ロマンを追ったマフィア達 ラスベガスとバグジーシーゲル、マイヤーランスキー
ロマンを追ったマフィア達
こんにちは!
今回はロマンを追ったマフィアとマフィアのとある一言 を紹介したいと思います。
砂漠にマフィア現る!
1920年代、ネバダ州は財政的な困窮に対処するべく、当時違法とされていた賭博を解禁した。
現在、世界的な観光地としてしられているラスベガスも当時は灼熱の砂漠。
わざわざギャンブルをやりに来る者はほとんどいなかった。
ラスベガスは離婚が容易に出来ることで知られていて、離婚ついでにギャンブルをやる者がいるくらいのもの。
そんな砂漠に二人のマフィアが現れた。
名はマイヤー・ランスキーとベンジャミン・シーゲル。
二人はロサンゼルスから車を走らせ、この砂漠に遥々やって来たのだ。
二人はこの砂漠にはっきりとした〝楽園〟の姿を見ていた。
ロサンゼルスから車で四時間余り、この街ではニューヨークのように〝手入れ〟にビクつくことも、逮捕される心配もない。
ギャンブルの楽園を築くのにはうってつけの土地だった。
当時ラスベガスには二つのカジノがあり、細々と営業していた。
二人はその内の一つ〝エル・コーテズ・ホテル〟を買収。
二人のマフィアが経営に乗り出すとエル・コーテズ・ホテルの売り上げは大幅に伸びた。
しかし、二人はこのホテルをすぐに売り払ってしまう。
ランスキーとシーゲルの見た〝楽園〟はこんなケチなものではなかったのだ。
フラミンゴ建設へ
二人の見た〝楽園〟とはオンボロのカジノではなく、世界中からこぞって人が集まる一大エンターテイメント施設だった。
従来のカジノとは違うもの。
家族連れも楽しめるプールや食事
一流芸能人が出演する舞台
見たこともない豪華な客室とカジノ
これらを備えた施設を建てることこそ二人の目指す〝楽園〟の第一歩だった。
1945年にはシーゲルが目ぼしい土地を買い上げ着工に取り掛かる準備を整えた。
二人の発案ながら計画の主導権はシーゲルが握っており、彼はランスキーよりも多くの熱意をラスベガスに傾けていた。
二人はさっそく建設費用について相談。
まず、資金はエル・コーテズ・ホテルを売却した65万ドル。
それからランスキーは、マフィアのボス達に「寝かせている金は投資に回して増やすべきだ。ラスベガスは必ず成功するだろう」と説き伏せて、足りない費用を出資させた。
多くのボス達は半信半疑だったり、無謀過ぎると考えていたが出資金は支払った。
これには二人の盟友、フランク・コステロの助力のお陰でもありました。
こうして〝希代のロマンチスト ベンジャミン・シーゲル〟と〝ギャンブルビジネスのプロ マイヤー・ランスキー〟の計画がいよいよスタートした。
ランスキーのアドバイス
ある時、ランスキーとシーゲルは建設中のホテルについての近況報告会を兼ねて競馬場へ赴いた。
そこで見た馬の名前から取り、ホテル名は〝フラミンゴ〟となったと言われている。
他にも〝シーゲルの愛人のあだ名から〟 〝競馬場に飛来するフラミンゴは縁起がいいから〟など諸説あります。
ランスキーは〝ギャンブルビジネスのプロ〟としてシーゲルに様々な助言を与えた。
「家族連れを呼び込むなら、カジノ内のドレスコードは廃止するべきだ。
また、時間を忘れて楽しめるように時計は置かない方がいいし、窓もつくらない方がいい。
レストランやプールへ行くにも必ずカジノを通らないと行けない造りにすること。
客室も居心地をよくしすぎない方がいい。
そうすれば、客は嫌でもカジノにやって来る」
このアドバイスは、現在もラスベガスのほぼ全てのカジノが守っています。
難航する建設計画
万全に見えた計画だったが、建設費用が五倍にまで膨れあがるという問題が生じる。
これは、あまりに完璧で豪華な施設を作ろうというシーゲルの熱意が空回りした結果でもあったし、建設費用をちょろまかした多くの関係者のせいでもあった。
とは言え、出資したマフィアのボス達は、シーゲルが意図的に横領していると考えた。
ランスキーの必死の反対も空しく、コミッションはシーゲルの処刑を可決。
バグジーの運命は尽きた。
ランスキーとバグジー
シーゲルの処刑が決まる少し前。
ランスキーはコミッションのメンバーを説得し、一度だけシーゲルと話し合う許可を得ていた。
ランスキーはシーゲルに会い、ランスキーのポケットマネーで取り敢えずフラミンゴを完成させ、急遽オープンする事を提案。
フラミンゴ経営が上向けばシーゲルは許されるというワケだ。
そして最後にランスキーはシーゲルに、「ラスベガスを諦めるなよ」と伝えた。
ランスキーもシーゲルもラスベガスが一大観光地になり、正に〝楽園〟となることを確信していた。
しかし、取り敢えずでオープンしたフラミンゴの出来映えはお粗末で売り上げは振るわなかった。。
こうして、1947年6月20日にシーゲルは射殺されてしまう。
しかし、シーゲルの死後にラスベガスはまさしく〝ギャンブルの楽園〟、〝マフィアの楽園〟となり、ランスキーは〝ラスベガスの王〟として舞台裏からこの一大観光地を取り仕切った。
私が紹介したかったのはランスキーが絶体絶命のシーゲルに言った「ラスベガスを諦めるなよ」の一言。
ちろん、端からラスベガスに人生を捧げる気でいたシーゲルに諦める選択肢はなかっただろう。
しかし、もし他の人だったらどうだろうか。
無謀とも言える夢を計画し、周囲から無謀だと散々言われ、それでも実行し、絶体絶命の危機に陥った時、諦めずに最後までやり通すことが出来るでしょうか。
そんな夢を追うときにこの一言と、ラスベガスを創った二人のマフィアのエピソードを思い出して欲しいと思います。