ヴァージニア・ヒルの知られざるエピソード
ヴァージニア・ヒルの知られざるエピソード
1916年に生まれたヒルは子供の頃から精神病を患っており、双極性、社会性、境界性の人格障害であると診断された。
これは父親からの暴力が原因と言われている。
そして、「三分で学ぶ ヴァージニア・ヒル」で紹介した通り、10代の頃からマフィア関係者と繋がりを持ち始める。
ジョー・アドニスやフランク・コステロ、トニー・アッカルドなどなどの大物マフィア達とも関わりを持ち、金の運び屋やメッセンジャーとして重宝された。
バグジーとヴァージニア・ヒル
ヴァージニア・ヒルといえば有名なのはベンジャミン・〝バグジー〟・シーゲルとのエピソード。
映画「バグジー」では2人のエピソードは純愛のように描かれていましたが、実際はそうでもありませんでした。
ヴァージニアはバグジーと出会った後も多くの男性と関係を持っていた。
だがバグジーはヴァージニアを深く愛していたようである。
フラミンゴが一時オープンして間もない頃、ヴァージニアはカジノでひどく酔っぱらい、他の女性を殴ってしまう。
これに怒ったバグジーは彼女を二階につれて行き、「俺に恥をかかせるな!」叱りつけた。
その後、一人残されたヴァージニアは睡眠薬をがぶ飲みし、自殺を図る。
結局はバグジーが倒れているヴァージニアを発見し病院に運び、胃洗浄をして貰ったのでなんとか一命を取り留めた。
このようにヴァージニアはなんとも不安定な一面を持っていたのである。
ちなみにバグジーの死後も三回、自殺を図っている。
キーフォーヴァー委員会とヴァージニア
1951年3月16日、ヴァージニアはマフィアについての聞き取り調査を行っているキーフォーヴァー委員会に呼び出された。
法廷に到着したヴァージニアは5,000ドルのミンクのコート、つば広の帽子とシルクの手袋をして現れ注目を集めた。
やがて公聴会はヴァージニアが金庫に保管していた数万ドルの現金の出所について質問した。
ヴァージニアは金の出所について「お金は競馬で当てたの」と返す。
さらに話がヴァージニアの〝金の運び屋〟としての話になると「バグジー・シーゲルを含め、私が関わった男達は金の運搬を依頼したのではない。口でする贈り物を送った」と説明した。
その他の高価な品々についてはこう話した。
「私がバグジー・シーゲルと一緒にいたとき、私が欲しいものすべてを買ってくれました。彼はすべてを支払いました。そして私にいくらかのお金をくれて、フロリダの家も買ってくれました」
落ち着いて答弁したと思ったが、この日もヴァージニアは荒れた。
公聴会が終わり法廷を去る際には、ヴァージニアはひどく興奮しており、卑猥な言葉を叫び、女性記者を殴り倒している。
さらにはタクシーに乗る際には「お前達に原爆が落ちればいい!」と捨て台詞を吐いた。
その後のヴァージニア
その後も症状は回復せず1965年には七回目の胃洗浄を行っている。
彼女はしきり「人生に疲れた」と漏らしていたとか。
そして亡くなる前年の1965年には古からの友人達に金を貸して欲しいと頼んでいる。
その中には最も古い友人の一人、ジョー・アドニスがいた。
しかしアドニスはこの申し入れを断っている。
この事から翌年のヴァージニアの自殺はアドニスの仕業と疑う人も。
そして翌年、1966年3月24日、オーストリアで、小川の横の小道を歩いている通行人が、木の横の雪の中で女性の死体を見つけた。
彼女のコートは地面にきれいに折りたたまれていて、遺書には「人生に疲れている」と書かれていた。。