3分で学ぶ! マフィアの始まり part2
前回のpart1に引き続き、マフィアの始まりの歴史を解説していきます!
ヴィト・カッシオ・フェッロ
1900年代前半、イタリアでボスの中のボスとして尊敬を集める男がアメリカへ渡った。
ヴィト・カッシオ・フェッロである。
住民に優しく、決断力と度胸を備えたフェッロは、誰からも尊敬させるマフィアだった。
そんな彼が、アメリカへやって来たのは他のマフィアと違い、困難から逃れる為ではなかった。
フェッロは、アメリカの血生臭い争いを終わらせ、強大な帝国を築こうと考えたのだ。
この頃アメリカでは、有象無象のマフィアが小競り合いを果てしなく続けていました。
フェッロは、アメリカのマフィア達から歓迎を受け、二年間ニューヨークやニューオリンズなどを転々とし、マフィア達に様々な教えを授けた。
特にフェッロの「カモを活かさず殺さず、アメとムチを使いこなせば、ただ暴力を振るうよりも利益は多くなる」という考え方は、現在でも多くのマフィアが見習っている。
そんなフェッロにも、アメリカ国内で当局の目が向けられるように。
数々のマフィアを捕らえた腕利きの刑事 ジョーゼフ・ペトロシーノが、フェッロに狙いを定めた事により事態は悪化していく。
遂に、フェッロはアメリカでの活動を切り上げイタリアへ帰国。
しかし、それを追ってペトロシーノもイタリアへ渡った。
二人は共に決着を望んでいた。
シチリアに到着したペトロシーノは、レストランで食事を済ませ、外に出た所を6発撃たれて死んだ。
撃ったのはなんとボスの中のボス フェッロ本人。
フェッロはこの件について、「俺のやったことに私情は関係ない。売られた喧嘩を買ったまでだ」と語った。
この報復として警察は、アメリカ国内にいたフェッロの部下達を逮捕した。
フェッロはアメリカに帝国を築くという当初の目標を果たすべく、信頼できる部下 サルヴァトーレ・マランツァーノをアメリカへ送り込み再起を図る。
その後フェッロは逮捕され、1943年に刑務所で死んでしまうが、フェッロの遺志はしっかりとマランツァーノに引き継がれていた。
その後、マランツァーノがアメリカマフィアを組織化する流れは
五大ファミリー編 で紹介した通りである。
五大ファミリーの父はサルヴァトーレ・マランツァーノであったが、その祖父と言える人物は、フェッロであった。
さらにマフィアをアメリカに根付かせたエスポジートは曾祖父といえるだろう。
そして、さらに〝主役のバトン〟はマランツァーノからチャーリー・ラッキー・ルチアーノへと渡されてゆくのであった。。
五大ファミリー制度を作ったマランツァーノには、こんなバックボーンがあったんです!