グッドフェローズ裏話
1990年のマーティン・スコセッシ監督の映画『グッドフェローズ』。
この映画は実話に基づいたものだが、何人かの登場人物の名前が偽名に変更されている。
その背景にはロバート・デ・ニーロの存在があった。
デニーロの役作り
ロバート・デ・ニーロは、アイルランド系アメリカ人のギャングで、ルッケーゼファミリーとつながりのあるジミー・バーク(コンウェイと改名)役を演じるにあたり、ルッケーゼ一家の幹部ポール・ヴァリオ(映画ではシセロと改名)と関わり、丹念な下準備に取り組んだ。
テキサス大学のランサムセンターにある「デ・ニーロ・アーカイブス」にある『グッドフェローズ』の脚本には、各シーンで彼が身につける服や道具の詳細が手書きのリストで示されている。
また、演技に盛り込む予定の小さなジェスチャーや、会話の間に関するメモも記されている。
例えば、ジミーがマーティン・クルーグマン(改めモリー・ケスラー)を殴るかどうか決めるシーン。
かつら屋を経営していた彼が主役のテレビコマーシャルを見る一幕がある。
その部分の台本のメモには、こんなことが書いてあった。
「遠い目+ポーズで、”What am I gonna do with you.”」
また、デ・ニーロは、実際のバークのさまざまな年齢の写真や、ルッケーゼファミリーについて報じた新聞の切り抜きもファイリングしていた。
デ・ニーロは、1979年の連邦刑務所局のバークに関する報告書のコピーも入手しており、そこには次のようなことが書かれている。
「バーク氏は、長期間の収監中、自己改善プログラムを利用しなかったが、それでもフードサービス部門とグラウンド整備部門における仕事ぶりには優れた評価を受けた。彼の全体的な適応度は平均以上で、その努力に対して正当な時間と報酬が与えられていました。」
デ・ニーロは、この映画の撮影中、実在のヘンリー・ヒルと連絡を取り合いながら、自身の描写をさらに深めていった。
さらに、本物のジミーや、彼の娘であるキャサリン・バークとも話した。
ただし「ジミーと話した」という情報はあいまいで、改めてマスコミに尋ねられたデ・ニーロは、「ジミー・バークに会うという考えは、彼が投獄されていたので難しいかもしれなかった」とだけ答えている。
ちなみにデ・ニーロは、ある時点でキャサリンが連絡を絶ったと明かし、その理由については何も説明しなかった。
ここからは一部のマスコミの憶測にすぎないが、ジミー親子は制作側に、「バークの名前を使うために10万ドルを払え」と要求したそうだ。
そして、そうする代わりにデ・ニーロとスコセッシ監督は、映画に登場する実在の人物の名前をほとんどすべて変えてしまったという。
その証拠に、1989年1月12日付けの映画の台本には他のキャラクターが本名で記されているが、現存する台本では、何人かのキャラクターが偽名に置き換わっている。
ヘンリーヒルの裏話
余談ではあるが、原作者のニコラス・ピレッジも、映画の製作に携わるにあたり、いくつかの事実を捻じ曲げている。
実は「ヘンリー・ヒルがアルコール中毒であり、妻と子供をひどく虐待していた」との家族の証言があったのだが、これは聞かなかったことにした。
それは、ヘンリーを悪く描けば、彼が取材に協力してくれなくなるからである。
それから、こんな裏話もある。
ヘンリーたちに証人保護プログラムによる路上生活から逃れる機会を提供する検事エド・マクドナルドは本人が演じている。
実はニューヨークの警官ボー・ディートルもこの役のオーディションを受けていたのだが落選。
最終的に彼は、銃を持ち自宅の私道でヘンリー・ヒルを取り押さえる警官に抜擢された。