バグジーはラスベガスを作っていない!?

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マフィアグッズ専門店
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「バグジーはラスベガスを作っていない」驚きの説にマフィアファン界は揺れています。

バグジーの楽園ラスベガス

長年語り継がれてきた定説として、マフィアのベンジャミン〝バグジー〟シーゲルが、もしくはバグジーと相棒のランスキーがラスベガスの構想を思い描き、その結果フラミンゴホテルが建設された。
と言われてきました。

バグジーシーゲル
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映画「バグジー」などでその物語を知っている方も多いはず。

詳しいバグジーとラスベガスのエピソードはこちらへ

新説登場

しかしマフィア博物館が来年から行う展示企画はこの説を真っ向から否定するものになる。

今週から行われる展示では、「ラスベガスの歴史に光を当てる」として以下の内容が展示される。

1つは、1947年3月19日付けの法的文書。

フラミンゴの最初の開発者であるウィリアム〝ビリー〟ウィルカーソンが現在の形のフラミンゴを考案して構築し始めていたという事実が記されているとのこと。

博物館の主張によると、ウィルカーソンは建設中に資金が不足してしまい、マフィアのメンバーに投資を依頼した後、シーゲルがフラミンゴに関与する事になったという。

通説ではラスベガスの構想を思い付いたバグジーが寂れたウィルカーソンのホテルを買取り、世界的に観光地にしたと言われています。

この文書の1947年3月19日というのがポイント。

フラミンゴがオープンしたのは1946年12月26日。
バグジーが暗殺されたのは1947年6月20日。

つまりフラミンゴがオープンしてからもウィルカーソンは運営に関わっていたという事である。

2つめはウィルカーソンが振りだした小切手。

金額は9,500ドルで、1945年3月5日付けで、地元の実業家マーガレット・フォルサムに支払われていた。

ウィルカーソンは最終的にフラミンゴを建設するために33エーカーの区画に84,000ドルを支払ったと博物館は述べている。

これらの書類はウィルカーソンの息子であるウィリー・ウィルカーソンが所有していたもの。

これらは企画限定で展示された後、2021年後半から常設展示されるという。

当時のラスベガス
オープン当時のフラミンゴ

私の意見

ここまでお伝えしてきましたが、実際の所はどうなのかなぁと思います。

多くのマフィアがバグジーとラスベガスのエピソードを語っているし、実際にバグジーは命まで落としている。

これらの展示を見る限りウィルカーソンは表向き立てられたフロントマンに過ぎないのではと思います。

また詳しい展示内容がわかればお伝えしていきます!

関連記事:バグジーの家族が語る

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