三分で学ぶ コミッション裁判

三分で学ぶ コミッション裁判

三分で学ぶ コミッション裁判

今回はマフィア史のひとつの節目であるコミッション裁判について。

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この裁判をきっかけにマフィアはより目立たぬ影の存在でいることを好むようになっていきます。

コミッション

コミッションとはラッキー・ルチアーノがマフィア界の覇権を握った際に設立したマフィアの全国委員会。

1930年代から現在に至るまで存在している制度で、マフィアの揉め事はコミッション内で解決される。

これに目を付けたFBIはコミッションの参加者を捉えればマフィアを破滅に追いやれるのではと思い付いた。

FBIは五大ファミリーのボスが立ち寄りそうな場所、電話、彼らの自宅に至るまでを盗聴し、捜査を進めていった。

捜査は5年以上に及び200人以上の捜査官が寝る間を惜しんで働いた。

コンクリートクラブ

コミッションはニューヨークの工事を仕切るためコンクリートクラブと呼ばれる選抜された請負業のグループを作っていた。

1983年、FBIはコロンボファミリーのコンシリエーレ ラルフ・スコポがコンクリートクラブについて話しているのを盗聴する事に成功。

さらにスコポはロイ・デイメオ殺害についても話している様子を盗聴されてしまう。

FBIはこの事実を元にRICO法(共謀罪)でフロントボスのジェンナーロ・ランジェラを起訴することに決める。

そしてランジェラはコミッションを通じて他の四人のボスに繋がっていた。

次に尻尾を捕まれたのはジェノベーゼファミリーのフロントボス アンソニー・“ファット・トニー”サレルノ。

ファットトニーサレルノ

サレルノは労働組合を揺すっている事が明らかとなった。

一方、ルッケーゼファミリーのボス アンソニー・コラーロは無用なおしゃべりをしないため、FBIはなかなか証拠を掴めずにいた。

しかし、コラーロと共同でゴミ処理ビジネスをしていたルッケーゼファミリーのカポ サルヴァトーレ・アヴェリーノがヘマをしてしまう。

マフィアの支配を拒んだために嫌がらせを受けていたゴミ処理業者 ロバート・クーベッカがFBIに協力し、盗聴機を付けたのだった。

そんな事とは知らないアヴェリーノはクーベッカを脅迫、その様子はFBIが一言一句逃さず聞いていた。

同年、FBIはコラーロの愛車であるジャガーに盗聴械を仕掛けることに成功。

これによりコラーロの命運は完全に尽きた。

起訴

1985年2月25日、FBIはRICO法をフル活用して、以下のメンバーを同時に起訴した。

ガンビーノファミリーのボス ポール・カステラーノ

アンダーボスのアニエロ・デラクローチェ

ジェノベーゼファミリーのフロントボス “ファットトニー”・サレルノ

ルッケーゼファミリーのボス アンソニー・コラーロ

ルッケーゼファミリーのアンダーボス サルヴァトーレ・サントロ

ルッケーゼファミリーのコンシリエーレ クリストファー・ファーナリ

ボナンノファミリーのボス フィリップ・ラステリ

コロンボファミリーのフロントボス ジェンナーロ・ランジェラ

これだけでも充分豪華なメンバーだが、後日FBIは以下のメンバーも追加で起訴した。

コロンボファミリーのボス カーマイン・“ジュニア”・ペルシコ

ボナンノファミリーのコンシリエーレ ステファノ・カノーネ

ボナンノファミリーのカポ アンソニー・”ブルーノ”・インデリカート

インデリカートは1979 年のカーマイン・ガランテ殺害に直接関与したとして起訴されており、特に注目の的だった。

その他のメンバーはコンクリートクラブへの恐喝や麻薬密売などで起訴されていた。

1985年7月1日、起訴されたメンバーは無実を主張、徹底的に争う構えを見せた。

裁判開始

1986年9月8日、ついに裁判が始まった。

しかし全員が出廷できたわけではなかった。

起訴されたメンバーのアニエロ・デラクローチェは1985年12月2日に病死。

ポール・カステラーノは1985年12月16日に射殺されていたのだ。

陪審員の選任が始まる前に、サレルノの弁護士であるアンソニー・カルディナーレは「依頼人は裁判を受けられる状態ではない」と主張。

 サレルノは白いハンカチで目を押さえていて、手術の影響で体調が悪いと訴えた。

オーウェン判事はこの主張を相手にもしなかった。

続いてペルシコが「控訴が終わるまで裁判を待って欲しいと」主張した。

この年の初めにペルシコは有罪判決を受けていて控訴の準備に追われていたのだ。

オーウェン判事はペルシコの主張も直ぐ様却下した。

マフィアとは何なのか?

当時の新聞記事

めげないペルシコは次に「裁判でマフィアという言葉は使うべきではない」と主張した。

詳しいやり取りは以下の通りである。

「マフィアを犯罪者として表現したり、犯罪者であると解釈したりする事は不適切です。

このような“マフィア”の、“イタリア系”のマイナスイメージは政府が植え付けたものだからです。

陪審員の多くはマフィアについて十分な知識がありません。

陪審に質問する際にマフィアという用語を使うべきではないと思うのです。

もっと平凡な言葉を使うべきです。

彼らはこの種の言語を理解していません。

それをより少なく、よりわかりやすい言葉で表現する必要があります」 

しかし、オーウェン判事は、「私は、人々が理解して答えることができる言葉で質問するべきだと思います」と反論した。 

ペルシコの主張はある程度認められ、多少なりマフィアを知っている人物が陪審員に選ばれた。

審査員の選抜方法は“知っているマフィアを答えて下さい”という質問に答えられるかどうか。

回答にはアル・カポネ、ヴィト・ジェノベーゼ、ラッキー・ルチアーノなどがあげれれていた。

最終的に審査員は女性7名、男性5名の計12名が選ばれた。

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ちなみに裁判にはボナンノファミリーに潜入していたドニー・ブラスコ(ジョー・ピストーネ)も出廷し証言を行っています。

やがて裁判が進むにつれマフィア達の有罪が濃厚になってきた。

カステラーノの後を継ぎガンビーノファミリーのボスとなったジョン・ゴッティはコミッションを召集し、裁判関係者の皆殺しを進言する。

しかし、コミッションは多数決で皆殺し案を否決した。

必死の抗い

マフィアとその弁護士達はあの手この手で罪を逃れようとしていた。

その中で弁護士のサミュエル・ドーソンはコミッションの存在を認めた上でこう話した。

「確かにコミッションは存在します。
しかし、コミッションは争いを避けるためのグループであり、工事がスムーズに進むように努力していたのです。

コミッションがコンクリートクラブから金を脅し取っていたという事実はありません」

それからドーソンは陪審員にこう訴えかけた。

「もし、もし被告人の中にマフィアのメンバーがいるとしても、イコール“コンクリートクラブを恐喝した”という事にはならないでしょうし、犯罪者とマフィアは同じ意味ではありません」

この発言は苦肉の策だった。

裁判の少し前、ルドルフ・ジュリアーニ検事と弁護士は司法取引について相談をもっていた。

ジュリアーニは最も重い罪とマフィアとコミッションの存在を認めるなら取引に応じると告げた。

そこでマフィアと弁護士団は“マフィアである”と認めるか認めないかは曖昧にしておくことにしたのだ。

合わせてコミッションの存在は認めるが、違法な組織ではないと主張する事に決めていた。

後に盗聴テープで“コーザ・ノストラ”という言葉が登場する度に、これはマフィアと同義なのか?マフィアとはなんぞや?という論争が繰り広げられた。

策士ペルシコ

続いてカーマイン・ペルシコが冒頭陳述を行った。

カーマイン・ペルシコ

彼は唯一、弁護士を雇わず自分で自分の弁護を行っていた。

ペルシコはメガネにピンストライプのスーツという服装で、ゆっくり優しく陪審員に語りかけた。

「私の名前はカーマイン・ペルシコです。弁護士ではありません。被告です。

検察官が貼ったレッテルに騙されてはいけません。

あなた方自身の目で真相を把握してほしいのです。

彼らはゴシップや噂で私を貶めようとしているのです」
 
それからペルシコは声を低くし、眉を潜めてこう話した。
「これから表れる検察側の証人に気をつけて下さい。
奴らは殺人犯や麻薬の売人です」

寝返った男

検察側の証人はペルシコの想像を上回る男だった。

現れたのはクリーブランドマフィアのアンダーボス(又はフロントボス) アンジェロ・ロナルド

ロナルドは麻薬密売で有罪判決を受け、仮釈放なしの終身刑+103年を言い渡されていた。

しかし、この証言によりロナルドは減刑が約束されたのだった。

ロナルドはクリーブランドマフィアがサレルノの通じてコミッションと繋がりを持っていた事を説明した。

「人々は彼のことをファット・トニーと呼んでいました。今は少し痩せていますが。

ニューヨークの五大ファミリーのボスがコミッションを通じて全国のマフィアを支配しています。

五大ファミリーとはジェノベーゼ、ガンビーノ、ルッケーゼ、コロンボ、ボナンノです。 

何か論争がある場合、彼らは集まってそれを解決します。

彼らはすべてのルールと規制を作ります 。
何が良くて、何が悪いのかを。

私はサレルノを通じてコミッションに意見を求めたりしていました」

サレルノはアゴをクイッとあげ、ロナルドを見たがそれ以上の反応は見せなかった。

一方、ペルシコはロナルドをやり込めようとした。

「政府の証人、アンジェロ・ロナルドは、クリーブランドで有罪判決を受けました。

実際の所、彼は部下が嘘をついたせいで有罪判決を受けたのです。

そして今、服役から逃れるために必死で証言している」

ペルシコが微笑みながら腰を下ろすと、弁護士のアンソニー・カルディナーレが立ち上がり、ロナルドに質問を始めた。

「偽証罪というのはアンジェロ・ロナルドにとってなじみ深いものですよね?」

ロナルドは「私は真実を話しているのです」 と答えた。

カルディナーレは続けて、終身刑は堪えれないと思ったのではないかと尋ねた。

ロナルドは“その通り”と答えた。 

これにより陪審員は少なからずロナルドが保身のために証言しているのだという印象を持った。

攻防

その後も多くの証人が現れたり、録音テープが公開されたがコミッションによる恐喝の確固たる証拠とまではいかなかった。

盗聴テープには『金を払わなければ大変な事になるぞ』『安心するための金額だ』などの言葉が録音されていた。

しかし、陪審員がどう判断するかは最後まで誰にもわからなかった。

もし、陪審員が一人でも反対すれば被告人全員が無罪となる。

マフィアはその可能性に賭けていた。

一方検察とFBIは陪審員が買収されていないかと最後までヒヤヒヤしていた。

判決

1986年11月19日、遂に判決が言い渡された。

アンソニー・”ファット・トニー”・サレルノ :懲役100年

アントニオ・コラーロ:懲役100年

サルヴァトーレ・サントロ:懲役100年

カーマイン・ペルシコ:懲役100年

以下略。。

アンソニー・インデリカートには懲役40年が言い渡されたが、後に別件で再び逮捕されている。

こうしてアメリカマフィアの上位陣がまとめてシャバを去った。

これにより権力を維持していたガンビーノファミリーのジョン・ゴッティとジェノベーゼファミリーのヴィンセント・ジガンテの二強時代へと突入してゆく。

ちなみに裁判当時、サレルノがフロントボスであることはごく一部のマフィアしか知らず、FBIはジェノベーゼファミリーのボスを逮捕したと思い込んでいた。

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