ラッキー・ルチアーノと海軍の関り
ラッキー・ルチアーノと海軍の関り
第二次世界大戦中、ラッキー・ルチアーノをはじめとするマフィア達は、ニューヨークの港の警備に貢献したと言われている。
1942年6月13日の暗い時間帯、ドイツのUボートがロングアイランド沿岸に浮上した。
そこから現れたジョージ・ダッシュ率いる4人の破壊工作員の目的は破壊活動。
アストリアのヘルゲートブリッジと化学工場がその目標だった。
間もなくして、海軍情報部のチャールズ・ラドクリフ・ハッフェンデン中将は、4人の怪しい男がロングアイランドのイーストエンドで目撃されたとの報告を受ける。
そんな些細な情報を瞬時に集められたのは、彼がマフィアと繋がっていたからだ。
マフィアはニューヨークの港湾、港湾労働者、漁師を暴力で支配していた。
そこで、些細な情報でもすぐに報告するよう命令していたのだった。
ある識者はこう語る。
「海軍は、ニューヨーク港の警備を完全にコントロールすることができないことに気づいた。誰も彼らと口を聞いてくれなかったからです。
海軍は、マフィアが協力する用意があるだけでなく、喜んで協力することを知り、驚きました。
彼らの多くは忠実であった。
彼らはアメリカ合衆国を愛していたのです」
1942年初頭、Uボートがロングアイランドに上陸する数カ月前、ハッフェンデンは、国家の敵として知られる人物を非公式に派遣し、ニューヨークをナチスから守る極秘計画を練った。
マイヤー・ランスキーは、獄中の軍公認の会議で命令を下すボスの一人だったという。
ハッフェンデンは、ランスキーの紹介でフルトン魚市場の皇帝と呼ばれたフランク・ソックス・ランザと落ち合った。
場所は深夜のリバーサイドパークのベンチ。
ソックスは、ヒトラーもムッソリーニも大嫌いな正真正銘の「愛国者」であったので、簡単に説得された。
ソックスのおかげで、それまで英語がわからないふりをしていた遠洋漁業の船長たちが、海軍の役人に親し気に挨拶をするようにになったという。
また、識者はこう話す。
「短期間のうちに、アメリカの漁船団がドイツのUボートを探す最初の防衛線となったのです。
この関係が進むにつれて、海軍は水辺のより多くの場所にアクセスできるようになりました。
連絡網は、ロングアイランドや東海岸全域、特にニューイングランドに及んでいました」
ソックスが役立っていたとしても、マフィアが支配できない港や埠頭はまだたくさんあった。
そこでソックスは、全国の港を支配するゴッドファーザー、ラッキー・ルチアーノを紹介した。
ルチアーノは当時、30年から50年の禁固刑に服しており、面会の手配は複雑だったという。
「海軍はFBIにルチアーノとコンタクトしたことを知られたくなかった。
だから、彼を別の刑務所に移して、何か大きな取引の一部ではないように見せかけるために、あらゆる方策を考え出さなければならなかった」
最終的にルチアーノは、アメリカの港を保護するという取引に応じた。
ランザと違って、ルチアーノは完全に血気盛んな愛国者として活動していたわけではなかった。
彼は自分の帝国を運営するために軍事戦略を用い、獄中の軍事認可された会議中に主要な仲間であるランスキー、フランク・コステロ、ウィリー・モレッティに命令を出していたのである。
「彼は仲間たちと20回ほど面会した。
彼は自分の犯罪の目的を達成するために、会議を利用していた」
アンダーワールド作戦
マフィアと海軍の港保全活動「アンダーワールド作戦」は、港の保護とスパイ活動から、ルチアーノのかつての故郷であるシチリア島への連合軍の侵攻と占領の支援へと発展した。
コードネーム、ハスキー作戦である。
「アメリカはヨーロッパで戦争をするには不利な状況にあった。
第一次世界大戦で収集された地図、海図、データ、情報はすべて破壊されていた。
そこで、シチリア島の情報を集める必要があった。
マフィアは人脈をフル活用して、最近シチリアに行ったことのある人、そこの港で働いたことのある人を集め海軍に連れてきた。
マフィアはハスキー作戦の際、シチリア島とのつながりを利用して連合軍を助けたのだ。
また、マフィアの人脈は、1943年のシチリア侵攻における第一波でも役立つことになった。
ニューヨークのマフィアは、占領期間中にアメリカが友好的な勢力であることを示すために、地元のマフィアを含む原住民に軍隊の大使として話をした。
大きな目的は、イタリア人をアメリカに寝返らせることで、まさにその通りになった。
マフィアは第二次世界大戦において連合国の真の同盟者だったのだ。