三分で学ぶ!ソニーブラック
三分で学ぶ!ソニーブラック
今回はソニーブラックことドミニク・ナポリータを紹介していきます。
映画「フェイク」で一躍、有名マフィアとなったソニーブラック。
今回は映画では描かれたなかった彼の素顔に迫ります。
ソニーブラック誕生
ソニーブラックは1930年、ニューヨークにナポリからの移民の子として産まれた。
彼のいとこカーマイン・ナポリターノがマフィアだった事もありマフィアは身近な存在で、後にボナンノファミリーのボスとなるフィリップ・ラステリとも顔見知りだった。
ブルックリンでマフィア達に囲まれて育ったソニーブラックは自然とマフィアの仲間入りを果たすことに。
しかしこの時はまだ〝ソニーブラック〟ではなかった。
元はブロンドの髪だったが、40代に差し掛かる前には彼の髪は白くなっており、それを隠す為に髪を黒く染めた。
これが〝ソニーブラック〟の由来と言われている。
昇進したソニーブラック
ソニーブラックは当初、ボナンノファミリーのカポ マイケル・サベーラの部下として活動を始め、やがてカポに昇進。
〝ボスの中のボス〟になろうと画策したカーマイン・ギャランテを殺害し名声を高めた。
それによりソニーブラックはギャランテの利権の大部分を引き継ぎ、さらには降格されたサベーラに変わり彼のクルーを自らの配下に置いた。
ソニーブラックの率いたチームは主に強盗や恐喝、麻薬売買、カジノなどで財をなし恐れられるように。
そんな凶暴な一面を持つソニーブラックだったが、仲間からは厚い信頼を得ており〝ルール〟と〝仁義〟を重んじるリーダーとして尊敬されていた。
ソニーブラックの名言集
ここからは少し脱線してソニーブラックの名言をいくつか紹介していきます。
彼の人柄がよくわかると思います!
「私は洗練された人間じゃない。ずっとストリートの世界でやってきたんです。 ストリートが好きなんですよ」
「要はどれだけ力があるか、どれだけ権力を握れるか、どれだけ卑劣であるかってことだ。 これが満たされれば出世する事ができる。」
「毎日が闘争の繰り返しなんだ。 敵が誰かはわからない。 四六時中用事してなきゃならない。 自分の権力と地位を守るための謀略の日々なのさ」
「いいクルーを作りたい。一緒の部屋で寝られるほど信用できる仲間でな」
この言葉の通りソニーブラックは新入りのドニー・ブラスコを家に泊めてやったりと面倒見の良い兄貴分でもあった。
ドニーブラスコによるとソニーブラックは家では筋トレをしたり、屋上で飼っている鳩と過ごしていたとか。
また子供っぽい一面もあり、オフの日にはスポーツではしゃぐこともあったそう。
ソニーレッド暗殺
映画「フェイク」でもメインのエピソードの一つとなっているソニーレッド暗殺。
この事件の裏側には根深い問題があった。
この頃、ボスのラステリは服役しており、彼の影響力は弱まっていた。
その為ボナンノファミリーはラステリ派とソニーレッド派に分断されてしまっていたのだ。
ソニーレッドことアルフォンス・インデリカートはシチリアにルーツを持つ家系の産まれで、彼はいわゆる〝シチリア系至上主義〟とも呼べる派閥から支持されていた。
一方ソニーブラックはナポリ系の為、ソニーレッドと仲良くするという道は残されていなかった。
そういう訳で1981年、ラステリ派のソニーブラック、ソニーブラックの親友ジョセフ・マッシーノ等はソニーレッド派の暗殺を決行。
彼らは映画同様に、ソニーレッドを含む三人のカポを呼び出し、待ち伏せして蜂の巣にした。
これによりソニーブラックの立場は確立され、〝やがてはボスになるだろう〟と言われるまでの存在となった。
ドニーブラスコとソニーブラック
ソニーブラックが特に目をかけていて、いずれは正規メンバーにする事も決めていた新入りのマフィア ドニー・ブラスコ。
ご存知の通り彼は潜入捜査官。
殺害したソニーレッドの息子 ブルーノの殺害をドニーブラスコに依頼した事をきっかけに、彼の潜入捜査は打ち切られることとなった。
報復を危惧したFBIは敢えてソニーブラック達に〝ドニーは潜入捜査官だったんだ〟と明かして、報復はしないよう念を押す。
これにより彼を可愛がっていたソニーブラックは窮地に立たせることに。。
しかしソニーブラックはドニーの潜入捜査官としての仕事っぷりに経緯を表して、殺害される直前、自身の彼女にこう言い残した。「彼は彼の仕事をしたまでだ、もし誰かがやらなければならなかったのなら、彼で良かった。恨んではいない」
これがあの映画フェイクのラストシーン「お前だから許せる」の元ネタです。
また彼女はソニーブラックがドニーへの愛情故に潜入捜査官であると信じようとしなかった。 とも話している。
ソニーブラック殺害
ソニーブラックの失態が明らかとなると、親友だったジョセフ・マッシーノは満を持してボスとなるべく、ソニーブラックを殺害を画策し始めた。
そして1981年8月17日、会合へと呼び出されたソニーブラックは仲間の家へ。
そこで地下室へ降りるよう促された。
ソニーブラックはそこで「やるなら早くしな」と発言。
それを合図に二人の男が階段からソニーブラックを蹴落とし、発砲。
まだ生きていたソニーブラックは「もう一度撃て」と言い、次の発砲で死亡した。
少ししてFBIはソニーブラックの自宅の鳩小屋が解体されているのを発見し、彼が殺害されたの悟ったのだった。。
しかししばらくの間ソニーブラックは行方不明扱いとなる。
翌年、1982年8月12日、警察はバラバラにされたソニーブラックの遺体を発見。
2003年、ジョセフ・マッシーノはソニーブラック殺害の罪で起訴された。
同じく起訴された実行犯は「ソニーブラックは死ぬときも男だった」と話している。