三分で学ぶ! ヴァージニア・ヒル
三分で学ぶ!マフィア暗黒史
ヴァージニア・ヒル編

こんにちは!
今回は、このコーナー初の女性 ヴァージニア・ヒルを紹介していきます!

バグジーと出会うまで
〝フラミンゴ〟として知られるヴァージニアは1916年8月26日に産まれた。
12人家族の7女として産まれたヴァージニアは、1931年15歳の時に結婚。
1933年、17歳の時にヴァージニアと夫はシカゴへ。
彼女はウェイトレスと売春婦を掛け持ちして、生計を立てる。
次第にマフィア達に気に入られたヴァージニアは、メッセンジャーの役割を勤めるように。
数多の男達と関係を持ったヴァージニアは、アル・カポネのいとこ、チャールズ・フェシッティの女となった。
しかしフェシッティは、ヴァージニアを愛していたわけではなかった。フェシッティはニューヨークのジョー・アドニスを監視する任務を彼女に与える。
彼女はニューヨークへ行き、アドニスと関係を持ち、彼の女となった。

この頃にはヴァージニアは、書類上でも4度の結婚を重ねていました。
結婚というものを軽くみているようにも思われるヴァージニアにはこんなエピソードがあります。
ヴァージニアは12才の弟に、コーラスガールを紹介して、こう言った。
「女と寝たければ、寝ればいい。でも結婚は絶対にダメ!」
ヴァージニアはその後も、違う女を代わる代わる弟に紹介したが、結婚は絶対に許さなかったそう。
バグジーを手玉にとる
バグジーとの出会いには諸説ありますが、ニューヨークへと通っていたヴァージニアは、ある晩 ベンジャミン・バグジー・シーゲルを紹介され、そのまま一夜を共にした。

これが二人の馴れ初めだと言う人もいます。
ともあれ、バグジーはヴァージニアに惚れ込んで妻を捨て、彼女に尽くすように。
親友のルチアーノやランスキーは、バグジーに忠告をしたが、恋は盲目だった。

バグジーの建てた〝ホテル フラミンゴ〟の名前の由来とも言われるヴァージニア・ヒルのあだ名 フラミンゴ。
このあだ名の由来は、「足が綺麗だから」「顔が真っ赤になるから」「フェ◯チオが上手だから」など諸説ある。
やがて、バグジーに〝フラミンゴ建設責任者〟に任命されたヴァージニアは、あらゆる方法を使って建設費用を水増しし、せっせとスイスにある自分の口座に運んだ。
しかし、これはバグジーだけの金ではなく、マフィアのボス達の金。
横領を疑われたバグジーが射殺される四日前、身の危険を感じたヴァージニアはフランスへ旅に出ており、旅先でバグジーの訃報を知った。
どんな心境かは謎ですが、バグジーの訃報を知ったヴァージニアは、泣き崩れたそう。

バグジーの死後
バグジーの死後、ヴァージニアは盗んだ金をマイヤー・ランスキーを通してマフィア達に返金した。

そして、1950年には再婚し息子を授かっている。
1951年には、キーフォーバー公聴会に召喚され、マフィアについて質問を受けたが、何も知らないと開きなった。
この事からマフィア達は、少なからず安堵した。
その四年後にヴァージニアは、多くのマフィアと同様、脱税で起訴され、当局から逃れるためヨーロッパに移住。
その後、慎ましく暮らすと思われたヴァージニアだったが、彼女は知っている情報を盾に、マフィア達を強請ろうとした。
その後、1966年にヴァージニアは睡眠薬の過剰摂取で亡くなったが、これは他殺だという説も根強い。
ヴァージニア・ヒルの動画
こちらはキーフォーヴァー公聴会(政府の聞き取り調査)に呼ばれた際のヴァージニア・ヒル
モブミュージアムには、実際の法廷にプロジェクションマッピングを行い、この調査の様子をリアルに体感できるアトラクションがあります。

オンラインで博物館を体感できるような企画を調整中です。 やって欲しいなーと言う方はぜひ記事をシェアしてくださいm(__)m
