アンナ・ジェノベーゼの結婚生活
ジェノベーゼファミリーの妻
アンナ・ジェノヴェーゼが裁判所に提出した書類には、「夫ヴィトは彼女を危険にさらし、生活を非常に惨めなものにした」とある。
この離婚裁判の中でアンナは、夫の組織犯罪への関与について証言を行い一躍脚光を浴びることになった。
当然のことながら、マフィアの妻が夫について証言をするなど前代未聞のことであった。
馴れ初め
1932年3月、ヴィト・ジェノベーゼはいとこであるアンナに一目惚れしていた。
ヴィトはアンナに夢中だったが、彼女は人妻。
リトルイタリーでパン屋を営むジェラール・ベルノティコと結婚していたのだ。
そこでヴィトはジェラールの処刑を部下に命じる。
それから二週間後、ヴィトとアンナはスピード再婚する。
しかもアンナはこの時、妊娠6か月だったという。
今となっては子供の父親が誰なのかは定かではないが、色々と想像を巡らせてしまう。、
夫妻の新居は1905年に完成したボザール様式の退廃的なアパートで、石灰岩の柱、大理石のロビー、錬鉄製のバルコニーを備えていた。
この建物はマーロン・ブランドが住んでいた事でも有名である。
二年後の1935年にはニュージャージー州ミドルタウン・タウンシップにある40エーカー豪邸を購入。
ヴィトはアンナを心底愛しており、望むもの全てを買い与えていた。
その一方で家庭外でのヴィトは数多くの殺害を命じた残忍な男だった。
1937年、ハドソン川から遺体が引き上げられ、ある殺し屋が逮捕された。
殺し屋は警察の尋問に根をあげる「ヴィトに命じられた」と白状してしまう。
こうして殺人容疑に問われたヴィトはビジネスの大半をアンナに任せ、単身イタリアへと旅をうった。
ヴィトが不在の間、アンナはナイトクラブやバーの運営に携わった。
彼女のバーは同性愛者のたまり場として有名に。
さらに奇妙なことに、バーの従業員は「アンナは女性が好きだった」と話している。
離婚裁判
1945年6月1日、イタリアに潜伏していたヴィトは逮捕され、身柄をアメリカに引き渡された。
しかし、依然として組織内で影響力を持っていたヴィトは証人を殺害するという荒業で起訴を逃れる。
再びアンナと暮らせるー、そう考えるヴィトにアンナは離婚を突きつけた。
ヴィトが不在の間にアンナは独立した女性へと変貌、男に縛られる人生に戻るなど考えられなくなっていたのだ。
しかしアンナを溺愛するヴィトは離婚にもう反対。
こうして離婚裁判がスタートしたのだが、そこでアンナは夫と組織の犯罪について洗いざらい証言した。
その内容はナイトクラブ、麻薬、競馬などのあらゆるシノギについて。
さらにはフランク・コステロやアルバート・アナスタシアなど大物マフィアについても名指しで証言を行った。
「フランク・コステロはヴィトよりも大物です」
コステロはヴィトの天敵だったマフィアのボス。
つまり、証言にはヴィトに恥をかかせようという思惑が秘められていたのだろう。
こうした裏切り行為に他のマフィアは大激怒。
アンナを始末しなければ、、とマフィア達は考えるようになった。
だが、アンナは1982年1月に脳卒中で死亡するまで平穏な生活を送っている。
なぜなのかー?
それはヴィトが生涯、アンナを守り通したからである。
ちなみに裁判の末、離婚が成立。
アンナとは疎遠になったものの、ヴィトは娘と孫を生涯、溺愛していた。