フロリダとアルカポネ
今回はアルカポネとフロリダの関連についてです。
フロリダとアルカポネ
1925年の夏、フロリダは大規模な土地ブームの真っ只中にあり、全国の不動産投機家や開発者が億万長者を夢見てやってきた。
フロリダで最も人気のある場所は、東はタンパベイ、西はメキシコ湾に囲まれたピネラス半島にある急成長中の都市、サンクトペテルブルク。
サンクトペテルブルクはサンシャインシティとして知られており、開発と資金に溢れていた。
そんなサンシャインシティの不動産市場を牛耳ったのはマンローコーポレーション。
この会社はロバート・バネッラという男の経営。
しかし、その会社の影の社長はジョニー・トーリオ、ジェイク・グージック、アル・カポネの三人だった。
アル・カポネとジョニー・トーリオ
マンローコーポレーションは、サンクトペテルブルクとビーチタウンのバリアー島の間のボカシエガ湾にある20エーカー以上の広大な土地を住宅用地と土地区画として購入。
トーリオ、グージック、カポネが不動産を購入している間、地元の協力者であるウォルター・フラーは、町の西側にナイトクラブ、レストランを建設。購入した不動産の価格はうなぎ登りとなった。
1924年にオープンしたクラブは町で最もホットな場所、若者の聖地となる。
クラブは素晴らしいエンタテインメントを売りとしており、デューク・エリントンからナット・キングコールなど一流のスターが演奏した。
また地元のギャングたちの待ち合わせ場所としてもよく活用されたとか。
勿論、クラブはお酒を提供していたし、常連客の持ち込みも許可していた。
しかし、クラブの目玉は他にあった。
クラブからは湾に向かってトンネルの噂があり、そこから船上カジノへと行くことが出来たのだ。
摘発を逃れるために、船上で行っていたのです
さらなる発展
この地域一帯が観光地になってくると、カポネ達はゴルフコースと専用滑走路を備えたホテルを建設。
ホテルは1926年2月10日にオープンし、大盛況となった。
開業直後にはこのホテルにはトーリオも滞在し、それ以来ホテルを気に入り、事あるごとに宿泊したうえ、引退後はしばらく住んでいたそう。
アルカポネの噂
ホテル建設以降、サンクトペテルブルクでアルカポネがよく目撃されるようになった。
一説にはカポネがサンクトペテルブルク北部に母親のために家を建てたといわれている。
後に歴史家がカポネの家を探したが見つからなかったので、詳細は謎のままである。。
大恐慌時代
大恐慌はフロリダの土地ブームに終止符をもたらし、観光業は打撃を受けた。
カポネ達のクラブも1932年頃に閉鎖され、同時にカジノ船も操業を取り止めた。
ホテルは存続したもの1945年に売却、現在は学校となっている。