な売春組織があるのではと疑い始める。
カーターはデューイにその事を報告。
調査によって売春に深く関与し、従業員の収入の50パーセントを得ている組織が有ることを確認した。
その後デューイは何十もの売春宿の手入れを命じ、100人ほどの売春婦を逮捕。
そのうちの何人かはマフィアのボス ラッキー・ルチアーノとビジネスとの関係について証言することに同意した。
ルチアーノは売春組織との関与を否定したが、デューイはルチアーノの納税申告書で報告された22,500ドルという金額の出所を追及。
ルチアーノには30年から40年の刑が宣告された。
この功績を認められたカーターをデューイは市裁判所所の特別会期局長に任命し、カーターは1945年まで任期を勤めた。
その後、カーターは私立弁護士として働き、女性の権利問題について国連に助言するなどの活躍をし、1970年に亡くなった。
カーターの発見に基づくルチアーノの有罪判決は、アメリカの歴史の中で組織犯罪に対する最も成功した訴訟と見なされている。
しかしルチアーノの有罪と決めてとなった売春婦の証言については否定する意見も多く、後に売春婦達は〝デューイに脅され、証言させられた〟と話しており、カーターは利用されただけのお飾りだったのかもしれない。。