三分で詳しく学ぶラッキー・ルチアーノfinal
三分で詳しく学ぶラッキー・ルチアーノfinal
目次
遂に最終回です
ロマンス
ルチアーノは新たなロマンスを見つけていた。
相手はいきつけのレストランのウェイトレス アドリアーナ・リッツォ。
アドリアーナは23歳で少々ふくよか、明るい性格の女性だった。
またアドリアーナは看護師の勉強もしており、よくルチアーノを気遣ってくれた。
そんな母性溢れるアドリアーナにルチアーノは惹かれてゆく。
アドリアーナには婚約者がいたものの、ルチアーノは何度も口説き、ついに同棲し始めた。
心臓発作
アドリアーナは夜も情熱的な女性だった。
ルチアーノは62才にも関わらず若者のようにアドリアーナと何度も愛し合った。
そして遂に体力の限界を超え心臓発作に倒れた。
アドリアーナはつきっきりでわたしを看病してくれた。
医者は激しいセックスは命に関わると言ったが私は気にしなかった
やがて回復したルチアーノは以前と変わらぬ生活ー、競馬、酒、セックス、に復帰。
そしてすぐに二度目の心臓発作に倒れた。
もう若くない私に医者は運動とストレスは死因になると告げた
やっと私は自分が若者ではないということに気がついた。
死ぬのは怖かった。
それから入院はいい機会になったよ。
何もせず寝て、これまでと今後の人生について考えた。そして引退を決意した
しかしマフィアを引退するということは困難を極めた。。
足を洗う
ラッキー・ルチアーノが申し出た引退にコミッションは猛反発した。
ただでさえトラブルが続いている中で、マフィア達はルチアーノにリーダーシップを望んでいたのだ。
なぜコステロにできて、なぜ私が出来んのだと訴えた。
それから、減額したとしても金を毎月届けて、それ以外構わないでくれと伝えた
それからルチアーノは次期リーダーを任命したいと考えていた。
が、任命してもしなくともカルロ・ガンビーノ以外に適任はいないとも知っていてはいたが。
ルチアーノの申し出はマイヤー・ランスキーにも伝えられ、するとあっさり引退が認められた。
ランスキーを始めとするマフィア達はこれが“見せかけの引退”と思ったのだ。
もしくはランスキーはその後の展開も見抜いていたのかもしれない。
結局の所、引退はうやむやになった。
アメリカ、イタリアのマフィアは絶えずルチアーノにアドバイスを求めた。
それに私も“あなたが必要だ”と皆から言われて、まんざらでもなかった
キャンディストアの野望
引退を表明して以来、ルチアーノに届けられる金は激減していった。
そんな中ルチアーノは幼馴染みで堅気の男とアメリカ風のキャンディストアをナポリで開こうと考える。
アメリカンスタイルのキャンディに加えてアイスクリームも販売する。
これは大当たりすると思った
しかし、ひとつ問題があった。
開店費用が6万ドルほど必要だったのだ。
イジェアの治療費がかかったこともあり、とにかく金がなかった
そこでアメリカに金が必要だと連絡したが返事はなかった
そんな折、ルチアーノの元に映画プロデューサーを名乗る男から連絡がきた。
「ラッキー・ルチアーノの人生を映画にしたい」というのだ。
普段からこのようなオファーは断っていたルチアーノだが、金がない状況を打破するために契約を結んだ。
映画化の条件は
・脚本が完成したら10万ドル
・映画が公開したら収益の10%
・いつでも撮影を中止する権限があること、の3つ。
こうして“ラッキー・ルチアーノ映画化計画”が始動した。
私はこの頃、狭心症と診断され弱っていた。
でなければ映画は許可しなかったかもしれない
ランスキーの思惑
ルチアーノに届けられる金は日に日に減ってゆき、遂には一万ドルにも満たなくなった。
ルチアーノは抗議の現れとして誰の相談にものるまいとしたが、そうはいかなかった。
アメリカではジョー・プロファチとクレイジー・ジョーが争った“第一次プロファチ戦争”が勃発。
さらに獄中のジェノベーゼが再びルチアーノ暗殺指令を出したというのだ。
さらにアメリカでは本格的なマフィアの取り締まりが始まろうとしていた。
ルチアーノは仕方なくアドバイザーとしてコミッションに意見を述べながらも、金を要求し続けた。
それからしばらくしてランスキーからメッセージが届いた。
“今は不景気で金が送れない”
メッセージを受け取った時、私は気がついた。
ランスキーは私を見限ったのだと
後任
イタリアでも大きな動きがあった。
ルチアーノの犯罪の証拠を掴むためにCIAのヘンリー・マンフレディという男が派遣されてきたのだ。
マンフレディはマイク・セラと名乗る工作員をルチアーノに接触させた。
ルチアーノは表向きは軍人と名乗るセラの正体を知りつつも、付き合いを続けた。
私は少々、あの男を気に入っていた。
だから、よく一緒に遊んだり、たまに思わせ振りな事を言ってからかってやった。
セラは重大な情報を掴んだと思い小躍りしていただろうな
さらにセラには他の使い道もあった。
ルチアーノはセラに偽の情報を流すことでアメリカ政府を手玉にとろうと目論んでいたのである。
親しい付き合いを演じていたが、アドリアーナとセラは絶対に会わせないことにしていた。
アドリアーナが真相を知ればつばを吐き、悪態をつくに決まっていたからだ。
名作を作れ!
1959年、キャンディストアを諦めたルチアーノは今まで通りの日々を送っていた。
ただしアドリアーナとのセックスはやめていた。
彼女には実家に戻れと行ったが、頑なに断られた。
アドリアーナはずっと私の世話をしてくれた
ルチアーノの元にはアメリカから映画の脚本がいくつも届けられた。
それはどれも詰まらぬ二番煎じのような作品で、ついにルチアーノは映画の制作を中止したいと申し出る。
申し出に驚いた映画会社は脚本家兼監督のマーティン・ゴッシュをナポリに派遣した。
ゴッシュもまた名作を作りたいと考えており、ルチアーノと共同でなら脚本を書こうと申し出ていたからだ。
そんなわけでルチアーノとゴッシュは直に会い、映画の内容を煮詰め始めた。
ゴッシュは私のイタリア追放後を描こうといった。
私はこのアイデアがとても気に入ったよ
大まかな映画の内容は以下のようなものだった。
・アメリカから追放されてきたマフィアが若い娘と恋に落ちる
・マフィアは暗黒街の秘密を日記に綴っており、日記を巡って大騒動がおこる
・アナスタシア暗殺やコステロ暗殺未遂などの有名な事件も描く
ルチアーノはこの脚本を大いに気に入り、完成した脚本にサインした。
それからコミッションに制作が始まる旨を伝えた。
さらに撮影の最中に一時だけニューヨークへ旅行できるかもしれないとなり、ルチアーノは大いに喜んだ。
ルチアーノは主役にディーン・マーティンを指名。
映画の脚本はフランク・シナトラを介してマーティンに渡された。
掟破り
映画制作の知らせを聞いたコミッションは“沈黙の掟”を破ることになると激怒。
トミー・エボリを遣いによこした。
エボリは厳しい口調でルチアーノに説教をした。
我慢ならなかった。
ガキの使いのように叱られ、馬鹿にされていると思った
このままでは絶対に済まさんと誓ったんだ
エボリと話しているうちにルチアーノは重要な事に気がついた。
カルロ・ガンビーノ、ジョー・ボナンノ、トミー・ルッケーゼ等コミッションメンバーが怒っているというよりもマイヤー・ランスキーが怒っているようなのだ。
マフィアの財布を握ったランスキーはコミッションもユダヤ系も支配し、実質“ボスの中のボス”になっていたのだ。
ユダヤのランスキーが全てを握り、私はイタリアで泣き寝入りするしかなかった
ランスキーという男
皆さんはシェークスピアのジュリアス・シーザーを読んだことがあるだろうか?
ここにカシアスというブルータスにシーザー暗殺をそそのかすキャラクターが登場する。
私の人生という物語においてにおいて、カシアスはランスキーだった。
いつから私とランスキーの関係が変わったのかわからない。
ランスキーはいつから全ての権力をものにし、イタリア人を従えようと目論んでいたのだろうか
ルチアーノは映画の制作を中止するとコミッションに伝えた。
1961年1月26日、その裏でルチアーノは秘密裏にゴッシュをイタリアへと招き、生涯の全てを語ろうと申し出た。
こうして長きに渡りルチアーノの告発、告白、もしくは密告が始まったのだった。
私はゴッシュに伝記を書いてくれ、そして私が死んだら公開してくれと頼んだ。
生きているうちではランスキーがうるさいのは目に見えているからな
それとルッケーゼは友達だから彼も死んでからだと付け加えた
私はラッキー・ルチアーノの真実を誰かに知ってもらいたかったのだ
暗黒街に返り咲く
怒り心頭のルチアーノはゴッシュへの告白の他にも、反撃の手段を用意していた。
利用したのはかつてジェノベーゼが作り上げた麻薬流通網。
私が関係者を回ると、驚くべきことに麻薬を握るメンバーは当時のままだった。
ジェノベーゼが段取りを済ませていた為、私が世界最大の麻薬カルテルを作ることは容易にかなった
麻薬組織を築いたルチアーノはさっそくコミッションにその旨を伝えた。
それからというものルチアーノ宅には拙い英語で書かれた脅迫の手紙が絶えず届いた。
ルチアーノはそれを“ブラックハンドからの手紙”と称して面白がった。
麻薬密売により金の心配はなくなったが、マフィアと警察の両方から狙われる身となってしまったルチアーノにはかなりのストレスがかかる。
ストレスにより再び心臓発作に倒れたルチアーノは日に日にやつれていった。
当然、ルチアーノの回りの人間は改めて引退を勧めた。
帝王の死
ルチアーノは回りの人間に勧められるがままに麻薬組織から手を引いた。
もはや、ルチアーノにはビジネスを仕切るだけの体力も気力も残っていなかったのだ。
無力となったルチアーノの元にニューヨークからは再び金が届き始めた。
ランスキーはラッキー・ルチアーノを飼い殺しにすることを望んでいるように思われた。
金額は引退前よりも多いくらいで、ルチアーノは安心して隠居できると胸を撫で下ろしたのだが。。
ほどなくしてジェノベーゼファミリーのメンバーがイタリアから麻薬を密輸した容疑で逮捕された。
警察は黒幕をルチアーノとして厳しい監視を始める。
新たなストレスに負けたルチアーノはまたしても心臓発作で倒れ、病院に運ばれた。
私は一命を取り留めたものの、腰が曲がりシワが増えた。
一気に年を取ったようだった
脅迫
またしても悪い知らせが届いた。
コミッションがマフィアの存続の為にルチアーノを消すことを決めたというのだ。
処刑を回避するには映画の脚本のオリジナルを差し出せという。
ルチアーノはゴッシュに連絡し、すぐに台本を持ってきてくれた頼んだ。
ゴッシュはこの時の事をこう振り替える。
「あんなに怖いルチアーノは始めてでした。
言い方は脅迫のようでもあり、私はすぐにイタリアに飛ぶことにしたんです」
この会話は警察に盗聴されていた。
“台本を持ってこい”
警察は台本が麻薬の隠語であると確信した。
さらにルチアーノ宅に興味深い電話がかかってきていた。
相手は麻薬で逮捕され逃亡中のジェノベーゼの部下で「ルチアーノさんの麻薬ビジネスを手伝いたいんです」というのだ。
電話を受けたルチアーノはすぐにハメられた事に気がつき、狭心症の発作に倒れた。
2つの通話はルチアーノにとって致命傷になると思われた。
翌日、1962年1月24日早朝、ルチアーノ宅は家宅捜索を受けた。
私は驚かなかったが、睡眠薬で朦朧としていた
アドリアーナはヒステリーをおこして警察と揉み合っていたな
警察はルチアーノ宅のあらゆるものを押収してから、ルチアーノを警察署へ連行。
警察は厳しく“台本”とはなんなのかを問いただしたが、ルチアーノは胸の痛みに耐えながらものらりくらりとした受け答えをした。
それから私は一緒に台本を取りに行けば納得するだろうと申し出た
納得した警察が一時帰宅を許可したので私は散髪にでかけた
25日、自宅に警察の人間がむかえにやってきた。
彼はマレシッアロ・チェザーレ・レスタといってルチアーノとは知った顔だった。
最期のことば
空港に到着したルチアーノとレスタはゴッシュを迎えると三人で車に向かって歩きだした。
ルチアーノの顔は青ざめていて、ゴッシュが軽口を叩いてもニヤリともしなかった。
歩きながらルチアーノは早口の英語で呟き始めた。
「麻薬はない
麻薬王と呼ばれるのは嫌だからな
ランスキーが、、全て手に入れた
金は全て。。
私は。。」
そこまで言い終えたとき、ルチアーノを激しい痛みが襲った。
またしても心臓発作である。
ルチアーノはその場に倒れこみ、空を睨んだ。
結局は路上で死ぬ運命なのだと悟った
エンディング
駆け付けた救急隊員は応急処置を行ったが既にルチアーノは息絶えていた。
ゴッシュとレスタは何もできず呆然と立ち尽くしていた。
ルチアーノの葬儀には300人もの参列者が集まった。
遺体は金と黒の八頭引きの馬車に乗せられ墓地へと向かった。
300人の中で唯一のアメリカ時代の友人 はジョー・アドニス。
アドニスは“さらば友よ”と記された花束を手向けた。
ランスキーからは匿名で花輪が届いていた。
遺体はルチアーノが生前に購入していたニューヨークの墓地へと送られた。
墓には母と父も眠っており、埋葬に立ち会ったのは数人の兄弟だけだった。
遺された土地と口座の6000ドルは親族で分配され、アドリアーナには3000ドルほどが渡された。
ルチアーノとランスキーの友情はいつ壊れたのか?
ルチアーノの死因は本当に心臓発作なのか?
その謎はマイヤー・ランスキー編で。。
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