マフィアと暗号学者
マフィアと暗号学者
今回はマフィアの暗号を解読した女性の物語です。
エリザベスフリードマン
エリザベス・フリードマンは1892年8月26日にインディアナ州ハンティントンに産まれ、その後はミシガン州のヒルズデール大学でドイツ語、ラテン語、ギリシャ語を学び、1915年に英語の学位を取得。
1917年に夫と結婚。
二人は第一次世界大戦中の暗号局の創設にも携わった。
二人の能力は凄まじく、日本の外交官が使用していた暗号を解読したり、第二次世界大戦中に米国が使用した解読装置の発明をしたりもしている。
1926年、米国沿岸警備隊の諜報員であるチャールズ・ルート大尉はエリザベスに酒密輸業者を摘発する為に協力して欲しいと申し出た。
密輸業者は捜査状況などを暗号化してラジオ放送することで伝え合い、巧みに捜査を交わしていた。
さらに沿岸警備隊は、密輸業者を捕まえるために僅かな人員で19,000マイルの海岸線を警備しなければならず苦境に立たされていた。
そんな中ルート大尉は、ハリー・アンスリンガー(後に米国麻薬局長)と協力して大きな取締に向けて作戦を立てている所だった。
アンスリンガーは後にラッキールチアーノが最も恐れる人物となると男です。
暗号解読
エリゼベスの仕事は秘密の無線送信を解読して、沿岸警備隊に酒を積んだボートが取っている航路を知らせること。
彼女は当初解読はパートタイムで雇われ解読に取り組んだ。
幸いにも暗号は容易に解読できるようなもので、功績を認められたエリザベスは1927年正式に沿岸警備隊と外国管理局に雇われ暗号学者の地位に就く。
「海上で酒類密輸入者と戦わなければならなかった組織である沿岸警備隊は、効果的に活動するために沿岸警備隊の船による単なるパトロール以上のものを必要としていました」と彼女は語る。
警備隊よりもギャング達の方が高速なボートを使用していて、数も多かったのでエリザベスの助けなくして摘発はむずかしかったのでした。
1928年に彼女は税関局の税関調査サービスの特別代理人として財務省に異動し、次の2年間はメキシコ湾と太平洋岸の密輸業者から送信された暗号の解読に取り組んだ。
しかしエリザベスは次第にこの仕事に空しさを感じるようになってゆく。。
ニューヨークの酒密売の黒幕 フランク・コステロやマイヤー・ランスキーは無尽蔵の手下を使い摘発しても仕切れない件数の密輸を行っていたし、シカゴのアル・カポネが独自に雇った密輸業者達も暗躍していた。
エリザベスは当時をこう振り返る。
「ニューヨークのコステロは全米に工作員のギャングをもっていたし、シカゴにはトーリオカポネがいた。
カポネはビールだけで年間5000万ドルから1億ドルを稼ぐと言われていました。」
「犯罪者がこれほど急増する利益を見つけたことは一度もありませんでした。
反犯罪勢力がこのような法違反の普遍的な津波に遭遇したことは一度もありませんでした。
政府の執行機関の大多数は良心的でしたが、それは最初から敗北した戦いだったのは事実です。」
しかも摘発した事件の9割は不規則とされていた。つまり焼け石に水だったと言うわけである。
勿論、当初は彼女もこの現状を打破しようとしたが、いざ裁判となると買収された陪審員は無罪判決を下すので、どうにもならないのだった。。。
大物の摘発
そんな彼女の努力が身を結んだケースがある。
1933年、エリザベスは、ニューオーリンズのギャング バート・モリソンの刑事裁判の専門家証人として呼ばれた。
モリソンは事前に決められた場所で小さなボートに数百万ドル相当の酒を積み、ニューオーリンズでトラックに移し変えカナダへと運んでいた。
モリソンのグループは、この一連の密輸作業にあたり取引相手や仲間との連絡に、暗号を使用。
この暗号をラジオ局から秘かに放送する事でモリソンは全国の仲間に酒の量や取締ポイントなどを伝えていたのだ。
モリソンが送った何百もの暗号は米国沿岸警備隊によって受信され、ワシントンDCのフリードマンの暗号ユニットによって解読されました。
フリードマンは法廷にいる間、黒板を使用して暗号学者がコードを平易な言語に翻訳する方法を陪審員に説明。
彼女の説明によると「酒」は「大佐」に置き換えられていた。
その結果モリソンと仲間は懲役刑を言い渡された。
フリードマンはこの事件を振り返り
「私が知る限り、これは私の仕事(暗号解読)が密輸業者に対する起訴に役立った唯一のケースでした」と話している。