映画シチリアーノを予習 トンマーゾ・ブシェッタとは
三分で学ぶマフィア暗黒史 トンマーゾ・ブシェッタ編
目次
今回は映画「シチリアーノ」の公開に合わせてトンマーゾ・ブシェッタを紹介していきます。
※予備知識なしで鑑賞したい方は注意です。
トンマーゾ・ブシェッタの生い立ち
トンマーゾ・ブシェッタは1928年7月13日、シチリア島のパレルモで産まれた。
父はガラス職人だったが、次第にブシェッタはマフィア家業に惹かれてゆく。
貧困地域に産まれたブシェッタが、金を稼ぎ肩で風を切って歩くマフィアに憧れるのは自然な事でもあった。
17歳の時に結婚。その頃からマフィアの手先としてタバコの密売で稼ぐようになっていった。
麻薬ビジネス
その後はブラジルに移住し、父親と同じガラス職人として工房を切り盛り。堅気の仕事に就いた。
突如、1956年にパレルモ帰国しタバコの密売を再開。
さらに麻薬の密売にも手を出し始める。
この密売にはシチリアの有力マフィア達が絡んでいた。
1958年には麻薬密輸の中心人物として警察にマークされるまでになり、1959年にはタバコの密輸で逮捕された。
第一次マフィア戦争
1960年代、ヘロインビジネスを巡ってパレルモのマフィア達が戦争を始める。
この時、ラッキー・ルチアーノが設立したクーポラ(コミッション)で話し合いが持たれたものの、解決には至らなかった。
1963年6月30日 ボスの一人サルヴァトーレ・グレコを狙った爆弾が炸裂した事をきっかけに抗争は激化。
この爆発に警察官が巻き込まれた事から、警察も本腰を入れて捜査に乗り出す。
トンマーゾ・ブシェッタは戦争中、自身のファミリーを裏切り、パレルモマフィアのボスの一人 アンジェロ・ラバルベラの暗殺を図った。
しかし、暗殺は失敗。
やがて逮捕状が出され、四面楚歌の状況となりブシェッタは国外へ逃亡した。
逃亡中のブシェッタ
追われる身となったブシェッタは、スイス、メキシコ、カナダ、アメリカを転々とする。
アメリカでは、カルロ・ガンビーノの元で世話になり、表向きはピザ屋、裏では麻薬の密売人という生活を送ることに。
その後ブラジルに移住したブシェッタは、1972年11月3日に逮捕されてしまう。
ブシェッタは麻薬密売の罪で8年服役することとなった。
ちなみにブシェッタは服役中に三度目の結婚をしました。
第2次マフィア戦争
パレルモは多くのシノギが溢れる場所ということから地方のマフィア達が進出を図った。
コルレオーネ村のルチアーノ・リッジョやサルヴァトーレ・リイナなどの強力な地方勢力やパレルモに根を張るファミリーが入り乱れる戦争が勃発。
そんな頃シャバに戻ったブシェッタは参戦を断りブラジルへ避難。
しかしその間に、シチリアに住むブシェッタの妻、二人の息子、弟、義理の息子、義理の兄弟とそのの甥が惨殺されたり、行方不明となる。
命令を下したのは〝最も狂暴なマフィアのボス〟と言われたサルヴァトーレ・リイナ。
リイナが下した命令は、「裏切り者の家族、親類、血のつながりのある者の6歳以上は皆殺しにしろ」というもの。
この堅気の身内への攻撃は、マフィアのポリシーや伝統に反するものだった。
リイナ的には子供は殺さないというのが、自分なりの情けだったのでしょう。
サルヴァトーレ・リイナの行う攻撃、いや大虐殺を恐れたマフィア達とその家族はこぞって国外へ逃亡。
1980年~83年の間に400人以上のマフィアが殺害された。
トンマーゾ・ブシェッタの証言
1983年10月23日、ブラジルで再び逮捕されたブシェッタは警察に様々な拷問を受ける。
飛行機から妻を突き落とされそうになったり、爪を剥がしたり、◯◯に電流を流されたり。
しかし頑なに口を割らず、イタリアへ引き渡されることになった。
その際、飛行機内でブシェッタは毒薬を飲み自殺を図った。
しかし、自殺は失敗。
そんな弱りきったブシェッタにマフィア撲滅に執念を燃やすジョバンニ・ファルコーネ裁判官は説得を試みる。
ファルコーネを信頼出来ると感じたブシェッタは身内を殺された復讐の為に、法廷でマフィアの全てを証言すると決意した。
「私は裏切り者ではない。 信じていた組織が変わり落胆しただけだ。 私がマフィアについて教えよう。」 by.トンマーゾ・ブシェッタ
ブシェッタは45日間に渡り、以下のマフィアの内情をファルコーネに語った。
・入会の儀式があること。
・イタリアとアメリカを結ぶ麻薬密売網 ピザコネクションのこと。
・マフィアの組織図や抗争の全貌。
それらを元にアメリカとイタリアで多くのマフィアが逮捕された。
マフィア大裁判
ブシェッタの活躍により、イタリアではルチアーノ・リッジョなど342人のマフィアに有罪判決が下された。
しかし、サルヴァトーレ・リイナは裁判が始まる前に逃走。国内の隠れ家に潜んでいた。
怒れるサルヴァトーレ・リイナは、捜査に関わる警察関係者や敵対マフィアを次々と暗殺。
1992年5月22日には、ブシェッタを説得した反マフィア活動の中心人物 ジョヴァンニ・ファルコーネをも暗殺した。
ファルコーネが乗る車が走る高速道路ごと爆破したのだ。
もはやマフィアではなくテロリストである。
だがこの翌年、逃亡を続けていたサルヴァトーレ・リイナもついに逮捕。
法廷でブシェッタと合間見える事となった。
52人の殺害で起訴されたにも関わらず、リイナは堂々とした振る舞い。
ブシェッタに「彼とは話したくない。 彼には妻が多い。 道徳を守ることは家族を思うこと。我々の村では道徳を重んじます。」と言い放った。
これにブシェッタは「俺の家族をたくさん殺したろう。お前の道徳はどこにある?」と応じる。
リイナはブシェッタの問いに、にんまり笑って答えた。
トンマーゾ・ブシェッタはマフィアのボスだったという説もあるが、離婚歴のあるブシェッタは正式なボスにはなれなかった。 という説も。
マフィアにとって離婚は不名誉なことなのだ。
この後のブシェッタ
サルヴァトーレ・リイナには終身刑がくだされ、2017年にこの世を去った。
イタリア政府はブシェッタを守り切れないと判断し、身柄をアメリカ政府へ引き渡すことに。
ブシェッタと家族は証人保護を受け、アメリカで生活。
ブシェッタは2000年に亡くなった。
現在、サルヴァトーレ・リイナの家族はアメリカで堂々と暮らしている。
対してブシェッタの家族は未だにマフィアの復讐に怯えながらひっそりと暮らしている。。。