三分で学ぶ! サント・トラフィカンテJr.

三分で学ぶ!マフィア暗黒史
サント・トラフィカンテJr.

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こんにちは!

今回は、〝フロリダの王〟ことサント・トラフィカンテ・Jr.を紹介していきます!

サントトラフィカンテ

キューバとトラフィカンテ

サント・トラフィカンテ・Jr.は、フロリダ州タンパでシチリア人の両親の元に生まれた。

サント・トラフィカンテ・Jr.は、フロリダのタンパを拠点に活動したマフィアのボスであり、父であるサント・トラフィカンテ・シニアの後を継いでボスとなった。

サントは〝二代目〟だったが親の七光りやボンボンの息子ではなく、父親以上にファミリーを発展させていく。

主な縄張りはフロリダとキューバで、さらにはニュージャージーやラスベガスなどにも影響力を持つようになっていった。

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やがて、サントは「フロリダの王」、「キューバの王」、「キューバの本当の独裁者」などと呼ばれ、恐れられる存在となります。

当時、キューバの大統領だった、フルヘンシオ・バティスタはサントにこう語っている。

「私の友人はあなたのものであり、キューバはあなたのものであり、あなたが欲しいものは何でも、、 、ホテル、カジノ、レストラン、すべてあなたのものだ。
あなたと私はキューバの神、私はこの国を統治しない、二人でこの国を統治しよう」

しかしキューバでの主導権はマイヤー・ランスキーに奪われてしまう。

これはトラフィカンテにとって許しがたい事だった。

だがトラフィカンテは戦争を始めて、せっかくの〝ハバナビジネス〟を台無しにするような愚か者ではない。

その後もランスキーや他のマフィアと、表向きは良い付き合いを続けハバナを発展させ続けた。

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警察とトラフィカンテ

1950年代、トラフィカンテは父の代から行っていたギャンブルビジネスなどで頻繁に逮捕されている。

1954年、贈収賄の罪で有罪判決を受けたが、上告し無罪に。

1955年にはタンパマフィアのボス、チャーリー・ウォールの殺害を命じた疑いをかけられたが、これも無罪に。

1957年、トラフィカンテはアパラチン会議(マフィアの全国会議)に参加して逮捕。

トラフィカンテは警察に〝ギャンブルビジネス〟を潰されたり、逮捕されたりと散々な目にあった。

しかし、その後キューバの大統領フルヘンシオ・バティスタがカストロに破れると事態はさらに悪化してゆく。

カストロとトラフィカンテ

フィデル・カストロの新政府はトラフィカンテのキューバでの資産を押収し、さらに彼を投獄。

その後、カストロは「望ましくない外国人」としてトラフィカンテを国外追放にした。

復讐を誓ったトラフィカンテは、CIAの要請に応じて「カストロ暗殺作戦」に協力する事に。

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他にもカルロス・マルセロ、サム・ジアンカーナ、ジョニー・ロッゼリなどのボスがCIAへの協力に同意したと言われています。

しかしカストロの暗殺は、12回に渡り決行されたが、どれも失敗に終る。

これについては、マフィアは本当はカストロを暗殺する気はなかったが、CIAから便宜を図ってもらうために、〝暗殺しようとするフリをしていた〟という説も。

いずれにしろ、カストロの暗殺を諦めたトラフィカンテは、キューバ革命を逆手に取り、キューバからの移民相手の商売で、大儲けした。

また、CIAと繋がりがあったトラフィカンテ、ジアンカーナ、マルセロ達は「ケネディ暗殺」にも関わったとも言われている。。

ドニー・ブラスコとトラフィカンテ

1986年には、FBIの先入捜査官ジョー・ピストーネ(ドニー・ブラスコ)がトラフィカンテについて証言し、トラフィカンテは法廷に召喚され、ボナンノファミリーが運営していた〝キングスコートナイトクラブ〟への関与について問いただされた。

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マイアミでは、他のファミリーと共同でビジネスを行っており、その様子は映画「フェイク」で描かれています。

その二年後、1987年にトラフィカンテは体調を崩し、心臓手術を受けるも死亡した。

彼が死んだとき、250億ドルの遺産が残されたと言われている。

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