ニクソン大統領とマフィア
ニクソンとマフィア
1968年の大統領選前、リチャード・ニクソン候補(後の大統領)は、犯罪との戦いに直面していた。
犯罪組織対策こそが、選挙の雌雄を決すると思われたのだ。
当時の世論調査で最有力候補と目されただったニクソンは、組織犯罪に対する盗聴を許可する法律を却下した現政権は組織犯罪に対して遅れをとっていると非難。
当然、誰もが思う「では組織犯罪とどのように戦うのか?」という質問に対しては、「司法省の組織犯罪部門を強化し、容疑者を盗聴できるようにする」と述べた。
その後、選挙はニクソンが僅差で勝利。
多くの功績を残したニクソン。
しかし、組織犯罪と戦ったニクソンは実は、マフィアと深い繋がりを持っていた。
一体、ニクソンの正体とは。。
ニクソンと組織犯罪
1940年代半ばから1970年代初頭にかけて、ニクソンは現金と引き換えに政治的恩恵をマフィアに提供していた。という疑いが。
関係したと思われるのは、ミッキー・コーエン、マイヤー・ランスキー、フランク・コステロなど大物ばかり。
また、ジミー・ホッファとも繋がりがあったとも言われている。
さらにニクソンが下院議員から上院議員、副大統領から大統領へとスピード出世したのもマフィアの力によるもの。
ケネディが当選した選挙では、多くのマフィアのボスが「ニクソンなら安泰だ」とニクソン指示を表明した事からも関係が伺える。
しかし、ニクソンは出世するとDEA(麻薬取締局)やRICO法を作るなど、明らかに恩を仇で返したのだった。。
RICO法の制定
大統領となったニクソンは反マフィア活動を展開する上院議員ジョン・マクレランと共同でRICO法を提案。
大規模なギャンブルを連邦犯罪にし、マフィアが合法的な事業に参入するのを防ぎ、組織犯罪事件で証言する証人に免責を与え、国税局に連邦ギャンブル税とギャンブラーの所得税を徴収する権限を与え、さらに組織犯罪に対して最大25年の刑期を設けるなどの法整備を行う。
そして1980年代、RICO法はマフィアの最大の驚異となった。
ミッキー・コーエンの重大な告発
ニクソンとマフィアの繋がりが最初に浮かび上がったのは1962年。
アルカトラズ刑務所に服役中のマフィアのボス ミッキー・コーエンの発言からだった。
コーエンは、「ダウンタウンのレストランで、ニクソン初めて会った。 1946年にロサンゼルスでも。
ニクソンのキャンペーンマネージャーのマレー・ショティナーがその会食をセッティングした。そこでニクソンは、コーエンに選挙資金の調達を頼んだ。」と述べた。
しかしながらコーエンは、実際に資金を調達した。とは言わなかったので、真相は定かでない。
また、証拠も見つからなかった。
コーエンはその後、1948年または1950年のどちらか、「私は再びマレー・ショティナーからニクソンの選挙運動のための資金を調達するように頼まれました。その間、私はロサンゼルスでギャンブルとブックメーカーを経営していました。ハリウッドのホテルの宴会場を予約し、250人を招待して、資金集めパーティーも行った。」と話した。
さらにコーエンがマフィアやギャンブラーに声をかけ、票を集めたという話も。これは事実であると思われ、その証拠にニクソンは逮捕されたコーエンの仲間をかなり軽い刑で釈放している。
コーエンは「選挙事務所を借りてやった」とも話したが、こちらは後の調査で嘘であると証明されていますが、どこまでが本当なのかは謎のまま。。
マイヤー・ランスキーとニクソン
ニクソンは1950年代初頭にフロリダでキューバ出身のチャールズ・〝ベベ〟・レボゾと出会い、親しい友人となった。
二人の親密な姿は度々、マスコミに撮影されている。
しかし、レボソはマフィアのマイヤー・ランスキーと共同でビジネスを行う、世間的に見れば〝いかがわしい人物〟だった。
さらにレボソはフロリダのサント・トラフィカンテなど多くのマフィアとも繋がりを持っていた。
また、ニクソンは副大統領になった頃、ランスキーにキューバのハバナにあるホテルナショナルに招待され、スイートでの滞在を楽しんだとされている。
1950年代半ば、キューバはランスキーの友人、フルヘンシオ・バティスタが支配しており、ニクソンはレボソを通して5万ドルの借金をした。
この借金は、ランスキーのカジノでの負け分だった。