最も凶悪な殺し屋ベスト5 前編
最も凶悪な殺し屋ベスト5 前編
今回はモブミュージアムが発表した凶悪なマフィアベスト5をご紹介していきます。
「あなたの良心を痛めたことがありますか?」
「始めはかなり緊張していました」
「二回目は?」
「それほど悪くはなかった」
「その後は?」
「大丈夫だった。何も感じなかった。殺人は慣れる」
これは殺人株式会社のメンバーだったレルズの裁判でのやり取り。
マフィアの世界では殺しは日常茶飯事であり、必要不可欠なものである。
そんなマフィア界には無数の殺し屋が存在しているが、今回は特に悪名高いメンバーをご紹介します。
No.5 ジャック・マクガーン
マクガーンといえば1936年の聖バレンタインの虐殺を指揮したことで有名。
「マシンガン」の異名をもつマクガーンはボクサーあがりの武闘派で、幾多のギャングを葬ってきた。
この中には地獄のジェンナ兄弟などの大物も含まれている。
アル・カポネの右腕として悪名を馳せたものの最期は悲惨な死を迎えた。。
No.4 エイブ・レルズ
1906年にブルックリンで生まれ、ブラウンズビルで育ったレルズは15歳で強盗稼業を始めた。
彼は歩行に関して障害があり、常に靴を飛ばそうとしているように見えたという。
しかし札付きのワルだったレルズはやがて殺人株式会社の一員に任命される。
かれは“組織の義務”と称して次々と殺人を重ねて行く。
しかし、殺人株式会社にはもっと凄腕のシリアルキラーがいた。
レルズが今回ランクインしたのには別の理由がありました
「殺害された50人の男についてあなたに話すことができます」
捕まるとレルズはすぐにこう話したのだ。
彼の証言によりマーダーインクのボス ルイス・バカルターを始め多くの仲間が電気椅子へ送られることとなった。
一方、警察に匿われのうのうと生きているレルズの口を封じるべくラッキー・ルチアーノは策を講じた。
1941年11月12日、レルズはボディーガードを勤めていた警官達にホテルの窓から落とされ死亡した。
しかしシーツを結んだ紐が見つかったことからレルズの転落は事故として処理されたのだった。。
No.3 ロイ・デメイオ
デメイオはガンビーノファミリーのメンバーで1970年代から1980年代初頭にかけて200人以上を殺害されたとされている。
彼の率いた通称“デイメオクルー”は殺人狂揃いで、その残虐性にはジョン・ゴッティもドン引きしていた。
遺体処理
デメイオクルーは殺人株式株式と双璧をなす殺し屋集団で多くの残虐な逸話が残されている。
デメイオの信条は「ノーボディ、ノーギルティ」
デメイオは「遺体が見つかってほしくない場合には、それを細切れにするんだ」と豪語していたという。
あるケースでは、デメイオは男性の切断された頭をゴミ圧縮機に突っ込んだとも伝えられている。
デメイオには仲間達と遺体を解体している最中に「ピザを買ってこい」と命令したとの逸話もある。
この神経の太さには部下も驚いたとか。
しかし最期はデメイオクルーのメンバーに裏切られ悲惨な最期を遂げた。
惜しくもランクインしなかった殺し屋達
私の独断で惜しくもランクインを逃した殺し屋をいくつか紹介していきます。
ハリー・マイオーネ
殺人株式会社の筆頭殺し屋のひとり。
女装をして殺しを行ったことでも有名。
ルイス・バカルター
殺人株式会社のリーダー。
腰が低く面倒見のよい人物だった。
アルバート・アナスタシア
“死刑執行人”の異名をもつ殺人株式会社の副リーダー。
素手で相手を殴り殺すことを好んでいた。
ここまではご存知の方も多かったと思います。
明日はマニアックな人物が登場するのでお楽しみに!