マッドドック・コールpart3
マッドドック・コールpart3
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逃走中
あらゆる勢力から追われるコールは部下を数人のチームに分け、数日ごとにアジトを移動させる作戦に出る。
コール自身も日ごとに、いろいろな変装を試し、出口が一つの建物には踏みいることさえしなくなった。
こうした緊迫した状況が続くなかで、コール信者が現れ始める。
コールや部下に安全な場所を提供しようとする堅気の人間が名乗りをあげ始めたのだ。
堅気の人間の多くはコールの顔見知りや、部下の顔見知りなど。
彼らが自分の家を提供してくれたことで、コールは無数の隠れ家を手に入れることができた。
ある家族はコールの部下を匿っていたが、マドュンの殺し屋に捕まってしまい拷問され死亡している。
マドュンには街中にスパイがいて、コールの動向を逐一教えてくれていた。
ある晩、ブロンクスのアパートにコールと十数人のギャングが入っていくのを見たという情報を得たマドュンは、一味を一掃するためにマシンガンで武装した殺し屋3人を派遣した。
しかし、コールと妻ロッティは建物内に数分滞在しただけで、裏口から出て行ってしまっていた。
殺し屋がアパートに侵入したとき、コールの部下は、女性数人と赤ちゃん2人を含む友人グループとトランプで遊んでいた。
そして殺し屋は3人を殺害、6人を負傷させる。
この事件は大々的に報じられ、再び“コールを倒せ”という世論が強くなった。
裏切り者
コールはポーランド人ギャングのエドウィン・ポプケというボディガードとして連れ歩いている。
この情報を聞いたマドュンは新しい作戦を思い付いた。
マドュンは秘密裏にポプケと連絡を取り、金の力で寝返らせるこたに成功した。
1932年2月9日、23丁目と8番街のコーニッシュ・アームズ・ホテルに滞在していたコールとロッティは、オーニー・マデンの誘拐を計画していた。
実はコールはマドュンを脅迫した際に、「金を用意しなければ誘拐する」と言っていたのである。
さらに前日の2月8日、コールは追跡されないように、市内の別の電話からマドュンに再び電話をかけ、「翌日の午後12時30分までに金を用意しなければ、本当に誘拐する」と伝えてあった。
マドュンは、翌日にもう一度電話をしてくれれば答えを出すと答えていた。
マドュンはポプケに連絡を取り、コールが電話をかける場所のリストを受け取った。
そしてマドュンは位置関係から、23丁目と8番街にある「ロンドン・ケミスト」が怪しいと踏んだ。
コール暗殺作戦
マドュンは、ダッチ・シュルツの右腕であるボー・ワインバーグに、レナード・スカルニッキ、アンソニー・ファブリッツォという2人のプロを加えた3人の殺し屋チームを編成。
9日、コーニッシュ・アームズ・ホテルの近くに車を停めて、コールがマドュンに電話をかけに行くところを観察するように命じた。
正午過ぎにホテルを出たコールは、ポプケに連れられてそのまま通りを横切り、ドラッグストアに入った。
ドアの近くにランチカウンターがあったので、ポプケにカウンターに座ってドアを見張るように言った。
この時、ポプケは武装していたが、コールは武装していなかった。
コールが到着したときドラッグストアには5人がいた。
3人は客で、2人はスタッフ。
これを見たコールは怪しい様子はないと判断。
コールは店の裏手に行き、電話ボックスに入ってマデンに電話をかけた。
そして電話をかけてから2分も経たないうちに、入り口の外に車が止まり、サルニッキとファブラッツィオが降りてきた。
残りのワインバーグは不足の事態に備えて車で待機したままだった。
ファブラッツィオは一足先に店に入って5人にマシンガンを向け、「動くな、音を立てるな」と言った。
カウンターに座っていたポプケは立ち上がってドアから出て行き、ファブラッツオは彼が出て行くのを見送った。
店の奥の電話ボックスの中にいたコールは、異変に気づかなかった。
サルニッキが電話ボックスを横切って、ガラス戸越しに15発の銃弾を撃ち込むまで。
店内で銃声がしたとき、ロンドン・ケミストから数百メートル離れた場所をパトロールしていた警察官がいた。
店の入り口に到着した警官は、銃を持った男たちが店から離れ、8番街を駆け上がっていく様を目撃している。
警官はドラッグストアに入ろうとはせず、通りかかったタクシーを呼び殺し屋たちを追いかけた。
タクシーが逃走車に追いつくと、警官は銃を撃ち始めた。
弾丸は車体に跳ね返って、歩道にいた人たちを掠めたという。
やがて殺し屋たちの乗った車が渋滞に巻き込まれると、タクシーの運転手が追い付くことを拒み警官を降ろした。
こうして殺し屋たちは逃げおおせたのだった。
後の捜査
後の捜査でコール殺害には様々な権力者が絡んでいることが明らかとなっている。
殺し屋を貸し出したしシュルツ。
コールをハメたマドュンだった。
実はコールの居場所を知っていたが、この日に限って監視していなかった警官たち。
つまり、犯人を追った警官の登場は、アクシデントだったのだ。
とはいえ、警官が撃たれた被害者を助けず、追跡を優先したとは不可解なことである。
妻のロッティ・コールは、パトカーと救急車のサイレンを聞き、何が起こっているのかを確認するために外に飛び出した。
警察がドラッグストアに入っていくのを見て、通りを走って中に入ると、電話ボックスの中でぐったりと倒れているコールの無残な姿が目に飛び込んできた。
彼女は泣き叫んだが、警察に情報は漏らさなかった。
コールの葬儀
コールの葬儀は彼の理想とはかけ離れた、ギャングにしては地味すぎるものとなった。
しかし、弔問客の中にはコールの知り合いだったイタリア人たちの顔もあったという。
通夜が終わると、葬儀屋が遺体に簡単なお祈りをしてから、安価な棺に納めた。
コールの棺を乗せたリムジンが2台、花輪を積んだリムジンが1台あったが、その中にはダッチ・シュルツのものもあり、「少年たちより」と書かれたお悔やみのカードが入っていた。
その後方には刑事の車が控えていた。
遺体が到着したとき、墓地にはすでに十数人の弔問客がいたが、棺が墓に入れられ、蓋がされると全員が沈黙した。
誰も祈りを捧げなかったのだ。
墓の上には磨かれた花崗岩の巨大な墓石が立っていた。
殺された弟ピーターを偲んでコールが置いたものだ。
コールを殺した男たち
コールを殺した犯人は5万ドルの報酬を受け取ったが、その後非業の死を遂げている。
ファブリッチオはバグジー・シーゲルの殺害を請け負ったが失敗。
ファブリッチオが関与していることを知ったシーゲルは彼を待ち伏せして殺害した。
セルニッキは刑事殺害の罪でシンシンの電気椅子で処刑。
ボー・ワインバーグはシュルツを裏切りラッキー・ルチアーノに協力したのがバレてしまった。
シュルツはワインバーグの足をコンクリートで固めた後、生きたままハドソン川に捨てた。
シュルツ自身は同年末にニューヨーク州ニューアークのレストランでラッキー・ルチアーノの送った殺し屋たちに殺害された。
オウニー・マデンはマフィアを引退。
晩年はアーカンソー州ホットスプリングスに逃れてホテルを開業し、1965年まで暮らした。
マドュンの組織の残党は、現代までヘルズ・キッチンに存在し続け、「ウェスティ」と呼ばれるギャングに。
マフィアは当初、このギャングを制圧しようとしたが、このアイルランド系アメリカ人ギャングは冷酷で暴力的であり、逆らう者は皆殺しにするため、マフィアのドンたちは彼らを放置することにした。
しかし、ヴィンセント・コールの時代のように、マフィアは時折ウェスティのメンバーを殺し屋として雇っている。
ヴィンセントが殺された後、ロッティ・コールは自分のギャングを結成しようとしたが、彼女が得たのは長い実刑判決だった。
1945年に釈放された後、彼女は姿を消した。
コールの部下とされているフランキー・ジョルダーノとドミニク・オディエルノの二人はダッチ・シュルツを殺害し、処刑されている。
現代に至るまでコールの血は受け継がれているが、彼の子孫はひっそりと暮らすことを望んでいる。