レイモンドパトルアリカとFBI機密ファイル
ニューイングランドマフィアとFBI機密ファイル
今回は2016年にFBIが公表したニューイングランドマフィアのボス レイモンド・パトリアルカに関する機密ファイルの内容をお届けします。
レイモンド・パトリアルカとは?
レイモンド・パトリアルカは1940年代~1980年代半ばまで、ニューイングランドのマフィアファミリーのボスだった人物。
経歴としては20前半の時に強盗と売春斡旋業の容疑で逮捕。
その後は当時のニューイングランドのボスのフランク・イヤコーネをラッキー・ルチアーノの力を借りて暗殺、ボスの座を奪った。
その後は順調に犯罪帝国を築いていたが、1960年代初頭にFBIがロードアイランド州プロビデンスにあるオフィスに盗聴機を設置した事で、彼の帝国は崩壊してゆく。。。
FBIの盗聴器
FBIは盗聴により1966年にライバルだったウィリアム・マルフェオを電話ボックスで射殺したことを知った。
1968年、パトルアリカには5年の刑が言い渡された。
続いて1970年にはマルフェオの兄弟であるルドフを銃撃した罪で起訴されてしまう。
なんとか刑期を終え釈放されたものの、1980年と1981年にもゆすりなどの罪で再逮捕された。
しかし、どの場合も裁判官は彼が病気で裁判に耐えられないと判断し不起訴に。
最期は1984年に愛人と一緒に寝ている時に心臓発作を起こして亡くなった。
パトルアリカはニューイングランドだけではなくヴィト・ジェノベーゼやジョゼフ・ボナンノとも交遊があったマフィア。
ジョゼフ・ヴァラキは「パトリアルカは、マフィアになるために生まれてきた男だ」語ったという。
パトリアルカについて一般的に以上の事しか知られていなかった。
しかし2016年にFBIが約10,000ページの文書を公開した事で、現在ではより詳しくパトリアルカの悪行を知ることが出来る。
ちなみにこの文章は、当時のFBI長官エドガー・フーヴァーが「マフィアは存在しない」と主張し取り合わなかったため、長らく陽の目を見ることもなく保管されていたものである。
文書の内容
文書によるとパトリアルカは1908年3月17日、マサチューセッツ州ウースターに誕生。
学校を中退後はベルボーイ、メカニック、ヘルパー、アパートの管理人として働いた。
20代の間に、彼は堅気の仕事を辞めギャング、もしくはプロのギャンブラーとして生計を立てるように。
1928年から1944年の間には強盗、窃盗、武装強盗の前科を重ねている。
1931年、23歳の頃からは売春を主な仕事にしていたと見られている。
1938年には宝石強盗の罪で五年の刑を宣告され服役。
しかし四ヶ月後には賄賂により釈放されている。
1954年までFBIは、パトリアルカを強力なギャングとは見なしていなかった。
しかし一部の捜査官は、彼がいくつかの州で強盗と盗難を指揮していて、その上がりを使って違法カジノやヤミ金ビジネスを拡大していると見ていた。
ある日、捜査官は商人に「みかじめ料」を要求する男性のグループを発見。
彼らは支払いを拒否した店の窓を壊していった。
これもパトリアルカの手下だと思われる。
FBIとパトルアリカ
FBIはパトリアルカをマークしていなかったが国税庁は違った。
1945年から1951年まで86,000ドル以上の脱税を行っているとみて捜査を進めていたのだ。
1955年、FBIはパトリアルカがラスベガスに1デューンズホテルというカジノをオープンしたという情報を掴んだ。
田舎の小物ギャングがラスベガスにカジノをオープン出来るはずはない。
ここでFBIはパトルアリカが大物だと気がついた。
また、同年にある情報提供者が「パトリアルカがニューイングランド地域のほとんどを支配しており、すべてのギャンブル活動から分け前を受け録っている」と話したことで、FBIは本格的な捜査を始めることに。
この後の展開は前述した通りで、パトリアルカは盗聴器による捜査で、犯罪帝国を破壊されてしまうのだった。。