バグジー射殺事件の謎2

バグジー射殺事件の謎2

バグジー射殺事件の謎2

情報提供者の話

バージニア・ヒル

バグジーのガールフレンド、バージニア・ヒルは、銃撃事件の時、パリにいた。

彼女は事件の2週間前には、ラスベガスを出発していましたようだ。

実は1947年7月、FBIの匿名の情報提供者が、バグジーを撃った犯人の正体について、こう主張している。

『マイヤー・ランスキーはバージニア・ヒルの兄が「シーゲルがヒルを虐待していたためにシーゲルを殺したのではないか」と言っていた』

事実、バグジーは5年ほど前からヒルと頻繁に会っており、情事を持っていたにもかかわらず、しばしば喧嘩をしていた。

1946年と1947年にフラミンゴで働いたバーニー・シンドラーも、2015年の回顧録『The Bernie Sindler Story』で同じ主張をしている。

最新の分析

モー・セドウェイ

2014年、ロサンゼルス・マガジンのエイミー・ウォレスが、モー・セドウェイを事件の中心に据えた記事を発表した。

モーはバグジーの部下だった人物である。

ウォレスはモーの未亡人、ベアトリスが書いた未発表の本の企画書をもとにしたそうだ。

その中にはこのような主張が綴られている。

『バグジーはセドウェイがフラミンゴの経営状況を正確に記録し、悪化した債務状況をマイヤー・ランスキーに報告していることを知り、彼女の夫を殺させようと計画した。
だが、バグジーの計画を知ったモーは、迅速に対応。

代わりにバグジーを殺害するようランスキーの了解を得た。

また、実行した狙撃手は、彼女と不倫関係にあったマチュー・”ムース”・パンザである』

ウォレスは、パンザが6月20日にシーゲルの動きを追って、スマイリーの後ろからノース・リンデン・ドライブの家まで車で行ったと書いている。

バグジーを撃った後、パンザは自分の車に飛び乗り、サンタモニカの路地に入るまで運転を止めず、そこでライフルを壊した。

銃身は海に投げ捨て、尻は屋根に置いた という。

このようないくつかの説の中で、バグジー射殺事件についてはいくつかのことが明らかになっている。

まず計画的な犯行だったということだ。

事件当日の夜、フラミンゴの8時30分のショーの間に、8人の男がショー会場のテーブルを離れ、警備デスク、フロントドア、カジノケージに素早く移動し、不足の事態に備えてフラミンゴを見張っていた。

さらに銃撃の直後、アレン・スマイリーはフラミンゴのすぐ外にある電話ボックスで男に電話をかけた。

その男は後に、ラスベガスFBI捜査官カーティス・ライナムの情報提供者になった。

スマイリーは情報提供者に「シーゲルは顔と胸を撃たれ、死んだ」と話したそうだ。

そしてスマイリーの電話のわずか数分後に、モー・セドウェイはガス・グリーンバウムと共にフラミンゴへ到着。

バグジーが死んだこと、そして自分たちがこのホテルを支配することを発表した。

ライナム捜査官は最期まで情報提供者の名前を挙げなかったが、彼についてこう説明している。

『1947年4月、ある男がやってきて、「FBIを手伝いたい」と言った。

この情報提供者は「ロサンゼルスに妻子がいる」、「ラスベガスに愛人を置いている」と話した。

この情報提供者は、バグジーの活動を私に知らせてくれた。』

整理するとこうなる。

・ロサンゼルスに妻子がいる

・ラスベガスに愛人がいる

・バグジーの側にいる人物

これらの条件に当てはまる男は、セドウェイだけである。

実際、1948年と1951年のFBIの報告書には、セドウェイがラスベガスの「秘密情報提供者」であることが明記されている。

アレン・スマイリーが銃撃の後に電話した情報提供者が彼であることは間違いない。

この結論を裏付ける状況証拠がまだある。

ラスベガスのFBI捜査官は、地元警察のある人物(FBI報告書では名前を伏せてある)がこう話したと記録している。

『セドウェイは、バグジーが殺される直前に特異な行動をとり、殺害以来、彼は猫のように神経質になっている。
奴が殺人を計画したんだ』

モー・セドウェイは引き金を引いたわけではないが、バグジー殺害に一役買ったのは明らかである。

彼は犯人と密接に連絡を取っていたか、暗殺が成功したことをすぐに知る人物と連絡を取っていたはずだ。

そうでなければ、彼はいつフラミンゴに進撃して乗っ取ればいいのか分からなかっただろう。

バグジー射殺事件については、ビバリーヒルズ警察の犯罪事件番号46176として記録されている。

だが、現在もその記録は非公開のままだ。

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