ジョン・ウィックの元ネタ
ジョン・ウィックのモデル
大ヒット映画「ジョン・ウィック」
そのモデルとなったとされる殺し屋がいるのを知っていますか?
それがロシアの殺し屋アレクサンダー・ソロニク。
その特徴は大きく3つです。
・悪人を狙う殺し屋
・戦闘能力が人類最強クラス
・映画と煮た武勇伝が多数
さっそく見ていきましょう。
ソロニクの生い立ち
ソロニクは若いころ、ソ連のエリート特殊部隊諜報部隊の一員として勤務していたと考えられている。
東ベルリンに駐屯し、スパイ活動、潜入、NATO外交官の暗殺などを担っていたという。
その後ソビエトが崩壊するとソロニクの部隊は解散され、彼は故郷に戻り第二の人生を模索した。
そして悪人を懲らしめようと誓い、警察学校に入隊する。
ところがソロニクは素行の悪さから学校を退学させられてしまう。
夢が打ち砕かれたソロニクは、仕方なく墓掘りの仕事についた。。
これは名前以上にハードな仕事であった。
なんと極寒の地で、毎日10時間も屋外で墓穴を掘らなければならなかったのである。
それからまもなく、ソロニクは女性を暴行した罪で逮捕される。
これが冤罪であったかは不明だが、彼は裁判にかけられ、懲役8か月を言い渡された。
判決を聞いたソロニクはただ一つ、妻に別れを告げるために5分間だけほしいと語った。
彼がいつ結婚したのかは定かではないが、仲がよかったようである。
ソロニクは妻と二人きりの時間を過ごした直後、警察署の二階にある板ガラス窓を突き破り、屋外へ。そのまま近くの森に逃げ込んだ。
この前代未聞の逃走は大きく報じられ、警官隊とスペツナズが追跡することとなる。
ところが手がかりさえつかめず、結局ソロニクはシベリアまで逃げ切った。
再逮捕
ロシア当局とスペツナズは、ソロニクがシベリアにいるとの情報を入手。
身元を隠すために入れ墨の除去をしている最中に病院へと踏み込み、彼を逮捕した。
連邦政府はシベリアの強制収容所にソロニクを収容することに決める。
そこでは300日間氷点下が続く地獄であり、さすがのソロニクも逆らう気力を失うと考えたのだ
刑務所でソロニクは、警備員にAK-47を顔に突きつけられながら、ツルハシで岩を叩く日々を過ごした。
そんなある日、ソロニクが警察学校に行っていたという情報が流れ、囚人たちに目を付けられてしまう。
彼はシャベルで武装した12人の殺人犯たちに絡まれてしまった。
ソロニクは不意にシャベルで後頭部を強打されたが、なんとか柔道背負い投げで一人を倒す。
それからシャベルを奪うと、それを使って次々と殺人犯たちを殴り始めた。
その強さはまさに鬼神。彼は一方的に12人を半殺しにした。
神に与えられた使命
その時点で、ソロニクはこう考えるようになったという。
「俺が屑どもをぶっ殺してやる、これは俺に与えられた使命だ」
彼はウエイトリフティングやカーディオコンディショニングなど、執拗にトレーニングを続けた。
そしてある日、彼は換気シャフトの格子を引き抜き、空気ダクトをよじ登ると、強制収容所から忽然と姿を消した。
その後、モスクワにたどり着いたソロニクは、ロシアの組織犯罪組織にスカウトされ、悪人を専門に殺す殺し屋として雇われることとなる。
彼は二丁拳銃スタイルを好み、それで次々とロシアンマフィアたちを葬っていく。
その仕事ぶりから、彼には「死神」の異名が与えられた。
ちなみにソロニクは両利きであり、どちらの腕でも遜色のない狙撃ができたという。
難しい仕事
マフィアのボスが防弾ガラス窓を備えた黒い装甲車に乗って、しかもよく訓練された十数人のボディーガードに囲まれて移動していた。
やがて車が極秘の隠れ家の外で停止し、マフィアのボスが降りてくる。
その瞬間、彼の頭はバッとはじけ飛んだ。
そう、ソロニクの仕業である。
彼は 300ヤード以上離れたビルの屋上から狙撃していたのだ。
それから彼はボスのボディーガード6人を立て続けに射殺、そのまま姿を消した。
またある時、こんな仕事をした。
あるマフィアのボスは、モスクワの高級ナイトクラブの奥の部屋で、元スペツナズの護衛に囲まれながらストリッパー数人とコークを大量に吸っていた。
その時、突然ドアが激しく蹴り開けられた。
飛び込んできたのはソロニク。
彼は頭から部屋に飛び込み、2丁のピストルを発砲。
護衛たちが武器を抜く前に全員を排除した。
またまたある時、マフィアのボスがソロニクにこんなメッセージを送ったこともあった。
「手を引け、さもなきゃ組織総出で殺すぞ」
1か月後、このボスとその側近全員が市内各地で死体となって発見された。
死体にはナイフや散弾銃で殺された痕跡が残されていたという。
ソロニクは決してケンカを売ってはいけない人物なのである。
終焉
そんな危険な男を政府は放っておかなかった。
ある朝、モスクワの路上で数人の警察官に待ち伏せされソロニクは逮捕された。
「ソロニクだな、大人しくついてこい」
彼は平和的に彼らに同行することに同意した。
ところが警察署に入る準備をしている際、ソロニクはジャケットの下に隠していたスコーピオン・サブマシンガンを取り出して発砲した。
警官たちは世界で最も危険な男と銃撃戦を繰り広げながら、混雑した市場を含むモスクワの街中を追いかけることとなる。
その中でソロニクは逃亡しながら7人を射殺。
現場にいた警官は後に、「全速力で走って肩越しに発砲していたにもかかわらず、彼の発砲の精度は信じられないほど高かった」と述べている。
とはいえ最後はフェンスを乗り越えている最中に腹部を撃たれ、あえなく御用となった。
ソロニクはロシアで最も気密性の高い刑務所である第1拘置所で8カ月を過ごし、傷の回復を待つ傍ら、さまざまな外国語の勉強を行った。
そして怪我が完全に治ったとき、彼はグラップリングフックとロープを使って真夜中に建物から脱出し、待機していたBMWに向かったという。
アフターソロニク
ソロニクの次の目的地はギリシャだった。
わずか数か月のうちに、彼はアテネ郊外にサンクトペテルブルクからローマに至るまでの地域で独自の犯罪組織を設立。
再建整形手術で顔を変え、50人以上のギャング団員を自分のために雇い、数百万ドルを稼ぎ、家も車もすべて手に入れた。
暗黒街は完全にソロニクのモノとなったようだ。
まあ、ソロニクに歯向かう物などいるはずもないので、当然といえば当然であろう。
それからソロニクは長い間姿を消すことになる。
次に彼の写真が新聞の一面を飾ったのは1997 年 2 月 1 日のこと。
ソロニクの別荘に踏み込んだ警察は、 死体を発見した。
男は延長コードで絞殺されており、AK-47、かつら、偽造書類、弾薬が詰まったダッフルバッグを持っていた。
指紋から彼はソロニクであることが判明する。
とはいえ整形後のソロニクの顔はわかっていなかったので、指紋だけが手がかりであった。
一部の専門家は、この事件についてこう述べている。
「遺体はソロニクが身代わりとして用意したものであり、彼は生きているに違いありません」
確かに、彼ほどの男が考察されて死ぬとは考えにくいでしょう
もしかするとソロニクは今も悠々自適な引退生活を送っているのかもしれない。
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